3
数時間後、満足した5号様は立ち上がってガウンを羽織った。
ケイコはうつぶせでぐったりと横たわり、穏やかな寝息を立てている。三人の中で最も激しく、アクロバティックに動き続けていたのだ。
体脂肪率が極限まで抑えられたケイコの身体は、しかし柔らかかった。筋肉自体が人間の体とは思えないほど柔軟なのだが、その強靭さは矢作の知識を凌駕していた。まるで、ネコ科の猛獣だ。とうてい女の筋力だとは思えないのに、どこまでも妖艶にねっとりと絡み付いてくる。しかも、男の身体を知り尽くしていた。そんな女は抱いたことがない。
矢作も体力を使い果たし、横になったままだった。
5号様は部屋の角へ向かう。
「来月分の〝家賃〟を送金するのを忘れていたよ」
手の平を壁に当てる。すると、何もないように見えた壁の一部が倒れてテーブルのようになった。その奥から太い鎖で繋がれた大型のトランクを引き出す。
金属製のトランクを開くと、キーボードが現れた。それが送金装置なのだ。軽々しく他人に見せていい物ではないはずだ。だが、5号様は隠そうともしていない。むしろ、あえて操作が見えるようにしているように思える。
矢作はベッドの角に座り、からかうように言った。
「丸見えだよ」
5号様がすることは、全部見ておきたかった。知識はいくらあっても困らない。この先、何が役に立つか分からない。目的は、家族を守ること。できるなら、自分も無事に脱出したい。犯罪にも加担したくはない。そのためには、何より情報が必要だ。今は、従順に見せながら力を溜める時だ。
5号様はさらに身体をずらして、キーボードがはっきり見えるようにした。
「見せびらかして、リッチなことを自慢してるんだよ。何せ、今はここのトップツーだからね」
「トップツー? トップじゃないのか? 他にもこんな豪華な刑務所暮らしを送ってる奴がいるのか……?」
矢作は〝トップ〟が存在することを確信していたが、気づいてない振りをしてカマをかけた。5号様が〝強奪〟に加担している以上、相手はそれ以上の財産を持っている。それが何者か探り出したかった。
矢作は最初、宝石を奪う手助けをさせられるのだろうと考えていた。今は、もう一つの可能性に気づいている。盗むのが形のないもの、巨額の財産に関わる〝情報〟だとするなら――。
〝標的〟が誰かを知らなければ、この先の展開を予測することができない。
5号様が矢作に冷たい目を向ける。
「演技は下手だね。知らない振りかい? 小賢しい男は嫌いだよ」
矢作は腹の内を見透かされていることを知った。こういうタイプの人間には、正直に謝った方が傷を小さくできる。客商売で学んだ体験だ。
「悪かった。自分が何をやらされるのか、知りたかったんだ」
「ま、そうやって知恵を巡らせることは大切だけどね。生き残るためには」
5号様は確実に、矢作を犯罪に利用している。これまでも、冷徹な計算に基づいて他者を踏み台にしながら財産を築いてきたのだろう。だがなぜか矢作は、奇妙なほど素直に答えていた。
「俺は死んだっていい。家族を守りたいだけだ……」
5号様はしばらく矢作を見つめてから、何事もなかったかのように話しを続ける。
「ここのトップは桁外れ――スーパーリッチの中でもほんの一握りの中に入るらしい。あたしより下には、有象無象が二〇人程度、らしいね。そいつらには、ワンフロアしか与えられないそうだ」
「あんた……なぜそれを知ってる?」
5号様の口調が柔らかさを取り戻す。
「所長の知り合いなら、それぐらいは教えてもらえるさ。あたしたち金持ち仲間には横の繋がりがある。口コミで客を引っ張ってくることも期待できるからね。スーパーリッチっていう連中は大金を抱えてる分だけ、それを奪われまいといつもビクビクしてる。実の子供に寝首を掻かれることだって珍しくない。本当に安全に休める場所があれば、それだけで安心できるんだ。ま、あたしみたいな成り上がりは、歴史をひけらかす上流社会からは相手にされないんだけどさ」
「そんなもんなのか……。だからって、送金の操作まで見せるのはやり過ぎだろう?」矢作は笑った。「俺が奪う気になったらどうする?」
「奪えっこないから見せてるんだ。操作手順や暗証番号を知られても平気なんだよ。この装置の先は、お高く止まったスイスの銀行様に繋がってる」
