金華猫

 まず初めに、鳥カゴが崩れた。


 金華猫の能力が解けて、黄金は彼を中心に収縮を始めていた。


「――音無! 他の奴らは!?」


 他の奴らとは、羽山宗王と美波律子を含める10余名の牙持ちのことを指す。


 その「他の奴ら」の牙による迎撃の危険性がなくなったと判断した時点で、この作戦は奥野慶次率いる牙対による人海戦術に切り替える予定だった。


 須藤癒乃の捜索を含め、羽山教の完全撲滅を可能にするあらゆる不正の証拠を探すため、何より人手が必要だった。


「もう連絡してる。 向こうは向こうで牙を持ってるから、私達の仕事はもうないかもね」


 音無は落ち着きをもって、既に各所への連絡を済ませていた。

こういう仕事慣れしているところは是非とも見習いたいものだ。


「それより、あれは?」


 彼女の指した方向には、仰向けに倒れた金華猫――――もとい、羽山宗王がいた。


「……顎を殴ったつもりなんだが、頭蓋骨を砕いた感触があった」

「つまり、殺ったわけね」


 容態を隠すようにうつ伏せに倒れているそれの惨状を、加茂はなるべくなら確認したくなかった。


 彼は誰がどう見ても頷く明確な殺意をもって加茂にかかっていたが、殺されそうだから殺したの言い訳が通用するのは動物までが関の山だ。


(もっと余裕をもって相手をできたなら、金華猫の牙を取り除くことにリソースを割けたかもしれなかった)


 この一件が終わったらまた、木戸さんのところで牙についての見聞を深めよう。


 と、あらかた反省のついたところで、トエルブら4人が移動してきた。


「加茂修一に音無楓…………どうにかしてくれ! うるさくてかなわん……!」


 シクスとトエルブは未だ意識のないセブンスを抱えていたが、美波律子は既に自立できるほど回復していた。


 彼女は慌てて金華猫……羽山宗王に駆け寄り、抱き寄せると、溜息をついて悔恨を吐いた。


「あ…………あぁ…………彼の能力を持ってしても、駄目なものは駄目ですか…………」


 どこか安心混ざりのその言葉に、トエルブは加茂の耳元で囁く。


「随分、君の牙にしては加減のできた方じゃないか。 それとも音無楓がやったのか? 意識はないみたいだが」

「それ、相手が生身の話ならだろ? アイツの牙を一度だって見れば、あれを加減したななんて言えなくなるぞ」


 金華猫は加茂のアッパーを、牙のガードも全くなしに受けた訳だが、あれに関しては加茂の攻撃が不完全な節があった。

八重原と音無のアシストも打ち合わせなしの突発的な好機だったし、金華猫の反撃に攻めを萎縮したような自覚もあった。


「…………まあ、加減してようがしてなかろうが、容態に変わりはないんだが」


 そう言って加茂が俯くと、トエルブは額に手を当てて羽山宗王を再び遠くから伺うと微笑した。


「奴は素顔も年も性別も不明だったが、まあ大体予想通りのだ。 牙がどんなに体を固くするものだろうが、君が本気でぶん殴れば、あの恐怖と鍛錬に一切の認知もない真っ白な顎を叩き割って見せただろうに。 奥野慶次に引き渡す前に、少し痛めつけてやったほうが世の中のためと言うものだ」

「お前ちょっと前までこいつの部下だったんだぞ? ずっと寝てたから形式上は、だが……」


 加茂は少し、会話に違和感を感じ取った。

加茂の特筆のない経験か、はたまた牙の能力か、どちらが機能したかは知らないが、トエルブは先程から金華猫の容態に関してズレた発言をする。


「そんなに軽傷か? あいつ」

「? 少なくとも私にはそう見えるが」


 音無と顔を見合わせた。

奴の負傷が軽傷にカテゴライズされるほど手は抜いていないつもりだが。

結局のところ、加茂が殴った直前の奴の顔面を本人は確認していない訳だから、どんなに記憶に色を付けても最後には確認しなければならない。


「美波律子、彼はまだ生きているのか?」


 トエルブが聞くと、彼女は至って平然に答えた。


「仮に彼が息をしていなかったのなら、私は貴方に勝算がなくとも襲いかかるつもりでした」


 確かに、羽山宗王の顔には傷ひとつついていない。

あのとき加茂が味わった骨を折る感触は、極限状態の五感の見せた幻だったのか。


(――――そういえば、金華猫の牙はなんだ?)


