前を向こう、と───

(※エイフィア視点)


 あんなこと言うはずじゃなかった。

 今まで我慢してきたのに、どうして今になって我慢できなかったのかはよく分からない。

 揺さぶられたから……でも、それは今までも同じ。タクトくんと暮らしていて揺さぶられたことなんていくらでもあった。


 でもなんで……?

 今になって、私はこんなに追い込まれちゃったの?


 セスに契りを交わさないかと言われたから?

 私が歩むのを拒んだ道にレイシアちゃんが歩いているから?

 もしくは、それが積りに積もって決壊しちゃったから?


「もう、分かんないよ……」


 王都の繁華街。

 その中央にある噴水の縁にに座りながら、私は小さく蹲る。

 小さく、本当に小さく。


 私に声をかける人は誰もいない。

 それも当然だ。雨が降り始めて誰も繁華街を歩いていないんだもん。

 小降りだった雨も徐々に増していって、肌と服を強く打ちつけていく。

 それが沈んだ心を紛らわせてくれているようで、今更屋根のある場所に行こうとは思えなかった。


「馬鹿な私……」


 風邪引いちゃうよ?

 またタクトくんが心配しちゃうよ?

 それでも、エイフィアは動こうとしないの?


 自問したって、どうせ自答の言葉は決まってる───


 一人になりたいんだ。


 鋭いげんじつから目を背けて、自然と開いてしまった穴が塞いでいくのを待ちたいの。

 でも、そもそも私がエルフとして生まれてさえこなかったらこんな気持ちにはならなかった。


 タクトくんに助けられて、恋をして、同棲というアドバンテージをいっぱい使ってアピールして、最後はありのまま自分の想いを告げる。

 そんな未来を歩むことができた。

 エルフに生まれてきたばっかりに。

 お母さんには感謝してるけど、今だけは……そのことが憎たらしい。


「醜い女の子だなぁ……私」


 頬を伝う雫が雨なのか涙なのかが分からない。

 でも、誤魔化してくれるなら……それは一向に構わない。

 だって、いつかは帰らないといけないんだから。


(でも、あの場所を私のじゃなくなれば……)


 帰らなくてもいい。

 タクトくんに会わなくてもいい。

 無理にこの気持ちを揺さぶられることはないんだ。


 そう考えれば、本当にセスと契りを結んでもいいのかもしれないね。

 だって、セスくんは同じエルフだし、私が苦しい想いも寂しい想いもすることはなくなっちゃうんだもん。

 でも……でも───


「好きに、なれるかなぁ……ッ!」


 タクトくん以外の男の子を。

 百年生きた私が、唯一好きになった男の子以外を。

 好きになれるビジョンが、まったく浮かび上がってこない。


「タクトくん……」


 だからやっぱり。

 私はタクトくんが大好きで。

 この感情は一時の想いなんかじゃなくて。


 正真正銘の、本物の恋なんだ。


「タクトくん……タクトくん……ッ!」


 彼の名前を、何度も呼んでしまう。

 いない彼を何度も。何度も。聞こえないはずなのに、何度も。

 縋るように求めてしまう。この想いに蓋をするどころか、考えれば考えるほど防波堤は崩れていく。


 苦しい。

 寂しい。

 悲しい。


 ───並べられる感情が、一体いくつある?

 並べられた感情は、どれも全て私を満たしてはくれない。

 だからこそ、嗚咽は止まらない。

 あぁ、やっぱり───


「……ここにいましたか、エイフィアさん」


 目の前から、声が聞こえてきた。

 耳がいいはずなのに、いつの間にそこに現れたのか……まったく分からなかった。


「あの時は申し訳ございません……傷つけてしまう、とは思っていました。ですが、それだけが言いたかったのではありません」


 顔は上げられない。

 上げてしまえば、今の私が全て見られてしまうようで。


「私はタクトさんが大好きです」


 知ってる。

 見れば分かるよ。


「好きで好きで仕方ありません。優しい彼が、ちょっと拗ねちゃう彼が、見た目よりも頼りになる彼が、真っ直ぐに芯がある彼が、コーヒーが大好きな彼が……どうしようもなく、好き」


