セントラルビル近郊③

 なんだ……何かが変だ。

言葉では言い表せない凝りが喉元につっかえて息を詰まらせる。


 八重原の足技を基礎とした体術には気だるげながらも傲岸不遜な態度を裏付ける実力があった。

だがそれ以外にも、彼女の強さを助長する大きな要因がどこかにあると加茂は推測する。


(俺が声をかけるまで、八重原は横断歩道を往復していた。 目的はなんだ?)


 歩く時間や距離に応じて強くなる……いや、それなら横断歩道である必要が無い。

効率がいいから、という八重原の言葉を信用すると、『待つ』事に意味があるのだろう。


「お前の牙、待つと強くなるのか?」


 このまま正面戦闘を続けても埒が明かないと踏んで、一つカマをかけてみた。

彼女の自信過剰につけ込むようで気乗りしないが、一刻を争う自体だ。


「違う、待つと弱くなるの。 貴方がね」


 益々謎の深まる言い回しで、八重原は華麗な薙ぎ蹴りを放つ。

新品のガルウイングくらいなら一発でへし折れそうな威力だが、加茂の牙で強化された反射神経の前には大斧を振るうようなものだった。


「攻撃しないの?」


 見え透いた挑発だ。

しかし同時に、なぜ反撃しないのか自分でも不可解だ。

八重原のアクションを待たずともこちらの力押しでどうとでもなる気がするのに、今まで実行してこなかったのはやはり牙の恐ろしさが関係しているかもしれない。


 自分だけが理由を知っている、と言う代わりに八重原がニヤリと笑った。


「見た感じ貴方のは単純なパワー勝負しか出来ない、よくあるタイプの牙ね。 私と相性最悪の可哀想な牙」

「攻めきれてないくせによく言うぜほんと」

「やってて分からないの? 貴方の言った通り、目的はただの時間稼ぎよ」

「そうかよ、俺でよければ日が明けるまで相手してやるぜ」


 やはり彼女と狙撃手の2名は加茂達が署へ加勢に向かわないよう足止めをする役割だった。


 狙撃というものは攻撃性を注目されがちだが、その実いつ狙われるか分からない恐怖感を敵に与えて士気を下げるのが主な役割だ。

今回の足止めに関してはまさにうってつけの手法であり、羽山教も人選を吟味しての2名というわけだ。


「……そろそろ反撃したいんだがな、不思議と手を出す気が起きねぇ」


 思い返せば、加茂が牙を手に入れてから誰かに攻撃を当てたことは一度もない。

音無、加ヶ峰、木戸、全員が加茂より何枚も上手だった。


「当たっちまうのが怖いのかもな」


 自分はまだ、Fangsとしての自覚がない。

朝から夕方までバイトして、寝るまで壁の染みを数える空虚な生活が体から抜けていないのに、喜んで送り出してくれる家族も知り合いも居ないから環境の変化に対する実感が薄い。

錦野に会いに行ったのだって、未練の表れが行動へ顕著に現れたいい例だ。


 もっと自覚を持て!

卜部や木戸のようにマルチタスクをこなせるようになるのは今じゃなくていい。

目の前の課題にもっと真摯に、全身全霊で取り組む気概をもて!