 金を操る能力――――だが、あれだけの量の黄金は自前で用意できないだろうし、あれが牙そのものなのか。


 性質変化も兼ねているなら、そもそも金と呼べるものなのかが怪しい。

まず間違いなく、金よりは価値のある代物だ。


「そうだな…………では、私とシクスはセブンスを連れて須藤癒乃を探しに行く。 君たち二人は残って、奥野慶次が上がってくるのを待つといい。 ……くれぐれも下に降りないように、このビルのどこに細工がしてあるかわからんからな」


 彼を倒した途端、彼の牙は地面に溶けるように消えていった。

今思えば、あれは消えたのではなく同化していたのだろうか。


 床の性質を真似て透過させた。

その憶測がやけに腑に落ちた。


『気づいたか、今更。 ――――気取ったか?』


 全身の神経が羽山宗王に向けられる。

彼の腕をもたげるにも苦戦しそうな細い四肢には、もう余力の残されているはずはない。


 ――――にも、関わらず。

彼に傷らしい傷は見られなかった。


『…………この身体はもう、持たない。 お前のせいだカモシュウイチ…………わかるか? お前が殺したのは羽山宗王だ』


 頭部が溶けた。

下顎から鼻骨、前頭葉の下半分までが黄金色の粘体に成り代わっていた。


『僕の能力で欠損部を創った。 今、まともに口が聞けるのも僕のお陰だ、僕がいなければこの男が目覚めることは決してない』


 彼の脅しとも受け取れる発言はけしてハッタリではなかった。

彼が何らかの方法で意識を失えば、黄金は元の無機質な塊に戻る。

つまり金華猫の意識が途切れたその時、羽山宗王は死亡するのだ。


 そしてその脅しが誰よりも効く人物が、彼のそばに居る。


「なっ――――あなたは…………!?」


 美波律子は酷く動揺した様子で、金華猫から一歩後退った。


『俺を直せる牙を探してたのなら分かるだろ…………奇機怪械シリーズの金華猫――――お前が目覚めさせた厄災だ』


 金華猫が天に手を上げた。

すると場の皆は一様に空を見る。


 彼の一挙手一投足に空間が支配されていた。


『僕の敗因は能力の把握を怠ったことだ。 憶測で物を見るのはやめにする』


 金華猫から上方向へ落雷が発生した。

正確には彼が放った光線なのだが、前より細く早く変化した姿に、加茂は雷が空を登ったと錯覚した。


『エイス――――すべてを優先させる牙。 だろう? ミナミリツコ。 発動したら最後、正負すべての現象をその身に引き受ける』


 彼女の牙を知る人間はごく僅かなはずだ。

つい最近まで、同幹部のファーストすら知らなかった情報である。

あり得るとすれば、事実上の教祖代理として羽山教のトップであった美波律子しか彼との繋がりはない。


『羽山宗王は知らないがな、私は知っている。 ミナミリツコ、お前が教えてくれたことだ。 毎日、退屈凌ぎにもならないあの日々が。 この私を生かした。 この金華猫をな』


 まさか…………ずっと話してたのか?

2年ちょっと前に羽山教ができてから、あるいはその前から、目覚めない羽山宗王にずっと近況報告を行っていたのか…………!?


 ついに、セントラルビルの天井が崩れて青空が露出する。

瓦礫はすべて、光線に呑まれて消えてしまった。


『お前らを始末したら須藤癒乃を探しに行く。 それからはゆっくり、羽山教を大きくしていこう――――なぁ? ミナミ、リツコ』


 彼が貫手を放ったのに反応できたのは、加茂修一ただ一人だった。

しかし加茂修一が彼女を助けるのには、致命的に距離が足りなかった。


 慌てて一歩踏み出したときには、美波律子の鳩尾辺りから、金華猫の片腕が覗いていた。

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