「スイスって……ゴルゴ13とか、そんな話に出てくるやつか……? でも、今じゃ秘密の保持も甘くなってるとか聞いたことがあるぞ」
「甘くはなってる。マフィアとかがマネーロンダリングに使ったりしてたからね。実力がある捜査機関には顧客の情報が筒抜けだともいう。だが、それは格好だけだ。孫請けのそのまた孫請けみたいなゴルゴ程度の現場作業員にとっちゃ厳しいが、奴らを顎で使ってる真の黒幕は別だ。取引がある事自体を漏らせない顧客もいるんだよ。そいつらを守るために、雑魚の情報を吐き出してるんだ。この送金装置は、絶対に守らなくちゃならない客にしか渡してもらえない。つまり、セキュリティが万全だってことさ」言いながら操作を始める。「最初にこれをしなくちゃ、何も起きない」
そして5号様は機械のスイッチを入れてから、キーボードの脇の浅い凹みに指先を強く押し付けた。すぐにコンピュータの起動音のような音がして、キーボードが光りだす。
「指紋認証か? そんなもの、どこにでもあるだろう?」
「そうじゃない。最新式の小型DNA検出機だ。『ジーンゲイト』って呼ばれてる仕組みらしい。30秒ほどで個人を特定する。移動式だから照合できるDNAの種類は多くないが、それでも確実に個人を見分けられる。計算の上では偶然に一致する可能性は一兆分の一以下……だったかね。まずごまかせない。指紋や顔認証程度ならちょっと手をかければ機械を騙せるが、この検出機はDNAと同時にいろんな生体反応も検知する。で、ちょっとしたストレスでも感じると回線を遮断するそうだ。本人を脅して指を入れさせても、機械は反応しない。何やら身体に流れてる電流を計って、本人かどうかとか精神状態だとかを見分けてるらしいけどね……ま、金がかかりすぎて普通じゃ導入できない最先端技術を使ってるってことさ。だから、保存した血液を垂らしても反応しない。その上から他人の指を刺して生体反応だけを偽装しても、DNAが混じってやっぱりNG。ダメなら、いったん横に付いてるリセットスイッチを押す。中の血液が高い電圧で焼却されるらしい。で、やり直し。三回繰り返してダメなら、この装置自体が機能を止める。スイスまで出かけていかなけりゃ、誰も金を動かせなくなる。この検査をパスできなければ、キーボードを押しても反応しない。すべての操作を受け付けないってわけ。だからこれは、あたし専用のATMなんだ」
矢作は、からかうように言った。なぜか、5号様にすっかり気を許していた。
「あんたを気絶させて指を押し付けてから、俺が自分の口座を打ちむ。それで送金できるんじゃないか?」
5号様は声を上げて笑った。
「確かにそうかもしれないし、逆にマシンはあたしが気絶してることまで見抜くかもしれない。試すのは勝手だが、喧嘩を売る相手は選びなよ。そもそもあんた、兆単位の送金を平然と受け入れられる銀行と取引があるのかい? そこらの信用金庫じゃパニックを起こすよ。大金を奪うっていうのは、ちゃちなコンビニ強盗とは違う。それなりのステイタスとルートが必要な専門職なのさ。しかも、この場であたしがちょっと悲鳴を上げれば、秘書が目を覚ます。あんた……文字通り秒殺だよ」
話しながらキーボードを操作していく。
矢作は、ケイコの背中を見下ろした。
「眠りこけてるのに……?」
5号様はキーボードを操作しながら答えた。
「命令すれば飛び起きる。そういう訓練をされてるらしい。必要なら人も殺せるような、感情に流されないボディガードを発注したから。確認したことはないけど、ね」
「まさか……」
「試さない方が利口だよ。あたしが使ってる派遣会社は、嘘をついたことがない。確認する必要がないから、大金を払ってるんだ」そして、送金ボタンを押した。「これで、ファントム・プリズンに今月分の3億円を振り込んだ」
「一ヶ月3億円かよ……」
「安い方だ。あんたを雇った分は、来月2億円ばかり加算される」
「俺が2億⁉」
「その分働いてほしいんだけどね……」そして眠り続けるケイコに目をやり、残念そうにつぶやいた。「今日は、第2ラウンドは無理そうだね……」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます