小さなきつねと緑のたぬき

高央みくり

小さなきつねと緑のたぬき

俺は昨日、大学のサークルの飲み会のジャンケンで負けた。ジャンケンで負けた人は真夜中になると狐火が見えると最近噂になっている、大学の最寄駅の商店街にあるというお稲荷さんに行き、行った証拠にお稲荷さんの前で写真を一枚撮ってくるという罰ゲームをすることになっていた。だから明日の大学で証拠写真を見せるために、今、俺はその罰ゲームの決行中なのだった。

お稲荷さんの祠に背を向けて、スマホをジャンパーのポケットから取り出す。カメラのアプリを起動し、インカメラに切り替えて祠が後ろに写るように調整して、自撮りをする時のように微笑みを作る。これでいいだろ。下の方にある円形のアイコンをタップするとカシャっというシャッター音とともに撮れた写真が表示された。

スマホを下ろして撮れた写真を確認する。少しブレてはいるけど、特に変わった様子はない。俺は写真を撮りなおそうと再びスマホを掲げた。

「へえ、撮り直すの?」

「おう。……って、え?」

俺はスマホを掲げたポーズのまま固まる。だって俺の後ろには祠しかないはずだ。人気などもちろんなかった。それなのにいきなり子どもの声が聞こえてくるなんて。

俺はスマホの画面を見ることが出来なかった。だって、ここで画面に何か写ってたら怖いじゃん。

「なぜそんな変なポーズで突っ立ってるの?」

ひんやりとした何者かの手が俺の肩に触れた。

「うわぁああ!……痛え!」

驚いて石畳みの道に勢いよく尻もちをついた俺の姿を見て、声の主はくつくつとおかしそうに笑った。なんだか拍子抜けしてしまった気がして、声がした方を睨むように見た。

「え?」

俺は声の主の姿を見て、言葉を失った。短い茶髪につり目ぎみの茶色い目、肌の色は真っ白で甚平のような服を身につけている。ここまではどこにでもいる小学生くらいの少年だ。いや、この季節にこの格好は流石に寒いか。いやいやそうじゃなくて、少年には人間にはないものがあったんだ。それはふさふさの長いしっぽとピンと立った三角型の耳。

「驚いた?これでも人型になれるように頑張ってみたんだけど、どうしても耳としっぽまでは隠せないみたい」

「俺は酔っ払いか?まだ酔っ払ってんのか?」

俺は考える。こんな非現実的なことが起こってたまるか。

「お話しすればわかってくれそうだったからこの姿で出てきたんだけどなあ。それとも……こっちがお望みかな?」

狐少年は手の平に丸い火の玉を出して見せた。俺は仰け反っていた体勢からバネのように跳ね起きた。

「ひい!ごめんなさい!イタズラしに来たわけじゃないんです!今すぐ帰るから祟らないで!」

「祟るわけないでしょ。僕は話を聞いてほしくて姿を現したんだって」

「話?」

俺は赤べこのように上下を繰り返していた頭をあげた。火の玉はいつのまにかどこかに消えている。

「そう、話。ねえ、君はカップ麺とやらは食べる方の人?」

「まあ、それなりに?」

「あのね、僕のことを孤太郎って呼ぶおじいさんがいるんだけど……」

孤太郎はそう話を切り出した。孤太郎の話によれば、おじいさんは時々、祠の前にある皿に自分の食べているカップ麺の中身を置いていくらしい。

「僕、この美味しい蕎麦が何なのか知りたいんだ。君は知ってる?お皿が緑色で、天ぷらの入ったあったかい蕎麦のこと」

孤太郎は目を輝かせて訊ねる。カップ麺で緑のパッケージの天ぷら蕎麦?それってあれだよな。スーパーとかコンビニとかどこにでも売ってる緑の……、でもお稲荷さんに置いていくものがよりにもよってあれなのか。

「緑?赤じゃなくて?」

「緑だよ。いつも緑の皿の蕎麦を食べてるの。それを孤太郎、お前も食べるか?って分けてくれるの。おじいさんいる時に食べたら驚かせちゃうからさ、帰ってからじゃないと食べられないんだけどね」

ははあ、やっぱり緑の方なのか。

「孤太郎、俺たぶんそのカップ麺のことを知ってるよ。近くにコンビニあったからさ、買ってこようか?」

「いいの?!よろしく!」

「ちょっと待っててな」と言い残して、俺は近くに止めておいた自転車にまたがった。さっきここに来るまでに、コンビニが一軒あったはずだ。自転車を走らせ、コンビニのカップ麺コーナーで緑のたぬきをカゴに入れた。支払いを済ませようとレジに向かおうとして小腹が空いていたことを思い出して、カップ麺コーナーに戻り赤いきつねもカゴに入れた。

帰り道はカゴにカップ麺を二ついれて自転車を押して歩いた。レジでお湯を入れてもらったから、自転車に乗って行ったらこぼしてしまいそうだし。なるべく早歩きで祠に戻らなければならない。麺が伸びてしまうし、この寒さではすぐに冷めてしまいそうだ。

祠の近くの路上で自転車を止めると、音に気づいたのか孤太郎は祠の一番下の段に座って、嬉しそうに尻尾を振りながら待っていた。

「おかえり!お蕎麦売ってた?」

「ああ、ちゃんと売ってたよ」

ああ、よかった。まだ冷めてなさそうだ。蓋の隙間から湯気が見える。カゴから緑のたぬきを取り出して、孤太郎に手渡す。それからジャンパーのポケットから割り箸を取り出して、割って渡してやる。

