onAir②

(あぁ……!? 向こうは丸腰だぞ……耐えられるはずがないだろ!?)


 かれこれ5分は殴っただろうか。

素人の滅茶苦茶な攻撃とはいえ、一発一発の威力が洒落にならないほど大きいことは感触でわかる。


「単純に身体能力を底上げする能力なのか、……いいな、嫌いじゃないぜ」


 木戸は大振りの右を躱すと、振り返って片脚を一歩踏み出し重心を手前に傾ける。

一本背負いだ。

そう思って対応しようとした頃には、もう地面は後頭部のすぐ側にあった。


「ぐぁっ」


 電流のような衝撃が背骨から全身に伝わっていく。

うずくまって痛みを堪えたしばらく後に、木戸が手を差し伸べて言った。


「体のどこかに違和感はないか? 例えば腕が重いとか、肩が凝るとかでもいい、いつもと違うと思ったらすぐに知らせてくれ」

「特に背中が痛い以外は何も…………あっ」

「どした?」


 吐く息が蒼色から紅色に変わっている。

煙のようでもあるが、アニメのフキダシのように輪郭が見える不思議な息。

色の変化が一体何を意味しているというのか。


「恐らく、その息は一種の信号のような役割を持っているんだと思うぞ」

「信号?」

「あぁ。 これは経験則からくる憶測だが、身体能力を向上させる牙には総じて”何か”を燃料にして動作する場合が多い。 さらに言うと、中でも自分の身体状態を損なうものが大半を占めている」


 木戸が地下室の照明を落とした。

携帯電話の灯りを頼りに元来た通路を帰っていく。


(つまり、煙が赤くなったのは燃料が足りないって事なのかもな)


 そこまで不安感を押し付けられると偽薬効果で気分が悪くなってくる。


 何となく視界が歪んだ気がして目元を擦った。

……涙が出ていた。


「あれ、なんで……泣いてんだろ」


 悲しい出来事なんてこれっぽっちもないのに、なぜ涙があふれるのか自分でも不思議だった。


「涙が出てるのか? じゃあ目の器官に準ずる組織のいずれか、最悪視力が失われる覚悟はしておいた方がいい」

「……天才が作った牙にも、欠点は……あるんですね」


 牙を使うと身体能力が上がるのはいいが、毎回滝のように号泣していては参ってしまう。


「いや、逆に欠点がないと困るのは桜の方だ」


 木戸が言った。


 桜が牙をばらまいた理由は本人にしか分からないだろうが、憶測を立てることは出来る。

牙にはデメリットがあるが、桜がその気になれば核より強い兵器を量産して世界を滅ぼすだけの技術力があるのだ。

使用者の身を削って力を行使する必要のない『完璧な牙』が作れないはずがない。


「自分の作った”玩具”を人に使わせて、遊んでんだよ。 世界全体が混乱するのを上から眺める、間違っても自分が足元掬われないように安全装置デメリット付きで……」


 隠し扉が開くのに交じって携帯電話が軋む音が聞こえた。

木戸孝允は桜を恨んでいる。

そして恐らく金稼ぎのために牙を集めているのではないのだとわかった。


「2人ともおかえりー」


 店前に戻ると、卜部が座ってコーヒーを飲みながら落ち着きなく脚をバタバタしていた。


「勝手にコーヒー淹れるなって言ってるだろうが」

「木戸が入れたヤツ、苦いじゃん」

「じゃあカフェオレでも飲んでろよ馬鹿舌」


 きっと卜部には、桜に対する私怨とか憎悪の念は微塵もないのだろう。

楽しめればオッケーみたいな、きっとそういう感じだ。 多分。


「帰ろうか、加茂クン」

「まあまあ……待ってくださいよ」


 僕にもコーヒーを1杯。

木戸に頼むと少し悩んだ後、黒い粉のついたコーヒーメーカーを見て観念したのかカウンターに入った。


「営業時間外だがま、いいか。 そこにかけてろ」


 非常に手馴れた手つきでコーヒーを淹れる木戸を見ていると、ふと思った。


 卜部美奈は探偵業、木戸孝允は喫茶店を操業する傍らで牙に関わっている。

だがそれも5年前からの話だ、2人とも元はその道のプロフェッショナル、職に始まり職に終わるはずの人生を、牙が変えた。


 言うなれば、被害者だ。


「どうぞ。 当店特製ブレンドだ」


 珈琲豆の芳しい香りが鼻腔を擽る。

今は牙のことを忘れて、目の前のコーヒーを楽しもう。

何故かこっちをチラチラ見て笑っている卜部を無視しながら、ゆっくりとコーヒーカップに口をつけた。


 古時計の短針が動く音の聞こえるまで、加茂は溢れる感想を胸中に留めていたが、やがて我慢できずに述べた。


「――――苦い」

「だろ?」


 卜部が笑った。

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