美波律子⑨

「修理道具……?」


 煙もだいぶ薄くなって、美波律子のシルエットが視認できるようになった。

依然として、彼女に動きはない。

加茂が間隔を開く能力から脱出したことに気づいているらしい。


「直す能力だと思っていい。 人も物も際限無く、元あるべき姿に修理できる」

「じゃあ…………なにか? ここへは何かを直すために連れてこられたのか?」


 加茂の頭に、嫌な憶測が走る。


 そもそもここまで、羽山宗王の姿が見えないのもおかしかったのだ。

直したいのは羽山宗王自身。

そうすれば、教祖の素顔不明という異常性にも説明がつく。


「ソレだけならまだいい」


 鳴家の目つきがこれまでになく締め付けられた。

羽山宗王のみを案じるというより、自身の身を危ぶむような感情だ。


「八百六十四番1作目壱号機――――それは試作中で名高い失敗作の番号」


 牙の性質は永久不変、どんな衝撃を与えてもその能力を失うことはない。


「だけどその牙は、何度も使うと破損し能力を欠損する、桜唯一の欠陥品」


 牙の構造について、一般人の考えの及ぶところではないが、その八百六十四番の改良には苦労するらしいと、鳴家は説明した。


「そこで桜はすでに完成していた三十二番へさらに3度の改良と一度の改造を施して、『牙を直せる牙』を作った。 それが須藤癒乃の持つ万能の修理道具。 試作でも異例な牙のための牙があれなんだ」

「その……なんだ、八百……何番もここにあるってことか?」

「わからない。 無いことを願うしかない」


 意味深なことを言い残して、鳴家は踵を返して美波律子を見た。

距離は以前開いており、見えるはずなどないのだが。

確かに彼女は、美波律子の位置を把握していた。


「OK。 捕縛だ。 あの女には話を聞かなくちゃならない」

「…………まあ、分かったんならそれでいいんだが」


 肝心の美波律子だが、今のところ彼女の能力に有効な攻略法は見当たらない。

一旦距離を置いて牙の範囲外に脱出する手があるが、それはあくまで一時的な対処に過ぎず、また距離を開かれれば終わりだ。


「何か策があるんだろ?」


 鳴家は先程まで美波律子を殺害するなど宣言していたが、そもそも音無の牙であれに立ち向かえる方法があるとは思えない。

それであの大口が叩けるなら、何か彼女だけの特質な能力があるのだろう。


「あぁ。 簡単な話さ」


 ――――彼女の牙が軽く震えた。

牙を発動するときの前触れだろうか、地震の初期微動のように床が揺れ、山鳴りのように壁が音を立てた。


「二千五番1作目壱号機、シクス。 君のことだ」


 鳴家の声はシクスには届かない。

だが、牙で自身の声に似せた音を作り、声を延長することで無理矢理に届かせたのだ。

鳴家の牙にはそれだけの音が蓄積されている。


「五感の一つを失いたくないなら隣の部屋に移ることだ。 5、4…………」


 カウントダウンが聞こえる前にシクスが消えた。


「3、2…………」

「…………そういや、シクスの牙……」


 後に残ったのは加茂と鳴家、美波律子だけだ。


「インターバルとかあんのかな…………」

「1――――」


 音が遠のいた。

雷とか、ジェット機のエンジン音とかがよく、音の大きさの比較に持ち出されるが、聞いたことがなくてもわかる。

そんな生易しいものじゃない。


 それは衝撃そのものだ。


「――――痛ッ、てぇぇぇええ!」


 不思議なのだが、人間は耳を塞ぐと同時に目も閉じてしまう。

辺りを気にせずのたうち回った後、うすらと瞼を開いてみると、そこに鳴家は居なかった。

代わりに、忌々しい顔でこちらを見下ろすシクスが傍に居た。


「……もう、終わったのか?」

「終わった」

「そうか。 よし、じゃあ戻ろう。 ――――ごめんな? 悪かったよ…………本当」

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