Fangs②

「いいっ加減に起きなさいよバカ!」


 両耳を塞いでうつ伏せに寝ているところを、加茂は後頭部に打撃を受けて目が覚める。

見ると赤髪ツインテールの少女が腕を組んで枕元に立っていた。


(……死んでないし、捕まってもないのか、俺は)


 ここはどこだろう。

見慣れない天井や床だし、ベッド以外の家具が一切置いてない。

現状を一人で推理するのは困難だと推測し、加茂は諦めて女に聞いてみることにした。


「どこだここ」

「そのうち分かるから言わない」

「は?」


 屋上では暗くて顔が見えなかったがこの女、髪だけじゃなく目まで真っ赤に染まっている。

目の赤い人種は聞いた事がないが、カラーコンタクトか何かだろうか。


「お前、名前は?」

「音無楓。 あ、アンタは名乗らなくていいから」

「加茂修一だ」

「……アンタと話してると血管が持たないかもしれないわね」

「お前と話してるとその中途半端なお嬢様口調が移りそうで困る」


 世の中には赤い糸で結ばれた運命の相手という言葉があるが、それだけ気の合う人間が世界に一人だけ居るとすると、反対に一目見るだけで喧嘩が始まるような、犬猿の仲以上の存在になり得る人もいるのではないかと加茂は思う。


 音無楓が加茂修一にとっての”逆”運命の相手だと決めつけるのは、全人類と顔を合わせてみない限り早計に過ぎないのだが、現段階で音無への好感度は前人未到のマイナス点を記録していた。


「今から卜部って人と会うけど、気になることはその人に聞きなさい。 私は面倒臭いから帰る」


 外に出て古い階段をおりると、どうやら雑居ビルの3階だということが階数表示で分かった。


「俺も帰りたいんだが」

「うっさい黙れ」


 音無は『卜部探偵事務所』と書かれたドアを断りなく開けた。

事務所と呼ぶには少し小汚く物が散乱した室内は探偵業がどれだけ繁盛しているのかがひと目でわかる。


「絡まれると厄介だし、私が案内するのはここまで。 じゃ」

「は……マジで帰んのかよ……!? おい!」


 警察に追われた身である加茂を引き渡すことも無く、今の今まで事情の説明もなしに人に会えと。


(……体が重い)


 あの夜の出来事がまるで夢のように感じる。

かの神話のアキレウスのように自由に街を駆け素晴らしい力を手にしたと思ったら、自分より年下の華奢な女に打ち負かされた。

イマイチ現実味に欠けるが、真っ赤に腫れた頬とポケットに入った青の牙が夢ではないと物語っているようで少しだけ、忌々しかった。


 その時、階段を登る音が微かに聞こえる。


「ただーいまー! 皆んなの美奈ちゃんが帰ってきたぜー!」


 ドアを蹴破ったように強く開け放ち、長髪の女性が入ってきた。


「おろ、楓は?」


 レジ袋をぶら下げて話す彼女の声は、呂律が回っていなかった。


「帰りましたけど」

「あぁ!?」


 この朝っぱらから酒臭い女が音無の言っていた卜部という人物か。


「まいいや、加茂クンがいれば」

「俺も帰りたいんですけど」

「そんな事言うなよな! ハグしたげるからさ」


 人は酒が回ると無性に何かに抱きつきたくなる衝動を持っているのだ。

両の腕に収まる大きさなら固くても柔らかくても全てに抱きつく。


 ……と、彼女からよく分からない持論を展開され、俺はその勢いと酒臭さに閉口するしかなかった。


「で? 聞きたいことがあるんじゃねーの」

「ありますけど、多すぎて何から聞けばいいのか」

「じゃあ一つ、昔話をしてやろう」


 むかしむかしあるところに……

ラベリングのされていないバインダーを取り出して、卜部美奈は語りだした。


 男が一人、世界のどこかに産まれ落ちた。

その男は2歳で母国語を話せるようになり、10歳で世界のあらゆる言語をマスターしたという。


「俗に言う天才っての? 羨ましい限りだね」


 男はメディアへの露出を何より嫌い、数人の助手と共に人知れず研究を続けた。

どれだけ大きな発見をしようとも決して世間に公表することはなく、あくまで自身の中だけで様々な発見・発展を昇華し続けた。


「もし仮にその男が世のため人のため〜って性格なら、今頃空飛ぶ車にでも乗れてるんじゃない? それくらい凄いやつなのさ」

「はあ」

「おい信じてないな!?」


 もう10数年も音沙汰が無くなって、誰もが死んだんじゃないかと思ってたところだ。

突然、自身初めての発明品である『牙』を発表した。


「牙ってのは歯の事じゃなくて、あくまで男の発明品全てに付けられた名ね」

「全て? ひとつじゃないんですか?」

「正確な数はまだ分かってない。 50万とも100万とも聞くけど、私はもっとあるんじゃないかと思ってる」


 発表なんて表現は少し間違ってるかもな。

そうだな…………『放棄』って言い方が正しいか。


「時期や手段は不明。 でも、男の発明した『牙』が世界中にばらまかれたのは事実だ」


 エジソンは電球を発明したと言われているし、ノーベルはダイナマイトを発明した。

どちらも世界全体の化学進歩に多大な貢献をした大発明家だが、その天才は一味も二味も違ったという。


「よくSF小説なんかでさ、筋肉の動きを活性化させるパワードスーツとか、一錠飲むだけで腹がふくれる薬ってのがあるだろ?」

「ありますね」

「もし今この世界に、それらがあるって言ったら信じるか?」


 卜部は顎に手を当てて不敵に笑った。


 まあ、日常生活を彩る魔法の道具というのは、誰しも1度は想像、いや妄想したことがあるはずだ。

それは加茂自身も例外ではない。


「あるも何も、昔の時代じゃ携帯電話だってSFの世界だったんですから。 スマートフォンに、ドローン……最近じゃ車の自動運転だって夢じゃない。 時代の中で科学が進歩することは何もおかしくないんですよ」

「だといいんだがね。 ……問題は他の科学者が一歩づつ階段を上がっているところを天才はエレベーターで最上階までひとっ飛びしてるってことだ」


『牙』は時に、痒いところに手が届くような、人生の小さな手助け程度の役割を担う。

『牙』は時に、世界を変えるほどの影響力を持つこともある。

それこそ、核爆弾のような。


「今までの話がホントかどうかは、ポケットを見ればわかるんじゃないか?」


 加茂は視線を動かさないまま、ポケットに手を当てた。

中には道端で拾った青い金属製の牙がある。


「貴重品はズボンのポケットに仕舞うもんじゃない、視線を動かす必要にない首周りに置いておくもんだ。 その点、内ポケットに隠せるスーツは有能なんだよなあ」


 いつの間にか卜部の顔からは酒気が消えていた。

全てを見通すような視線への絶対的な信頼は、探偵業を生業にする者にとって必須のスキルなのかもしれない。


「牙を作った男の名は桜。 どうやら、それぞれの国花の名を冠したらしい」


 ショットグラスに水を汲んで来て一気に飲み干すと、彼女は話を続けた。

どうやら、この昔話は彼女の酔いが冷めるまで続くようだ。

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