セントラルビル近郊
加茂と卜部が事務所へ帰ってから、トエルブの件が耳に入るまでさほどの猶予もなかった。
卜部と加ヶ峰は牙対の代表者との協議へ向かい、音無は須藤癒乃の護衛のため署に居るらしい。
来るべきトエルブの再襲撃に備えFangsの面々が体制を整える中、加茂修一はただ暇を持て余すばかりだった。
(トエルブとかいう男が癒乃を狙う理由はなんだろう?)
どうすれば同じFangsの一員として役に立てるか、加茂は必死に思考を巡らせて考察してみた。
木戸の”牙は一人一つ”という教えに習うと、癒乃が牙を所持していた場合にその効果を発揮できるのは癒乃だけだ。
つまり癒乃と癒乃の牙はワンセットで扱わなくてはならない。
そうすれば必然と、トエルブが癒乃を欲する理由が分かる。
彼は目的のために癒乃の牙を利用したがっており、その目的が果たされるまで癒乃は狙われ続けるし身の安全は保証されるということだ。
(目的までは分からないが……それを突き止めるのもFangsの役目じゃないのかな)
加茂はそう思い立つと、新品の鍵を使って雑居ビル三階の自室を後にした。
*
「って訳なんだけど……おい、ちゃんと聞いてんのか?」
「聞いてるって。 ただちょっとこの店のピザが美味しいだけ」
こいつに相談したのが馬鹿だった。
加茂は額を押さえて溜息をつくと、高校時代からの友人・錦野の為にもう一度、これまでの事態を丁寧に説明する。
勿論牙のことは伏せてだ。
「ある組織の重役の男が、超能力の使える少女を狙ってるとするだろ? そしたら、男はなんの大義があって少女を求めてるんだ?」
「なんだそれ、心理テストかなにか?」
「なんでもいいだろ。 俺は錦野に聞いてるんじゃなく錦野の『勘』に聞いてるんだ」
「いい加減俺の勘に頼るのはやめろよな、全く」
錦野は牙を持っていないが、出会った頃から彼には不思議な力があった。
いや、不思議な力と呼ぶより、特異体質と呼ぶのが的確か。
彼の勘は必ずと言っていいほど当たる。
正確には、勘が当たるか外れるかの空気の流れが読めるのだ。
夏祭りのクジ引きで錦野が自信満々にくじを選んだ時には必ずハンドベルが鳴るし、逆に手つきに寸分でも迷いが見られるようなら下位等賞は免れない。
人生の細かな選択肢の中で勝ち筋を掴むのが特段に上手い男だった。
「そうだな……映画でよくあるのは世界征服とかだけど……誰か身内を救うために少女を攫うってのもありそうだよな」
錦野は加茂の奢りをいい事に、皿に並んだジャンクフード達を頬張りながら続けた。
「いや、やっぱあんまり自信ねぇわ」
「そうかぁー……そうだよな。 お前が自信ないって言うならほんとに違うんだろうな」
錦野の体質の不思議なところは、勘に基づいて選択を変えたとしても必ず外れる点にある。
彼が違うと言ったら何を選ぼうがもう手遅れなのだ。
これはある種の死刑宣告に等しく、錦野は高校時代に5人もの学生を不幸に陥れてきた。
以来、錦野の山勘は唯一の友人である加茂を除いて使用を禁止し、封印した。
「なんか悪いな、せっかく奢ってもらうのに。 ――そうだ、これだけは断言出来るって勘が一つだけある」
「なんだ?」
「――今の仕事、何やってるかは知らねーけど、未練が残らないうちに辞めといた方がいいぞ。 近く労災で大怪我を負いそうな気がする」
余計なお世話だ、と断っておいた。
*
事務所への帰り道、加ヶ峰が遠くの歩道橋を歩いているのを見つけて声をかけに行った。
「どした? こんな所で」
加ヶ峰は加茂を見ると驚いて首に腕を回すと「隠れろ!」と囁いて2人はしゃがみ込んだ。
「間の悪いやつだな……! 奥の横断歩道を見ろ」
見ると信号機がちょうど青色に変わったところで、人々が手元や正面を向いて交差していく。
だからどうした――と加ヶ峰に問いかけようとした時、一度赤信号を経由して青に戻った横断歩道に目が釘付けになった。
「分かるか? あそこの女……そう、ローズ学園の制服着た金髪の女だ。 さっきから観察してるだけで4往復はしてる」
特に急ぐ様子もなく、かと言って暇を持て余している訳もなく。
目視で青になったのを確認してから、一見して気づかれないよう人混みの濃い所に紛れて進んでいる。
まるで横断歩道を渡ること自体に目的がある、そう見える仕草だった。
「ただ単に変な女なだけかもしれんが、警戒しておくに越したことはないだろ」
「警戒って、具体的に何を?」
「見張るんだよ、あと10分経ったら声をかけに行く」
「それは……Fangsとしてか?」
加茂が聞くと、少しうつむき加減で加ヶ峰は答えた。
「そうだ」
10分が経過した。
彼女の往復数が二桁に到達し、加茂も無意識に白線の数を覚え始めてきた頃だ。
「よし、加茂、お前聞いてこい」加ヶ峰が言った。
「え、俺? なんでだよ」
「年下と話すのが苦手なだけだ、名前と歳と、それとなく牙についてカマかけるくらいでいいからさ」
しぶしぶ、一旦歩道橋を降りて横断歩道へ向かった。
その間も女は群衆に紛れ続けて目立たないよう尽力しているのが、少し滑稽に見える。
「君、ちょっといいか?」
彼女は振り返らなかった。
赤の歩行者信号を見つめたまま、何?と義務感を帯びた声で答えた。
「私服だから信じてもらえるか分からないけど、僕は警察官でね。 行動を不思議に思ったから声をかけさせてもらった。 君、名前は?」
彼女は自身を
近くで見るとピアスがあいてたり金髪が地毛じゃなかったり、音無と並べてローズ学園の品位が問われる容姿だ。
「さっきっからなんで横断歩道を行ったり来たりしてるんだ?」
「効率がいいから」
信号が青に変わり彼女が向こう側へ歩き出した。
渡りきるまでの間、加茂は何の効率が良いのか頭を捻らせたが予測を立てることも叶わず、八重原の言葉を待った。
「信号って、待ってる時間の割に渡る時は一瞬じゃん? だから効率がいい」
「……? いや、悪いだろ」
何を言ってるんだこの子は。
それに質問の答えになってないし。
「会話が噛み合ってない理由、教えてあげる。 お巡りさんは道路を渡るために青信号を待つけど、私は青信号を待つために道路を渡ってるの。 認識の違い、分かる?」
気づくと加茂と八重原以外の通行人が周辺から遠のいていた。
人通りが少ないだけだと言われれば認めるが、さっきまで常に5人は利用していた横断歩道が急に閑散とするのは違和感が拭えない。
「この辺りはね――ほら、セントラルビルがあるでしょ? だからね、誰が余所者かすぐに分かるの」
何だ――――車もさっぱり通らなくなったぞ。
事故で規制線が張られたか?
「お前……何を待ってたんだ?」
加茂は気づかれないように牙を起動する。
百歩譲って人気がなくなったのは偶然だと認めよう。
問題は加ヶ峰がこちらに来ないことだ。
下から見て歩道橋の加ヶ峰を補足出来ない以上、彼にもこちらへ来れない事情が発生したと見るのが妥当だろう。
「みんなの準備」八重原が答える。
彼女のスマートフォンが通話状態になっているのに気が付かなかった。
「もういいよ、撃っちゃって」
銃声が響く。
牙の効果で動体視力の向上している加茂は、遠くのビルの屋上から黄金色の軌跡が歩道橋に向かうのを捉えた。
「加ヶ峰っ!」
一刻も早く加ヶ峰の無事を確認したかったが、八重原がそれを許さないのは明白だ。
彼女の鋭い蹴りを躱して、加茂は舌打ちをした。
「
聞くまでもなく、八重原鈴音は自身を――エイスと、そう名乗り直した。
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