須藤癒乃
「音無、居るか?」
加ヶ峰が事務所の入口から尋ねると、欠伸をしながら音無が歩いてきた。
「どしたの?」
「卜部と加茂は……出かけてるのか。 悪いが少し手伝ってくれ、急ぎでだ」
仕事を手伝ってくれ、と加ヶ峰が事務所の門を叩くのは特別珍しい出来事ではない。
数ヶ月に1回帰ってきては事務所の共同冷蔵庫を一掃すると、卜部と共に仕事へ向かうのだ。
「藤芝に車を出してもらってる、詳細は車内で話そう」
藤芝、というのは警視庁公安第一課の警部だ。
5年前まで公安一課の人員は常に減少気味であったが、牙の登場を機にFangsを様々な面でバックアップする立場に変化を遂げていった。
藤芝も例に漏れず、諜報活動で町中を飛び回る加ヶ峰の足としてよく行動を共にしている。
2人で紺の社用車に乗り込むと藤芝がバックミラー越しに会釈をした。
「どうも」
「何かあったの?」音無が聞く。
藤芝が車を発進させてシフトレバーの動きが落ち着いた時、ようやく口を開いた。
「先日、羽山教に動きがありました。 月に一度の定例会議とは別に、緊急集会を行った様子です」
「羽山教って……2年前くらいにちょっと話題になったやつ? もう無くなったと思ってたけど、なかなかしぶといわね」
「ただの新興宗教と思っているなら、認識が古いですよ。 ――あれは集団の域を出ている、我々と同程度かそれ以上に力と野心を持った組織だ」
いつになく真剣な2人の面持ちに音無は少々面食らった。
『帰ったら連絡頂戴』
一応卜部にメールを送信するが、彼女の事だ、多分事務所に帰って音無か加ヶ峰のどちらかに連絡を取ろうとするまで気づかないだろう。
「加ヶ峰さんの調査の結果、緊急集会の目的が”ある人物”であることが判明しています。 今から向かうのはその人物の自宅です」
「私は何をすればいいの?」
「羽山教の上位構成員は牙を所持している可能性が非常に高い、音無さんは必要な場合、応戦していただきます」
車体が軽く上下した。
玉砂利の跳ねる音が聞こえたので、音無は誰かの家の庭に入ったものだと思ったが、やはり推測は当たっており目の前には家屋があった。
「ん? あれっ、おかしいな。 とっくに応援が到着してるものだと思ったんですが」
応援部隊の人影はおろか藤芝達の他に車のひとつも止まってないのに違和感を覚える。
「事故や渋滞で足止めを食らってたりですかね」
「あれに限って、それはないだろ」
仲間のことにはひどく楽観的な藤芝の思考を窘めるように加ヶ峰が言った。
「とにかく、その例の人物を保護することが最優先なんでしょ? 早く行きましょうよ」
加ヶ峰が呼び鈴を鳴らすと、中学生くらいの幼い少女が扉を開けた。
音無が保護者が在宅しているか確認を取ろうとしたが、加ヶ峰と藤芝はそれが不要であることを知っている。
何故なら彼女自身が羽山教に狙われている人物、
「警視庁公安部の藤芝です。 署までご同行願い――」
警察手帳を見せて歩み寄る藤芝のつま先を、加ヶ峰が強く踏みつけた。
全てを言い切る前に行動を起こした加ヶ峰の判断力には目を見張るものがあるが、癒乃のあからさまに怯えた表情を見ると手遅れのようだ。
「……何の用ですか?」
「用ってほどでもないさ、ただちょっと……そう、注意喚起に来たんだ。 最近不審者が多いから気をつけなよ」
たった今目の前に居るじゃないか、と言わんばかりの冷めた視線がただひたすらに痛い。
ここからどう保護の説明に入ろうものか、音無が攻めあぐねていると加ヶ峰が耳元で囁いた。
「今回は一旦引くぞ、このガキ……なかなかに手強い相手だ」
「アンタ等が勝手に自滅してるだけでしょうが」
まあ……これから到着する牙対の応援部隊が見張りを続ければ自宅に置いておいても問題は無いだろうが……。
「お話、終わりましたか? 客が来ているのでこれで失礼します」
癒乃が扉を閉めかけた瞬間、前述の超人的な判断能力で、すんでのところで加ヶ峰の足が隙間に滑り込んだ。
