ナインス

 木戸孝允、というと幕末から明治にかけて活躍した"あの"木戸孝允が思い浮かぶだろう。

何を隠そうonAirの木戸孝允はその子孫…………ではなく、名字が同じという他に共通点はない。

木戸孝允のような人に育ってほしいと願ってつけられた名でもない。


 ただ同姓同名だと面白いという理由だけで木戸孝允は木戸孝允であると親より定められたのだ。


「10階……に間違いないだろうな……」


 セントラルビルの基本構造として、一階から最上階までを繋ぐ直通の移動手段がない、という特徴がある。

両翼、中心の階段は一般客の入れる8階までで打ち止めとなり、その後は羽山教事務員の職場になって共通の螺旋階段で上へ登ることとなる。


 本作戦で単独行動を取ることとなった木戸は、その例に習って螺旋階段を登っていた。

何処の頓痴気な設計者が作らせたのか、階数表示なし、一段の高さが10センチ程度と正気を疑うデザインである。

その甲斐あってかれこれ半時間ほど、木戸はビル内をさまよっていた。


「他の奴らはうまくやっているだろうか……」


 作戦開始直後は下が騒がしかったが、それももう止んだということは決着がついた、ということである。

勝敗に関しては心配していないが、Fangsの面子には安定性にかける人間が多い。


 加茂は牙の能力がまだ不明瞭だし、音無は持続戦闘が得意ではない。

何より卜部の人間性が一番の気がかりだ。


「俺も人のことを言えた口ではないが、頼りになるのが新人というのも……やるせないな…………ん?」


 なにげに壁に手をついたところ、若干の凹凸を発見した。

詳しく撫で回してやっとわかる、これは数字のいちとゼロである。


「……壁と同じ素材使ってんじゃねぇよっ!」


 壁を殴るのはなんとか堪えて、真ん中の窪みをタバコの火消し代わりに使うくらいで許してやった。

きっとこういうところで、気が短いだの喧嘩っ早いだの言われるのだ。

反省はするが、改善する気はない。


「……それで、ここからどうするんだっけか」


 確かトエルブが言うには、10階と11階は未だ用途の決まっていない空き部屋になっているそうで、その中で10階の一部屋以外は全て施錠がされている。


 その唯一使われる一部屋というのが、羽山教幹部、ナインスの部屋らしい。


「しかしこの広さ……一旦、トエルブに聞いてみるのが早いか」


 木戸は未だに折りたたみ式の携帯電話を使っている。

慣れた手付きでボタンを操作し、階下の仲間達へ連絡を行った。


『木戸孝允。 どうかしたか』

『10階に着いたんだが、ナインスはどの部屋にいるんだ?』


 トエルブはしばらく言葉を選んで答えた。


『……あそこの入り口にはナインスが個人で監視カメラを設置していてな、もし誰かがあの螺旋階段から10階を訪れれば必ず気づかれる。 そこで待っていれば、自ずと向こうからやってくるさ』

『そうか…………ところで、お前はフィフスの担当だろ? その様子じゃ無事に終わったみたいだな』

『いいや、無事ではない。 私は恐らく肋骨が折れているようだし、藤芝康平は片腕が飛んだ』

『藤芝? なんでまた……』

『色々あったのだよ。 今上階に向かっているのは加茂修一に音無楓、エイスとテンスの4人だけだ』

『卜部のやつはどうした』


 耳障りなノイズの後、聞き慣れた所長の声がした。


『木戸ぉ、私はもう疲れたよ』

『部下二人だけ先に行かせといて、偉くなったもんだな』

『信頼してるんだよ。 あの子達も君も』

『はぁ…………トエルブの牙もあることだし、さっさと上がってこいよ』

『そのことだけどね、どうやらトエルブの牙――』


 このまま話を続けると、彼女は言い訳しか口に出さないことを知っている。

その前に通話を切って、微量のストレスを発散することに成功した。


「…………」


 改めて10階内部を見回してみると、気づいたことがある。


 トエルブの言っていた監視カメラだが、これは確かにあった。

個人が玄関前とかに設置しておく、小さいやつだ。

 ただ、本当に置いてあるだけでコードが通っていない。

木戸もonAirの地下室に監視カメラを設置したことがあるからわかるが、ああいうスタンドライトみたいな形のカメラは別にケーブルを壁に収納する部分があるはずだがそれがない。


「それはなぁ、置物ンだよ置物ン。 雰囲気ぃ出てるだろ」

「あ?」


 廊下の先、曲がり角の奥から声が聞こえた。

少々ドスの利いた、かすれ声とは少し違う、喉の奥から響く声だ。


「実を言うと、付け方ぁ分かンなくてな。 人が来たかは音聞いて確認してンだ」

「……お前がナインスか」


 上から適当に羽織ったカッターシャツに、黒いスラックス。

何より目を引くのは、つま先から胸元の長さがある傘。

こちらも黒く、正面に向かって開けば身体全体を漏れなく覆い尽くすことが可能だろう。


「そうだけど、あンたぁ誰よ」

「木戸孝允。 カフェの店長をやってる」

「そりゃぁまた、訳のわからねぇ奴が来たもンだ」


 女……多分、女で合ってると思う。

声質や立ち振舞は女性のそれなのだが、どことなく、中学生みたいな子供と大人の中間を感じさせるのだ。

そのあたりの年代にたまにいる、本人に聞かなくてはわからないほど中性的な人物。

卜部の生意気さそのままに背と外見年齢を下げた感じだ。


「そういやぁ、律子が侵入者がどうとか言ってたな。 この10階に入ってきてるってぇことは、きっと内部構造に詳しいやつとかが仲間にいるンじゃねぇの?」

「意外と、頭回るじゃないか」

「ンなもン誰でもわかるだろ。 あ? なにか? 馬鹿にしてンのか?」

「は?」

「あ?」


 最初に木戸を一人で10階に向かわせると卜部が言ったとき、自分の実力を信頼しての采配だと思っていた。

 だが、たった今ナインスと言葉をかわして、その真意を理解する。


(……俺がキレっぽいからだ)


 こと好戦的な態度に関して、木戸とナインスとは似ている点が多い。

そんな二人を出会わせればどうなるかは明白で、卜部は"こうなること"を見越してわざわざ木戸を指名したに違いない。


「……まぁいい。 どの道お前さえ倒せれば、それで役目は果たせるんだ」


 木戸は木目調のピストル銃を、どこからともなく取り出した。


 牙の勝負はどこまで感情を押し殺し、相手の能力を観察するかが勝負の分かれ目。

数々の修羅場をくぐり抜けてきた木戸は、この状況で相手よりもクレバーになることに徹していた。


「倒すぅ? 笑わせンなよ、オッサン」

「あぁ言ったなテメェ!? 絶対ぶっ殺してやる!」

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