「食べていい?」

「いいよ。熱いから気をつけて食べて」

赤いきつねを手に、俺は祠横にある小さな石の上に腰を下ろした。孤太郎の横にあった皿にうどんを少し取り分けてつゆを注ぎ込み、それから上に乗っていたお揚げを半分に切って乗せてやる。

「ありがとう!……君のは赤いお皿なんだね!それからお揚げが入ってる!おいなりさんみたいだ」

初めて見るものに目を輝かせる孤太郎の姿はまるで無邪気な子どもの様に見えた。

「いただきます!」

手を合わせて挨拶をすると、孤太郎は箸を握りしめて麺を啜った。むぐむぐと口いっぱいに蕎麦を頬張りながら、うっとりとした表情を浮かべる。

「はふはふ……おいひ〜!」

フォークをもらってきてやればよかったかなと思いながら、隣でうどんの麺を啜る。ああ、美味しい。家で食べる赤いきつねよりも何倍も旨く感じる。北風で冷えた体に暖かいうどんがじんわりとしみていく。

孤太郎は夢中で蕎麦を啜り続けた。静かな祠の前にずずずと麺を啜る音が二人分。

じゅわっと口の中に広がるつゆのしみたお揚げの味に舌鼓を打っていると、孤太郎はいつのまにか食べ終わっていたのか、今度は分けてやった小皿のうどんを啜っている。

「はあ、おじいさんがくれるお蕎麦も良いけど、こっちのおうどんもたまらないなあ……!」

本当に幸せそうに食べるなあ。こんなに喜んでくれたなら買ってきた甲斐があったものだ。……そういえば、なんでおじいさんは赤いきつねじゃなくて、緑のたぬきを分けてやったんだろう?単純に緑のたぬきが好きだから?……聞いてみるか。

「そういえばおじいさんはなんで孤太郎に緑のたぬきを分けたんだろうな?」

「今なんて言った?!」

「え?」

俺が訊ねると、孤太郎はさっきまでのうっとりとした表情とは真逆の親の仇を見るような目でこちらを見ていた。

「今たぬきって!ああ、口に出すのも……!うわあぁ〜!」

孤太郎は頭を抱えて仰け反った。知らなかったのか。この蕎麦が"緑のたぬき"って名前だってことを。

「ええと。緑の皿の蕎麦が緑のたぬき、赤の皿のうどんは赤のきつねって言うんだ。でも安心しろ。きつねが油揚げのことを指すみたいに決してお前はたぬきを食べたわけじゃないから」

俺が宥めても孤太郎はうわあぁ〜と悲鳴をあげながらまだ頭を振っていた。それにしてもそんなにたぬきのことが嫌なのか。

孤太郎はしばらくシャクトリムシのように上下に伸びて縮んでしていたが、やがてはぁとため息をついて落ち着いた様子で顔を上げた。

「取り乱してごめんなさい。それで、なんで緑の……た……ヤツをおじいさんが分けてくれたかだったっけ?それならわかるよ」

「たぬき」はどうしても言えなかったか。

「時々商店街の人がね、おいなりさんを置いて行ってくれるの。もらえるだけでもありがたいけど……でも毎回おいなりさんなんだ。そしたらおじいさんが『毎日おいなりさんじゃ飽きるやろ。ほれ、これ分けたるから食いな』って言って分けてくれたのが緑の……ヤツってわけ」

ああ、なるほど。赤いきつねはお揚げだから、天ぷら入りの緑のたぬきを持ってきたんだ。おじいさんなりの心遣いだったのかもしれない。

「そうか。でもこれでおじいさんの蕎麦の正体がわかって良かったな。きつねに緑のたぬきを持ってくるなんてユニークな人だ」

「本当だよ。僕だってまさか自分がた……天敵の名前のついた食べ物を食べてたなんて思わないさ」

はははと二人で声をあげて笑った。孤太郎は空っぽになった器を自分の横に置くと、膝を抱えて座った。

「……誰かとごはんを一緒に食べるのってこんなに美味しいんだね。昔はたくさん子どもとかも遊びに来てくれたんだけどさ。商店街が豊かになるに連れてどんどん人が来なくなっちゃって。時々この祠から人がたくさん通る道の方をこっそり覗き見てみるんだ。威勢良くお客さんを呼び込むお店の人たち、友達と並んで歩く人たち、手を繋いで歩く親子……みんなあったかいなって。時々、人の子が羨ましくなる」

寂しげに言う孤太郎の姿はまるで幼い子どものようだった。そうだよ、こんな狭いところでずっと一人なんて。そんなの寂しくないわけがない。俺は孤太郎の前まで歩いていくと、孤太郎と目線を合わせるようにしゃがんだ。

「じゃあさ、またこうやって俺と飯を食おうよ」

「……いいの?」

「当たり前だろ。明日大学があるから今日は帰らないといけないけど、また会いにくるよ」

俺が頭をくしゃくしゃと撫でてやると、孤太郎は目を細めて嬉しそうに笑った。

「うん!また一緒にお蕎麦食べようね!」

俺はこうして小さな友だちができた。祠の前で手を大きく振って見送ってくれる孤太郎に背を向け俺は思う。今度来るときは赤いたぬきと緑のきつねを持ってきて驚かせてやろうと。

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小さなきつねと緑のたぬき 高央みくり @3kuri

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