ナインス②

「とりあえず一発食らっとけ!」


 木製の銃口から放たれた弾丸は、目にも留まらぬ速度でナインスの傘に突撃した。

このまま彼女に直撃するかと思われたがしかし、奇妙なことに弾丸は傘の生地部分に跳ね返され、足元の床に傷をつけた。


「……そういうことか!」


 あの傘が牙であるなら、「永久不変」の原則に従い弾は貫通しない。

だが「跳ね返る」のではなく、弾は本来、あの傘に着弾して破裂するはずなのだ。


 それが一度傘を介して地面に着弾したということは。

「跳ね返す」ことがあの傘の本質。


「ご明察ぅ。 ちと相性悪いンじゃねぇの?」


 ナインスは傘を前方に開いて、ゆっくり歩みを進める。

10階の廊下は狭く、左右に抜ける隙間もない。


 このままでは不利だと考えた木戸は、来た道を戻って螺旋階段へと抜けた。


「逃げンのかよ、威勢の割にしょうもねぇ奴がよぉ」


 傘を閉じて廊下を進み、木戸を追うナインス。

扉の敷居を跨いだその時、視界の隅に刃物が光る。


 螺旋階段へ戻るふりをして、木戸が入り口の側に潜んでいたのだ。


 ほんの僅かな光の反射にナインスが気づいていなければ、ナイフは傘の合間をすり抜け喉元に突き刺さっていただろう。


「ぁン? いいねぇ。 泥臭いのは嫌いじゃない」 


 ナイフが傘にぶつかった途端、木戸の片腕全体に奇妙な斥力が発生した。

木戸が加えた力をより大きな反発力で押し返すのではなく、そのままベクトルを反転させて返すイメージ。


「……なるほどどうりで……!」


 似たような能力に一人、覚えがある。

加々峰峯也のペアナイフ。

 あれも確か、切りつけた物体のベクトルを変える牙だった。


「さっきからぁつまんねぇ玩具ばっか使ってンじゃねぇぞ! 牙ぁ使えや牙!」


 木戸の不意打ちも失敗に終わり、螺旋階段を舞台にした大立ち回りは、ナインスがジリジリと追いつめる形で進行していった。


「クッソ面倒くせぇ! もう終わりにするぞ!」


 痺れを切らせたナインスが懐から取り出したのは、四角いライター。

普通のものと違ってバーナーのように火が吹き出るタイプだ。


「傘回しって知ってるかぁ!? 私の牙ぁ使えばな、こんなことだってできンだぜ!」

「何……!?」


 ナインスはライターオイルを傘の生地に撒くと、おもむろに火をつけた。

火はまたたく間に傘を覆い尽くし、このまま周囲にまで広がるかと警戒したその時。


 ナインスが傘を器用に回すと、なんと火が球状の塊にまとまって、まさに傘回しの如く跳ねた。


「……いや、そうはなんねぇだろ!」


 轟々と燃え盛る火球が人間大に収まる奇妙な現象に、木戸は条件反射的に指摘をした。


「なってンだよ実際。 これぇ練習すンのには骨が折れたぜ」


 傘で炎を弾いて、場に停滞させる。

本来防御面の目立ちがちな彼女の牙を最大限攻撃に利用している、敵ながら感心する応用法だ。


「ちょっ……ちょっと待てよ! そんなもん放ったらセントラルビルが燃えちまうだろ!」

「はン。 このクソ火の燃え広がりやすい吹き抜け構造が、防火対策してねぇわけねぇだろうがよ! スプリンクラーぐらい付いてるわ!」


 違う。

スプリンクラーを含む防災、防犯システムはリベリオンによって全てダウンしている。


 仮にこの階が燃えてしまえば、これより上階の資料室が灰になってしまうだろう。


(図らずしも……決して躱せない状況というわけか……!)


