美波律子

「セブンス…………」


 ナインスとの通信の後、美波律子の向かった先は

つまり、ナインスの居る10階とは真逆方向である。


 彼女の目的は13階の資料室だ。

トエルブがなぜ裏切ったかは定かではないが、セントラルビルを襲撃した時点でその狙いは確定している。


 羽山教が今まで追い求めてきた「須藤優乃の持つ牙の能力」。

それが手中に収まるまで、実に5年の年月を有した。

 特定の能力を持つ牙使いを捜索するにあたり、裏の情報筋に頼ったり、時に公的機関を買収したり、様々であった。


 13階の資料室には、そんな「汚い金」のやり取りが記載されている。

手っ取り早く羽山教を壊すなら、この資料室を狙わない手はない!


 ――――という、美波律子の読みは見事的中した。


 資料室にいたのはセブンス。

シクスの懐刀にして裏切りの容疑者。


 もっとも、トエルブが裏切ったのならばそれにシクスはついていくし、シクスが裏切るならセブンスも……と芋づる式に増えていくだろう。

それほどあの3人は縦のつながりが強固である。


「……一応、言い訳を聞いておきましょうか?」

「必要ない。 トエルブが裏切ったことは耳に入ってるはずです」


 セブンスは論理的な思考を絶やさない、戦局を誰より遠くから眺め、判断を下す能力に長けた人物である。

それがシクス――あの少女のこととなるとやけに盲目的になる。


「勿体ない…………将来は支部長だって任せるつもりでしたのに」

「私はあの人の下にしかつきませんよ」


 セブンスが刀を抜いた。

彼の独特の勝負服、袴と日本刀が合わさって、場所が違えば剣術道場の師範代だ。

 

(彼の毒刃は体内に入らないと効果がない。 切られさえしなければ……!)


 美波律子が決意を固め、服の内から取り出したのは一本の鍵。

木製の、ピアノの白鍵の形をしている古いタイプで、それこそピアノの鍵に使われることも多い。


「鍵……?」


 疑問を口にしながらも、セブンスの操る刀の軌跡は揺らぐことはない。

牙の能力に頼らずとも、彼の剣術の腕は全国規模でも一二を争う強者である。


「この能力を知る人間は私と羽山宗王だけ…………今も、これからも。 貴方には消えてもらいます」


 空調のない資料室に長く留まった影響か、美波の額から汗が一筋、流れた。

目に入る前に手の甲で汗を拭う彼女対して、セブンスは暑さを感じさせない冷淡な表情だ。

あの顔はファーストと、今は亡きセカンドの元殺し屋コンビが思い浮かぶ。


「人を殺すには2つの覚悟がいる。 "こいつだけは生かしておけない"という明確な殺意と、"人を殺すことを躊躇しない"思い切りの良さがなければ人は殺せない」


 刀身から紫色の劇物が垂れる。

美波がそれを認識したと同時に、セブンスがその雫を切った。


「後者は特に、普通に育って身につく感情ではない。 一度人の死に近づかないと、人の死は常習化しない」


 ――――人を殺すには人を殺さなければならない。

死をよく知り、自分なりの解釈で死を呑み込まなくては、目の前の人間に、ナイフを振り下ろすことはできない。


 死と無関係の人間が人を殺したいと願うとき、まずは人を殺さなければ覚悟が身につかない。


「破綻してます」


 ただそれだけ、美波律子は批判した。


「私は何も、人を殺したいと思う奴に講釈を垂れているわけじゃない。 結論は一つ、『死に生きる者は決して望んでその世界に入っていない』。 そこには必ず、悲運かつ偶発的な現象ないしは理由がある」


 死に生きる人間は死に生かされている。

それがセブンスなりの、独自解釈。


「長くなりましたが、美波律子。 貴方を殺す前に一つだけ。 私を殺したいなら、まずは目の前の人間を殺めろ」


 姿勢を低くして、セブンスが構えた。

彼の重圧も去ることながら、美波律子は『初めての人殺し』に緊張を隠せなかった。


 久々の来客に埃の舞う資料室。

本作戦初の純粋な殺し合いが、幕を開けた。

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