セントラルビル近郊④

 歩道橋をいとも簡単に粉砕した特大の銃弾を止めて見せたのだ。


 喜びよりも底なしの安心感、安心感よりも自身の無謀な挑戦への非難の念が強かった。

それだけ加茂の行為は不可能に近く、代償を伴うものであったのだ。


「……痛てぇ」


 手のひらに激しい火傷を負っていた。

弾丸はコインのように平べったく変形していたが、やはりタダでは止めさせてくれなかったらしい。


「なんで庇ったの」八重原が聞いた。


「俺に未練が残ってたからだ」

「……未練?」


 あと少し、牙という底なし沼に両足を沈めていればもう戻って来れなかった。

きっと俺は、狙撃手と八重原の間で能力の共有がなされていないことを利用して、勝っていただろう。


「そうしなかったのは多分……家族友人が恋しかったんだ。 俺にはまだ、捨てなきゃいけないものが多すぎる」


 裏を返せば、Fangsの一員として、加茂は未熟物だ。

無理強いされて加入した思い入れのない組織だが、やるからにはもっと崇高な精神で望まなくてはならない。

それは何かを捨てることで得られる物かもしれないし、業務をこなす内、勝手に身につく物であるかもしれない。


 どの道、加茂は気分を変える必要があった。

もっと非情に、もっと残忍に。

人助けという至極真っ当な行動を、目的のために手段へと変えねばならない。


「八重原、実は俺、警官じゃないんだ。 本当はFangsって組織の一員」


 彼女は驚いた顔で言った。


「貴方が警官じゃない事に気づいてないと思われてた事にびっくりしたわ。 Fangsの加茂修一」

「……情報が筒抜けじゃないか、まったく」


 懐中時計の針は止まっていた。


 八重原はスマートフォンを操作すると、どこかにメールを打ってため息をついた。


「……もうノルマは達成済み。 私は帰るわ…………、なに、泣いてるの?」

「――牙の副作用だ、気にするな」


 子供一人分の血液が補えそうなほど、涙が溢れてくる。

木戸と組手をした時より遥かに多く、視界を遮った。


「貴方はもしかすると、気に入られるかもね」

「誰に」


 返事を聞く前に、八重原の姿と狙撃手の気配が消えた。

音無らが遭遇したトエルブの能力だろう。


 彼女らと入れ違いで加ヶ峰が到着した。


「――逃げられたか! くそ、他人まで移動させられるんじゃ強すぎ……って、なんで泣いてんだよ、加茂」

「何でもない。 それより、戻ってきたぞ」


 車が一台、また一台と徐々に増え始めた。

通行人も同じで、何事も無かったように横断歩道を待つために加茂の後ろへ並び始めた。

ただ一角、歩道橋を除いて、夜の街は元通りの排他的な空間へ逆戻りだ。


「この地域一帯、ほぼ全てが羽山教の支配下だとよ。 牙対の奴らでも避けて通る居心地の悪さで、羽山教のメッカ、ブッダガヤ……要するに聖地って訳だ」

「でも俺が戦った相手には、そんなに大それた信仰心はなかったように見えた。 あくまで自分本位に、都合がいいから羽山教にいるみたいな」

「よくある事だ。 行政とか……会社の仕組みでも、『野心を持った』人間は必ずいるもんだ。 そーゆーのはむしろ、狂信者より扱いやすかったりするし、懐柔も簡単なものが多い」


 加茂と加ヶ峰が向かったのは、署とは真逆の事務所方面だった。

八重原が帰ったということは本命のトエルブが襲撃を終えた合図であり、今から加茂達が向かってもひと足もふた足も遅いからだ。

署にいるはずの音無から連絡を待つのが妥当だろう。


「加ヶ峰……お前は、友達とかいるか? 牙のことも知らない、純粋な世間話で盛り上がれるような」


 加ヶ峰は少し悩んで、中華料理店のネオンサインを見ると思い出したように手のひらを叩いた。


「いないな」

「いないのかよ……」

「でも友達はいる。 新聞記者の女で、週に一回くらい牙のことを聞いてくるしつこい奴でな」

「あぁ、話しちゃまずいんだっけ」

「いや、話すのはいい。 メディアを使って発信するのがダメなだけだ。 ……それでその女、人の何倍も知識欲が高いというかな……自分の為に牙を知ろうとしてる。 だから邪険にせずに話してやってたんだが、いつの間にかもう3年の付き合いだ」


 加ヶ峰は加茂の質問の真意に気づいていたようだった。

それでも指摘せず、乗っかった上で自分の意見を伝えるのは彼特有の話術が成す心地の良さだ。


「なんだかんだで俺は女を頼ってるし、女の方も牙と関係ないことで連絡してくることも珍しくない。 ――それは友達とは呼ばないのか?」

「……俺には、友人に隠し事をできるほどの度胸はない」


 かと言って、錦野をこちらへ引きずり込むのも、決してあってはならないことだ。


「安心しろよ」


 街灯で星は見えなかったが、加ヶ峰は上を向いてどこか一点を見つめていた。


「強くなるのに、Fangsの奴らを真似る必要は無い。 俺達は5年前、『強くなるしかなかった』んだ。 短期間で力を得るには、捨てれるもんは全部捨てて身軽になって、組織につくしかなかった。 そんなどうしようもない奴らの背中を追うんじゃねぇ」


 お前はこれから、俺たちが持ちきれなかったものをいくつも持てる土壌に育つんだ。

取捨選択なんてする必要ないくらい恵まれてんだよ。


「……お前、ほんとに俺と同い年か?」

「当たり前だろ、正真正銘20歳だぜ俺は」


 事務所に帰ってすぐ、卜部から須藤癒乃が誘拐されたことを告げられた。

音無が対峙する間もなく、トエルブの現れたと思って5分の出来事であったという。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る