美波律子⑦
『楓はな、何とか生きてるよ。 このまま放っておきゃ間違い無く死ぬがね』
声は、隠すことを止めたのか、次第に大きく音無とは程遠い声質に変わっていった。
「…………心当たりが無いんだが、音無の知り合いで?」
『一方的にね。 古くからの付き合いさ』
まだ牙の能力が割れていないのは誰だ?
須藤癒乃、テンス、羽山宗王。
前二人は明らかに声質が違う。
羽山宗王に至っては俺たちの味方をするはずがない。
『名乗ったほうがいい? 私は
「牙を? なんだそれ」
『理解しなくても結構。 ともかくお互い、あの子には死んでほしくねぇんだ。 手伝ってもらうよ』
加茂の右前方、部屋の真ん中辺りに『音』が現れた。
印か何かか、y軸上に伸びた空気の振動が天井の一点を示している。
『ここの2階上に煙作ってる機械が置いてある。 そこまでぶち抜く自信、あるか?』
「……どのみち無理とは言わせてくれないんだろ」
『よろしい。 美波律子は私が倒すから、全力で構わないからね』
牙を使って、床の大理石を剥がしてモルタルを抉り出した。
野球ボールほどの塊を投げ、機械まで届かせようと考えたのだ。
「無理だったらお前が壊せよ」
『まさか。 美波律子が勝手に死んでくれるとでも?』
「…………殺すなよ」
『殺してほしくなかったらさっさと捕縛すればよかった。 しなかったのは君とあの子の落ち度だろ』
――――やるしかないか。
「何人かは殺さなきゃならない奴もいる。 死んだ後の処理より生かしたときの悪影響を考えて、生かすか殺すかは選んでくれ」
潜入前のトエルブの言葉だ。
加々峰との戦闘、セントラルビル前での狙撃手・ファーストと、八重原鈴音ことエイスとの戦闘。
身近に死を感じたことは何度があるが、殺すのは初めてだ。
美波律子がどういう目的で、どんな人となりがあって、誰と笑って誰と泣いて、なぜ須藤癒乃を必要としているか、わからないまま。
生死の判断を必要としている。
人の話を聞かないで、自分の目的を推し進めるのは奴らと一緒だ。
意見を聞いて真っ向から否定して、最終的に理解してもらわないと、相手の野望を止める権利はないと思う。
(煙を出してる機械を壊して、鳴家が美波律子を殺す前に、俺が彼女を生かさなきゃ駄目だ)
それが理想だ。
その理想を叶えるだけの力は持っていて、足りないものは決意だけだ。
「――――投げるぞ!」
音のする方に向けて思い切り、パワーよりもコントロールを重視した投擲。
同じ硬度のはずの天井と塊は、加茂が事前に投擲物を押し固める事で一方の勝利となった。
プロ野球選手顔負け――――というより、投げれば捕手も無事では済まない剛速球だが、今回この球を受け止めてくれるのは他でもないスモークマシンである。
遠慮の必要はなかった。
天井を突き抜けた時点で、加茂の視点から球を観測することはできないのだが、投げたその手触りで確かな感触を感じていた。
『こりゃいったね。 それじゃあ私は戻る……か……』
鳴家の音が完全に聞こえなくなるまでに、降下の際に開けた穴へダッシュする。
作戦はまだ終わっていなかった。
(装置を壊したからと言って煙が晴れるわけじゃない。 まだ美波律子の居場所は分かってないはずだ)
鳴家の言葉を信じるなら、あいつは音無の牙。
音無の位置から攻撃してくるはず。
美波律子が殺される前に鳴家か美波律子のどちらかを止めなければならない。
穴を登って13階に出る。
煙はまだ視界を覆っているのだが、加茂が開けた計3つの大穴から漏れ出て、確かに視界は明瞭さを取り戻していた。
(考えろ…………美波律子の牙は『物を開く』牙。 煙の中で自由に動ける能力はないんだ。 でも音無は刺された)
何か、位置を知る方法があるはずだ。
こう悩んでいる間に、天井の格子模様が鮮明に映った。
鳴家に動きはない。
「…………戻ってきた」
足元から声がする。
聞いたことのある声だ。
「――――シクス!」
間隔が開いているはずだが、シクスは確かに、加茂のそばで地べたに座って、例の古紙に視線を落としている。
「何で側に…………そうか、俺が一回、範囲外に出たからか」
「…………こっちに来てる」
「誰が」
「…………美波律子」
「それはむしろ好都合……いや、待てよ。 俺と美波律子だけを別の場所に動かせるか?」
それなら間隔を開く範囲の外で、鳴家の攻撃を回避しつつ、美波律子を生かした状態で倒せる。
「…………場所がわからないから、無理」
「そうか…………」
なら、もう一つしか手段はない。
「音無だ。 あいつをここに連れてきてくれ」
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