 吐く息がいっそう蒼く濃くなった。

しかし今まで加茂を支配していた全能感はきれいさっぱり取り除かれ、ギアが一段上がった感覚がする。


 八重原がブレザーの下から懐中時計を取りだした、金色のメッキが剥がれかけたアンティークの品物だ。


「安心しなさい、悪いのは私の牙だから」


 八重原は相変わらず顔に笑みを張りつけたままで、余裕のある態度はあの赤髪女を彷彿とさせ実に顰蹙を買う。


「私の牙は”待つ”ことを旨として使用者を何より優先させる牙。 待った時間だけ懐中時計の針が進んで、優先されると針が戻る。 ――言ってる意味、わかるかしら」


 彼女が説明している間にも、懐中時計の針は反対に回り続けていた。

『優先』という言葉の意味を図りかねていた加茂だが、彼女に対して質問することが出来ないのに気づいて、やがて理解した。


「そう、前までの待機時間を削って私の言葉を優先させてるの。 牙を使ってる間はあらゆる面で優先されるのが欠点だけどね」

「なんでそんな大事なこと、わざわざ俺に説明するんだ」

「どう解釈してもらっても構わないわ。 ただ、今の説明で1分は経ってること、理解しといた方がいいんじゃない?」


 再びの轟音と閃光がビル街を走り抜けた。

狙撃手の第二撃は歩道橋の半ばに直撃し、両端の階段を残して崩落した。


 このままじゃ俺も加ヶ峰もジリ貧だ。

そう判断し片腕を回すと、木戸の見様見真似で構えをとった。


「無理だって言ってるのに」


 確かに、八重原の牙が発動している間は彼女の攻撃が優先され続ける為、こちらから仕掛ける行為は全て後回しになってしまう。


 だがそれも、懐中時計に蓄積された待機時間が残っている限りだ。

底は見えている。


「要するによ……お前を優遇させ続ければいいんだろ?」

「そうなるわ」

「じゃあ簡単だ。 見てろよ」


 アスファルトの地面から手頃な小石を摘んで、信号機に投げつけた。

赤いライトにぶつかって軽い音を立てると、そのまま真っ逆さまに落ちて舗装路に紛れた。


「お前はさっき『あらゆる面で優先される』と言ったが、俺の投げた石は優先されずに信号機へ飛んで行った」

「言葉の綾よ」

「本当かどうかはすぐ分かる事だ」


 飛び道具が彼女に向かう……つまり”優先される”場合、対処法は『優先能力を解除させること』だ。

本来敵の攻撃を封じるための『優先』が飛び道具を引き寄せてしまう悪い方向へ向かってしまうため、一度能力を解き投擲物が過ぎ去るのを待たねばならない。

同時に攻撃されるとどちらかは喰らわなければならない仕組みだ。


「拳か銅弾か、どっちが欲しいか選ばせてやるよ」


 財布に入っていた十円硬貨を指で丸めて即興の弾丸を作り出し、いつでも射出できるように親指へ力を込める。


「……そろそろ潮時かもね」彼女の表情から初めて笑顔が消えた。


 今まさに双璧決着をつけんとする瞬間、加茂の覚悟に暗雲が立ち込める。

それは青い牙の能力で研ぎ澄まされた第六感が発した警告であり、八重原の牙が発する優先信号による攻撃中止ではなかった。


 ビルの上だ。

僅かなスコープの反射光で方角だけは察知できるが、詳しい距離、高さは判別できない。


「おい…………待て、待てよ……!」

「? 何を今更、待つのは貴方の方よ」

「違うそうじゃない! 幹部の間で牙の能力は共有し合ってるのか!?」


 不味い。

二撃目の発射から何秒経った?

恐らくもう照準は合ってる! 後は引き金を引くだけだ……!


「そんな事言って私になんの得が……」


 渋る彼女に、加茂は凄みを利かせて詰め寄った。


「狙ってんだよ! 屋上の奴の次の狙いは俺だ! 死にたくないなら能力を解け!」

「……断る。 今能力を解除すれば、貴方が殴りかかってくるのは明白だもの」


 このままだと押し問答だ。

今から加茂が優先圏の範囲外まで移動することも、加ヶ峰に連絡して応援に来てもらうことも間に合うとは思えない。


 止められるか? 弾丸を。

無理だ、音速を余裕で超える鉛玉だぞ。


「……っくそ!」


 あんなの当たったら死ぬに決まってんだろうが!

それを2発も! 住み慣れた街中で!


 ……こうなったらダメでもともと、やるしかない。

呼吸を止めて、目を見開いてビルを凝視した。


 10秒ほど経っただろうか。

気づいてすぐ走り出せば間に合ったんじゃないかと後悔し始めた頃、微かにスコープが光るのを察知した。

射撃の反動で銃身が動いたのだ。

次に音が聞こえるより早く、弾丸が反時計回りに迫ってきた。


 全てがスローモーションで、背後にいる八重原が呆然としているのも、少し奥の加ヶ峰がこちらへ走っているのも手に取るように分かった。


(横から衝撃を加えて弾いても飛ぶ場所が八重原に優先される! ……なら、両方から挟んで潰す!)


 両の腕にめいいっぱいの力を込めて、願掛けするように一拍、弾丸を押し潰す。

体が動く程の運動エネルギーが押し寄せてきて、危うく八重原にぶつかりそうな距離まで引きずられた後、煙と共に手中の弾丸は停止した。


「……止まった」

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