 分かる、分かるよ。

 私も、その部分が好きになったんだもん。


「これは布告をしているわけではないんです。あの時も、同情していたわけではないんです。ただ……知ってほしかった」


 レイシアちゃんが屈む。

 そして、徐に私の顔を挟んで覗き込んできた。


「レイシア、ちゃん……?」

「恋のライバルは、多い方が燃えるというものです」


 視界に映るレイシアちゃんは傘も何もささずずぶ濡れで、艶やかな銀髪も服や顔に張り付いてしまっている。

 だけど、真っ直ぐに見つめてくるレイシアちゃん顔には、慈愛に満ちた笑みが浮かんでいた。


「ライバルでなくとも、一緒にタクトさんを攻略するというのもいいかもしれません。エイフィアさんのことは大好きですから、きっと家督争いなど無縁な円満な家庭が築けると思います。一夫多妻、貴族ですからそれぐらいは可能ですからね」

「な、にを……?」

「そうすれば、たくさん子供もできるでしょう。私に似るかもしれません、エイフィアさんに似て明るくて可愛らしい子が生まれるかもしれません。もしかしたら……タクトさんにそっくりな優しい男の子ができるかもしれません。そうなれば……寂しく、ありませんよね?」

「ッ!?」


 そこまで言われて、初めて気がついた。

 レイシアちゃんが何を言おうとしているのか、何を伝えたいのか。

 あの時の言葉が、同情ではなく前置きだったんだってことが。


「タクトさんは死にますよ。私だって死にます。エイフィアさんよりも先に……死にたくはないですが、それは仕方のないことです。人に生まれてしまった以上、どうしても仕方のないことなんです」


 雨の音が遠くなっていく。

 耳に入ってくるのは、レイシアちゃんの真摯な言葉だけ。


「先に死んでしまって寂しい想いをさせてしまいます。でも、残せるものだっていっぱいあります。タクトさんのお子さんとか、居場所とか、思い出とか……全部、残せるんです。一概に寂しさだけが残るわけじゃないんです」

「…………」

「所詮、私の言葉はただの言葉。エイフィアさんが抱えている悩みは、残念ながら理解はできません。それでも───」


 レイシアちゃんは、最後に小さく笑った。


「素直になりましょう? これから先の未来が寂しいと決まったわけじゃないんですから」


 その言葉が、自然と胸に落ちた。

 求めていた言葉っていうわけじゃない。言葉を受けただけで、不安が全て解消されたわけじゃない。

 でも、だけど……前を向こうとか、歩いてもいいのか、とか。

 小さな光が、浮かび上がった気がした。


「レイシアちゃんはいいの……?」

「構いませんよ。私の望みはタクトさんと結ばれること……嫉妬はしてしまうかもしれませんが、それは仕方のないことです。タクトさんが魅力的なのが悪いんですから」

「ははっ、何それ……タクトくん、怒っちゃうよ」

「逆に怒ってやればいいんです、こんなに好きにさせやがって、と」


 レイシアちゃんは立ち上がると、私に手を差し出してくる。


「戻りましょう『異世界喫茶』に。ここにいては私もエイフィアさんも風邪を引いてしまいますよ」


 私は、おずおずその手を掴んだ。


 レイシアちゃんの言葉を素直に飲み込めることはできなかった。

 けど、この子のおかげで……気持ちの整理は、できたと思う。


 もう一度向き合おうと───そう思えた。


「……ちゃんと、もう一回タクトくん話してみる」

「そうしてください」

「まだ、どうすればいい分からないけど……」

「私達はまだ生きています。話して、考えて、それからでも遅くはありません……とはいえ、長生きしていない私が言える立場ではありませんが」

「うん……ッ!」


 レイシアちゃんに引かれるがまま、私は歩き出した。

 目指す先は『異世界喫茶』。

 そこは、タクトくんのいる場所。

 そして───


げんじつは、タクトさんに抜いてもらってください。私は埋め込んで気づかせるまでがお役目ですから」


 私がもらった、唯一の





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