美波律子⑤
「――――シクス。 加茂はまだ?」
音無が聞いた。
「…………場所がわからない」
シクスの牙は横座標の移動。
移動前座標と後座標を指定して初めて転移が可能となる。
「煙が出てから動いたってことね、あのバカ……」
「……悠にぃ達は階段の前まで逃した」
「悠兄? …………あぁ、トエルブ。 それならま、とりあえず安全ね」
煙が出てから真っ先に、シクスは音無を身近に引き寄せた。
続けて加茂もと試みたが、どうやら彼が不用意に移動したせいで位置を見失ったらしい。
(音が帰ってこない…………室内じゃない、大平原のど真ん中にいるみたい)
普段から音に人一倍敏感な音無にとっては調子の狂う現象だ。
慣れるのには少し、時間がかかるだろう。
「手、離さないようにね」
シクスは軽く頷いてスカートの裾を握りしめた。
と同時に、自分の声が起こした僅かな空気の振動を感じ取って、索敵に専念する。
(…………やっぱり。 誰もいない)
美波と加茂の二人は音より速くは移動できない。
したがって、音無の発する声で感知できないはずがないのだ。
(美波律子、最初になんて言ったっけ?)
――――開け。
確かそうだ。
彼女は通信機に開けと言ったのだ。
だから天井の通風口が開いた。
防火壁も同じだ。
「何か……物を開く牙」
しかしそれだと、部屋の異常に説明がつかないか。
(羽山宗王がここまで来てる可能性も薄い。 あくまで敵は美波律子一人のはず。 彼女が来た道を後から入ってこられると話は変わるけど)
美波律子の能力はあくまで部屋の膨張。
今はこれに留まるか。
音無はメリケンサックを固くはめ直して、呼吸を整えた。
(どちらにせよ、美波律子が攻撃に移る際は必ず近づいて来ないとダメ。 もっというと、彼女が最初に殺しにかかるのはシクスのはず)
牙が攻撃手段に使用できないのはセブンスの容態を見れば明らかだ。
飛び道具の類は所持していない。
シクスの逃げ性能が生きているうちは、トエルブ達は安全だろう。
「…………見つけた」
競馬新聞のような持ち方で羊皮紙の牙を持つシクスが、スカートの裾を引っ張った。
「どっち?」
「かも」
「…………ああ、そっちね……」
てっきり美波律子の方かと…………。
肩を落とし落胆する音無だったが次の瞬間、自身の行動は経験より優れる、好運のしわざであったことを知る。
シクスから目線を外しつつ、正面よりおよそ下方向。
頭一つ分高度がズレたその時、脇腹を焦げるような熱感が駆け抜けた。
それは幾度か経験のある痛みで、裂傷だ。
つまりは刺された。
「――――ッ……!」
90度ほど上半身を転回してこの位置なら、もとの標的は心臓部だ。
確実に殺す気の――――美波律子の攻撃。
(……触れられるまで気づかなかった!? 側面からの攻撃なのに、視界はともかく反響音にさえひっかからないなんて…………!)
超スピードなら音や空気の流れで察知できる。
それがないということは、瞬間移動に近い移動法か。
美波律子は姿勢を固めたまま、もう一度あの言葉を放った。
「開け」
傷口から血液が溢れ出る。
誇張なしに屋外の蛇口をひねったみたいな、とてもじゃないが立っていられないほどに出血を起こす。
視界が歪んで、歯の隙間から鮮血が滲む。
やがて腰から下の意識が薄れ、震え、全身を地に伏した。
(――――開く)
音は届いていない。
それだけ広い部屋に移動したとして、疑問なのが煙幕の目くらましだ。
部屋が異常に大きい、視界を制限される、美波律子の瞬間移動。
これらの条件を満たして成立する攻撃法、なおかつ現象として起こりうる牙。
最後に彼女のセリフ――――。
「開いたのは間隔――――なるほどね…………!」
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