下準備④
「おいおい、見たか? 今朝のニュース」
朝8時頃、加茂の携帯電話を鳴らしたのは錦野だった。
普段なら寝てるか起きていても無視しているところだが、今回は別だ。
錦野に一つ、確かめておきたいことがあった。
「知ってるよ、羽山教の件だろ?」
「そうそう、なんでも今日の夜、黒澤の支部で羽山宗王本人が講演会をやるらしい。 今まで性別すら謎だった人物が突然顔出しなんて変だけど、街中大騒ぎだぜ」
そう、今日は大事な大事な羽山宗王の講演日。
……ではなく、もちろんガセである。
作戦会議でトエルブが示した3つの壁、そのうちの一つが信者たちの存在だ。
彼らは一人ひとりが羽山宗王のためなら喜んで命を捨てる程の狂信者であり、数も多い。
正面からまともにぶつかれば勝ち目はない。
そこで、彼らをてっとり早い方法でセントラルビルが取り除くべくトエルブが提示した案が本作戦というわけだ。
奥野さんたち牙対の人員と加々峰の裏社会への豊富なパイプを駆使して情報操作を敢行した。
本日8時から、セントラルビルから遠く離れた黒澤市で講演会を行い、羽山宗王の素顔が初お披露目される重要な講演だ、という内容である。
もちろん、本物の羽山宗王からなにかしらの反発はあるだろうが、一夜のうちにネットを介して情報は広まりきっている。
顔も出せない教祖が「もしかすると素顔が見えるかもしれない」という信者たちの希望的観測を打ち消すことなど不可能なのである。
目論見通り、今や赤羽市はちょっとしたパニック状態で、急遽に仕事を休む人が続出しているとのことだ。
「まあ……俺は行かねぇけどさ……修一は?」
「そうだな、もし本当に羽山の顔が見れるなら、行ってもいいかもな」
「それどういうことだ――」
加茂は寮内の掛け時計を見て、通話を切った。
二人は古くからの仲であるから、このくらいでどうこう言い合うレベルでもないのだ。
階段を降りて事務所を目指す途中、加々峰に出くわした。
今回の情報操作に一役買っている彼は非常に忙しそうで、数日前に事務所で寝ている姿を見かけたきり、所在が見えなかった。
「……大丈夫か」
「なんとか生きてる。 人間ってのは案外、睡眠時間は重要じゃないらしい。 俺の場合は特にな…………眠るのには気を遣う……」
何を言っているかはわからないが、多分大変だったのだろう。
「……ちょっとまってくれ」
加々峰が寮へ戻ろうとするのを見て、疑問を抱いて呼び止める。
「もうすぐ集合時間だけど、加々峰は来ないのか?」
すると、加々峰がうしろ髪を掻いて欠伸をした。
「あとは任せる。 気力も体力もないし、行ったところで足手まといになるだけだ」
「そうか……」
Fangsからは加々峰を除く4人、牙対からは唯一の牙持ちである藤芝、そして反羽山教組織リベリオンからはトエルブ、エイスを中心とした6人のメンバーが揃った。
「11人いるね。 それじゃあ、手筈通りに頼んだよ」
それ以上の言葉はなく、まずはリベリオンの一行が消えた。
トエルブの牙を近くで体験すると分かるのだが、人が消えた後の空間は一瞬だけなにもない真空の状態になって、次に気流となって周りの空気が収束する。
逆に人が現れる時には、空気が押し出されて膨張する。
だから何だという話だが、加茂の牙で研ぎ澄まされた感覚器官を持ってすれば人物の特定は容易ではないにしろ、ある程度の規模、場所の予想はつくのである。
(役に立つかはわからないが……)
続いて事務所を出る藤芝を見送って、加茂は覚えておくに越したことはないだろうと小さくうなずいた。
「しかしこの作戦、本当に上手くいくのか?」
今日、加茂が確認しただけで3本目の煙草に、木戸が火を付けた。
「私達の目的は須藤癒乃の奪還。 でもトエルブたちと手を組んだ時点で、それはもう通過点でしかない。 最終的には羽山教をぶっ潰すのが理想なんだ。 どんな形であれね」
「やっぱ探偵はどこまで行っても探偵だな……やることは結局書類あさりかよ」
「だね、須藤癒乃が自身の希望で羽山教に行ったとなれば私達は別の角度から、言っちゃああれだけど羽山教の『闇』ってのを見つけなくちゃいけない」
表向きでは羽山教幹部のトエルブらリベリオンが自分たちだけでは不可能だと感じたからこそ、Fangsに声をかけたのだ。
恐らく羽山教は教祖の羽山宗王、もしくは秘書の美波律子のどちらかまたは両方を主導に活動している。
だからこそ羽山教の尻尾を掴むには、これ程の大博打に出なければならないわけだ。
「ネット上の掲示板とか、SNSなんかにはそれなりに黒い噂も囁かれてる。 セントラルビル周辺の商業施設には全て羽山教の息がかかっていて、そこは実質的に羽山宗王の支配する国同然である……。 それに、市議会にも絶大な影響力を誇る羽山教は、裏で市長選の結果を操作して、羽山教に肯定的な人物だけを選んでいるとか。 真に受けるわけじゃないが、これらの噂に共通している点は『羽山教の反対勢力が存在すること』だ。 じゃなきゃこんなこと、わざわざ書き込んだりしないしね」
羽山教を良くないと思う人が一定数いてこその悪評であるのだから、火種は存在している。
利用できるものは可能な限り使わないと、作戦成功は望めない。
「いいかい? 役割をよく考えて行動すること、特に楓と木戸はすーぐキレるからそのあたりしっかりしてね」
視界が切り替わった。
常に埃っぽい事務所とは変わって、大理石の小綺麗な大部屋に出た。
セントラルビル一階のエントランスである。
「作戦通り、木戸は別行動だね……じゃあいこうか」
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