「ちょっとまった! 来客って、20過ぎくらいで紺のスーツ着た男か!?」
「なんでそんなことあなた達に話さなきゃならないんですか!足離してくださいよ!」
「YESかNOか答えるだけだ! それまでこの足は絶対退けてやんねぇ!」
「その通りですっ! YES! 言ったんだから早く離してください!」
「じゃあ尚更……退ける訳には行かねぇなっ!」
第三者から見れば通報必至の地獄のようなやり取りが繰り広げられるが、屋内からやって来た男がその諍いを宥めた。
「須藤癒乃君、これはまた厄介な連中に絡まれたものだね」
紺色でパリパリのスーツを着込んだ長身の男。
どことない笑顔にハリのある肌から若さを感じるが、あらゆる面で一筋縄では行かない、歴戦の傭兵のような気迫がある。
加ヶ峰の質問そのまま、イメージから引っ張り出して持ってきたに等しい身なりをしていた。
「っ……手遅れだったか……!」
「どうもFangsの皆さん。 それと公安部の村正の。 須藤癒乃君がゴールの徒競走は私の勝ちかな?」
男は得意げに笑ってみせると、靴箱の角を舐めまわすように指でなぞった。
「こいつをぶっ飛ばせばいいの?」
音無がメリケンサックを指にはめて前へ出た。
対する男は笑みを崩すことなく長身を活かして音無を見下ろしている。
「付き合う人間はしっかり選んだ方がいいと思うな、須藤癒乃君。 君の知り合いはかなり血の気が多い性格のようだ」
男と音無、両名の睨み合いが続く。
互いに相手の牙がどんな性質を持つか不明瞭な今、受けに回って様子を見るのは必然的な行動だった。
しばらくして男が肩を竦めて笑い言った。
「駄目だ、勝てる気がしないな。 今日のところはやめておこう」
「随分諦めが早いじゃない。 それとも怖気付いたの?」
「まさか。 引き際をわきまえるのは牙の世界を生きる上で最も重要な事柄の一つさ、私は私の価値観に則って逃走する、それだけさ。 勿論、逃げる事と須藤癒乃を諦める事を同義と思わないように、肝に銘じておきたまえ」
このまま逃がすとお思いですか。
藤芝が睨みを利かせたその時、遠巻きからサイレンの音が響く。
どうやら援軍到着も近いらしい。
「……これだからFangsは嫌いなのさ。 常に自分の私利私欲を重んじて行動するせいで欺瞞作戦が通用しない。 いつも遅れてやってくる公安部の無能共と違ってね」
「言い訳なら後でその無能共に好きなだけ話すんだな」
加ヶ峰が腰の短剣を引き抜いた。
その鈍色の輝きを目にしても、男は全く動じることはなく、ただ気味の悪い笑みを浮かべるばかりだった。
「私はこの辺りで失礼するよ、下手に顔を覚えられても困るからね。 ――――あぁそうだ、トエルブ……それが私の活動名さ。 覚えておくと便利かもしれないね」
「トエルブ? 12人目ってことか?」加ヶ峰が聞いた。
「ご名答。 最も、今じゃ9人しか生きてないけどね。 それじゃあ!」
瞬間、場の4人の視界からトエルブが”消えた”。
読んで字のごとく、綺麗さっぱり消え去ったのだ。
「あ……!? なんだどこに行きやがった!?」
加ヶ峰が辺りを見回すも、その行為が無駄であるのを音無は知っている。
トエルブが逃げると言ったら逃げるし、帰ると言ったら帰るのだ。
それを可能にするのが牙の性質であり最大の強みである。
彼の口から発せられた情報を戦利品として満足しておくのが吉だ。
「はぁ……須藤癒乃だったかしら? 悪いけど署まで来てもらうわ。 拒否権はないから、今すぐ荷物をまとめること」
トエルブは須藤癒乃を諦めたわけではない。
このまま須藤癒乃を自宅に置いておけば、彼は次もまた奪いに来る。
「一体何がどうなってるんですか……!?」癒乃が戸惑いつつも聞いた。
「つまりなんだ……『お前も厄介な物を拾っちまったな』……って事だ」
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