元アウトロー③

 力任せの右ストレート、聞いたこともない音で空を切る。

……かわされた。

 脛を狙ったローキックも空振りに終わり、体制を崩したところに軽いジャブをもらう。

牙の効果で痛みはほぼないが、平常時なら歯が数本は飛ぶであろう、容赦のない反撃だ。


「随分昔、海外でで有名な巨木に触れる機会があった。 大人が5人くらいで両手を広げて輪を作って、ようやく囲えるくらいの大木だよ。 ……君の体はあれより丈夫かもしれないな」


 加茂の口元から溢れる蒼い煙を物珍しそうに観察しながら、トエルブは笑った。


(……バケモンかよこいつ! 牙がどうとかの問題じゃなくわ、そもそも攻撃が当たんねぇ!)


 俺の攻撃が規格外のスピードとパワーを持ってることはわかる。

そういう能力で、性質だからだ。

 しかしトエルブ、彼の実力は底のしれない不気味さがある。

牙を前にして怖気づくことなく、あまつさえ互角に渡り合うなど……経験則で考えて、とても人間業ではない。


「他人の真似事にしては中々、よく出来てるじゃないか。 これなら1ヶ月もしないうち、ファーストあたりは追い抜けるんじゃないだろうか」

「……勝手に話進めんなよッ!」


 渾身の力で床を踏みつける。

トエルブが飛び退いた場所には、ちょっとしたクレーターが出現していた。


 飛び上がった破片群を投げつけて、前方に散弾銃のような跡を作った。

トエルブはとうに自分の背後に立っていたのである。


「ほう? 面白いな、君は」

「なッ……」


 重心が前に傾いた所を受け流しの要領で転がされる。


 完全に遊ばれているのは自覚していた。

だが1回、たった1回攻撃を当てることができたならば、一気に戦局をひっくり返す能力を、俺の牙は有している。


「センスは独創力だ。 いかなる場合において試みを忘れない気概は天賦の才であって、ファーストやエイスにはこれがない」

「あ……?」


 加茂が凄みを聞かせて威嚇するが、そんなものも意に介せずトエルブが続ける。


「度重なる練習を経て技や足運びを固定化するのも、また鍛錬といえよう。 だがしかし、勝負の本質とは自己の革新、新天地の開拓ではないか?」


 こいつは一体何を言っているんだ。

発言も理解できないし、そもそもなぜ今そんなことを話す?


「君には勝負の才能がある。 それは駆け引きが上手かったりフィジカルが優れていることではない。 単純に『成長性が』秀でている。 私はそれを見込んで、君と村正の刀主に声をかけたのだ」

「独り言ならよそで言えよ」

「そういう物言いは直したほうがいいとおもうね、私は」


 加茂の中で、トエルブの不気味さだけが肥大化し続けていた。

彼に一矢報いることなど、不可能ではないか?

俺がいかに奇抜なアイデアでトエルブを出し抜こうとしたところで、彼はその一歩先を悠然と歩く男なのではないか?


 そんな不安が脳裏をよぎって、加茂は作戦を改める。


「……」


 近くの窓に見える川の河口部を見据えると、一直線に走り出した。

 とりあえず、今の状況で加茂が取ることのできる行動は逃げが最適解だ。

羽山教陣営に存在する人体転移の能力を有した牙、あれがある限り加茂に逃げ場はないように思える。

が、onAirでの木戸孝允の言葉を借りると牙は『代償必然』。

クールタイムや効果範囲、ひいては牙の全容を掴むための、「戦略的撤退」なのである。


「逃げるか……まぁ、引き戻されることは前提の安牌と言ったところだろう。 …………シクス、出番だ」


 そう言ってトエルブが通信機のようなものを取り出したのを、加茂の研ぎ澄まされた聴覚と視覚が見逃さなかった。


「――――っか? …………ッ、もう時間切れか」


 窓枠を越えたあたり、お互いの距離は10mほどだろうか。

トエルブが声を張り上げた。


「加茂修一! どうやらここまでのようだ! また次の機会にじっくり話し合おうじゃないかっ!」


 瞬間、廃工場に佇むスーツの男の姿が消える。

トエルブがいなくなった空白部分に、そこはかとない不自然な自然さが埋め込まれた。


 確かにそこにあったはずのものが、全く別の存在になってそこにあったと偽られる。

これはとても不自然で、凶悪なことだった。


「逃げた……のか?」

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