 解決策を探る隙も与えまいと、ナインスが傘を振るった。

火球は依然ひとまとまりに燃え盛ったまま、木戸乃至足元の階段に飛びかかる。


 避ければビルが燃える。

受ければ自分が燃える。


 刹那の葛藤の末、木戸は右腕を火球に突き出し、受け止めることを決断した。


「はッ! いいねぇッ受け止めるか! よっぽど牙に自信アリと見えるねぇ!」


 初めのピストル銃も、奇襲に使ったナイフも木戸の牙ではない。

彼の牙の本質は『収納・格納』。

 つまむほどの大きさしかない、ビー玉の中にあらゆる物質、サイズのものを入れておける能力。


 その牙にかかれば、火炎すらも収納適応内だ。


「……はあ〜ン、思い出したぜ。 オッサン、牙収集家コレクターだな?」


 消えゆく火炎の奥でナインスが聞いた。


「それ呼んでんの、うちの馬鹿所長だけだと思ってたんだが、広まってたのか」

「金目的じゃなく牙を集める奴は珍しいからねぇ。 ……しかし、噂に聞く収集家の牙がこんなものたぁ驚いた。 私はてっきり、もっと戦闘向きの牙かと思ってたぜ」

「意外だったか?」

「あァ。 ど〜りで最初に使わねぇわけだ」


 木戸の牙は、ただ物を出し入れする、それだけの能力。

しかしそれ故に、能力の幅が利く。


 黎明期に多く世に出た、桜の初期作品に見られる傾向の能力だ。


「ただ、状況は何一つ変わってねぇぜ? その仕舞った火の玉を使おうったってぇ、私には傘がある」

「正面突破を完全に封じる能力、確かにお前の牙は厄介かもな。 だが俺には経験がある」


 木戸が手に入れた牙の数、およそ千。

その全て、ひとつも金で買ったものなどない。


「牙持ち千人抜き、それが出来ない奴に俺は倒せん」


 木戸は、自身の牙をナインスに投げた。

野球部の先輩にボールを渡すように優しく、高い放物線を描いて、ビー玉が宙を舞った。


(――なンだ? 投擲……遠隔操作が出来るのか? いや、違う!)


 本命は……木戸孝允自身!


 視線が一瞬、上方へ向くのを利用して、木戸が間合いを詰めた。

この状況で自分の牙をブラフに使ったのだ。


 その代償はあまりに大きくとも、値千金の接近戦。

どちらかといえば木戸の余裕のなさが垣間見える行動に、ナインスの人を嘲る笑みは取れなかった。


「この期に及ンでまだ私と張り合う気たぁいい度胸だ! 返り討ちにしてやンよ!」


 玉が軌道の頂点に達する。


 木戸のナイフが傘に弾かれ、右半身に後ろ方向の衝撃が発生した。


 玉がゆっくりと落下を開始する。


 木戸は後ろへの反射を利用し、身をねじって衝撃を回転力に変換する。

実質的に2発分の力が籠もった一撃、こちらも傘で弾かれた。


 玉はその速度を増しつつ、組み合う両名の間を着地点に定めた。


 反射すれば反射するほど、威力を増して傘にぶつかる。

一瞬でも状況を見誤ると取り返しがつかなくなる、木戸の突き止めた攻略法。


 その狙い通り、ナインスが気づく前に、およそ2撃、攻撃を溜めることができた。


「掠っただけで吹っ飛ぶこの威力……お前が喰らってみるか?」

「ほざけッ!」


 やっと木戸の思惑を察知したナインスが身を引いた。

正面に傘を構えたまま、低い螺旋階段を5段飛び越える。


 ――だが、その行動こそが、木戸の真の狙い。


 傘のベクトル反射を失い暴走した回転力は、宙のビー玉、木戸の牙を捉え吹っ飛ばす。

目を見張るスピードで壁に衝突し、傘のガードの僅かな隙間を縫って、ナインスにヒットする。


 木戸がビー玉を投げてから、落下するまでの間。

刹那の攻防を制したのは、木戸孝允であった。

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