おそらくは二日後――。

 目隠しをされた矢作は車に乗り換えて移動した。顔には、真っ黒で光も通さない布袋をすっぽり被せられている。矢作の横には何者かが座っている。その男が〝監視役〟のようだった。

 退屈した矢作は、答えを期待しないまま質問した。

「ファントム・プリズンって、どこにあるんだ?」

 男は、堅い口調でゆっくり説明した。

「大変申し訳ありません。規定により、施設の場所は明かせないことになっていますので、今しばらく我慢してください」男の口調は、丁寧だった。丁寧すぎるほどに。「もうすぐ施設に到着します。到着後は、二日間単独で隔離させていただきます。その間、各種の医学的検査を行います。プリズン内の収監者の安全を保つために不可欠な処置なのでご了承いただきます。危険な病原体などを持ち込まれるのを防ぐためです。その後は、何日施設に滞在されるのも自由です。ただし、退出の際は今回と同様に目隠しをしていただくことになります」

 男娼を蔑んでいるという雰囲気は微塵もなかった。まさに、どんな客にも対等に応対するホテルマンのようだ。

 矢作はつぶやいた。

「腹が減った……」

「すみません。車内には飲食できる物がありません。お食事は隔離室に入った後になります。あなたは5号様のご指定ですので――」と、唐突に口調が砕ける。「うらやましいですね。おそらく、雇用主と同じ食事が提供されるのではないでしょうか。あそこのシェフは腕がいいと言われています。専門は四川料理だとか。まあ、自分たちの口には入ったことはありませんから、うわさ話程度の知識ですが」

「5号様って――番号で呼んでいるのか?」

「刑務所ですから。建前上は……ですが。住んでいる方には皆、番号が付けられています。その番号が、私たちにとってのすべてです」

「何者なんだ?」

 再び男の口調が格式張ったものに変わる。

「それはお答えできない規則になっています。というより、自分たちも知らされていません。施設での作業は細分化されていて、違う業務や持ち場につくことはありません。ですので、中で働いている自分たちにも施設の全体像は分からないのです。むしろ、あなたの方がご存知なのでは? 5号様に雇われたのですから」

 男の口調からは、嘘を言っているようには思えなかった。矢作は、いくつもの疑問をかき立てられた。

 そもそも、男が〝看守〟だという感じがしない。囚人を見張る者としては不自然なほど矢作に気を使っているからか? まさか、本当のホテルマンではないだろう。男の身分は知らなかったが、警察官と同じようなものだろうと思えた。どんな場所であれ、ファントム・プリズンは刑務所なのだから。

 だが看守が囚人に敬意を払うものだろうか。まして、矢作は収監者自身ではない。収監者が金を積んで要求した〝男娼〟にすぎない。普通の人間なら、軽蔑していい相手だ。軽蔑していれば、必ず言葉の端々にその気持ちが現れる。収監者が金持ちだから、機嫌を損ねないようにホテルマン並の教育を施しているのか? いや、ホテルマンなら客をくつろがせるためにある程度の人なつこさも求められる。男の態度は、硬い。自身の感情を完璧に押し殺すことに慣れた人間のようだ。それは、プログラム通りにしか動けない〝機械〟に似ている。

 さらに疑問がわく。〝社長〟は、情報提供者がいると言った。だが、施設で働く者ですらその全体像を掴んでいない。男の言葉が本当なら、誰が収監されているかも知らされていないのだ。少なくとも情報提供者は、この男より高い地位にいる。おそらくは、施設の管理者だ。その管理者が、囚人たちが持つ財産に欲をかき立てられて〝組織〟と手を組んだのか――。

 だとしても、ファントム・プリズンの中に現金がある訳ではないだろう。今の時代、大金は紙幣ではなくオンライン上の〝記号〟として動かされる。金塊のような現物ではない限り、どんなに大きな財産でもコンピュータの数字として瞬時に移動する。そこに実体はない。実体のない物は奪いようがない。逆にそこに現物があるなら、それをどうやって持ち出せばいいのか? 紙幣にしろ金塊にしろ、重くかさばる。職員ですら細部を知らない施設からどうやって運び出すのか? だが、それが宝石なら――。

 矢作は、自分が盗み出そうとしているのは高額な宝石なのだろうと結論した。少なくとも、自分に盗み出せる可能性がある物はそれしかない――。

 車が止まり、運転手らしい声が言った。

「到着しました」

 矢作は手を引かれて車から外へ出された。完全に視界が奪われているので、足元がおぼつかない。強い風に目隠しの布袋がはためく。

 男が言った。

「車椅子に乗っていただきます。そのまま、ゆっくり座ってください」

 足の後ろに何かが押し付けられるのを感じた。ゆっくりと腰を下ろしていく。座面に座る感触があった。

 車椅子を押し始めた男が言った。

「施設内に入ります」自動ドアが開く音が聞こえる。車椅子がわずかに揺れ、風が止まった。「5号様の〝指定品〟をお届けします」

 別の声がした。

「ご苦労。後は引き継ぐ」

 車椅子を押す者が交代する気配があった。

 矢作は言った。

「〝していひん〟って何なんだよ。俺は荷物か? 人間扱いされないのか?」

 第二の男は事務的に答えた。

「5号様のご要望です。説明は受けておられると思いますが、これから2日間、隔離室で医学的検査を受けていただきます」

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