レイシアちゃんのお父さん

 カウンターに座るのは大きな体躯をした一人の男性。

 金髪を短く切り揃え、威厳と風格ある佇まいで僕の淹れるコーヒーをジッと眺める。

 醸し出される雰囲気のせいか、いつもより緊張してしまう。


 湯を注いで抽出を始める手が、今にでも震えてきそうだ。

 でも、僕はそんな緊張なんておくびにも出さない……ように気をつけている。


「それは?」

「コーヒーという飲み物です。あまり一般的には親しまれていないものですが」


 僕は抽出を終えると、カップへゆっくりと注ぐ。

 そして、ソーサーと合わせて男性———レイシアちゃんのお父さんの前へと出した。


「どうぞ」


 レイシアちゃんのお父さんはカップを受け取ると、そのまま鼻元まで持っていった。


「……今までに嗅いだことのない匂いだ」

「それ、レイシアちゃんが好きな飲み物なんです」


 コーヒーを初めて飲んだ人にはどれも同じ匂いに思われるかもしれないけど、今回はレイシアちゃんがいつも飲んでいるブレンドを出させてもらった。

 レイシアちゃんのお父さんには、レイシアちゃんのことを知ってほしかったから……なんて理由だ。


 飲みやすさで言えば、この異世界ではカフェオレを出すべきだったかもしれない。

 それでも、レイシアちゃんのお父さんだけには———


「苦いな。だが、悪くない味だ」


 一口飲んだレイシアちゃんのお父さんの言葉に、思わずホッとしてしまう。

 苦いと酷評のコーヒーを「悪くない」と言ってくれる辺り、やはり家族なんだなと思う。


「まぁ、君が娘の飲んでいる味を飲ませたかったというのは分かった……だが、本題はそこじゃないだろう?」

「……そうですね」


 ソーサーにカップを置いたレイシアちゃんのお父さんが一言口にしただけで、僕の胸が跳ね上がる。


 これは緊張だ。

 雰囲気に圧倒されて、間違っていると分かっていて、我儘を言って困らせると分かっているから。


 それでも、僕は押し負けるわけにはいかない。

 僕の背中は、とっくの昔に叩いてもらったんだから。


「レイシアちゃんから話は聞きました。王家からの婚約の話がきていることを。そして、それを受けざるを得ないことを」


 レイシアちゃんのお父さんに来てもらった理由は、コーヒーを飲みながら話がしたかったからだ。

 忙しかったレイシアちゃんのお父さんをイリヤさんの口添えでここまで連れて来て、少しの時間をもらった。


 飲んでもらうだけじゃない、レイシアちゃんが好きな味を知ってほしかっただけじゃない。二人で話も、したかったからだ。


「レイシアちゃんは、それを望んではいません。好きな人と結ばれて、恋をして、努力をして、実らせて……そうやって、一生のパートナーを見つけたいそうです」

「知っている。そのことはイリヤや本人から聞いた……というより、俺はレイシアの親だ。それぐらいは見ていれば分かる」


 だけど、王家との婚約は進める。

 ということは———


「だが、一人の感情だけで断れる話ではない。レイシアが首を縦に振れば我が家は王家との繋がりを深く持つことができ、領民もより一層の安心した生活が得られる。逆に、レイシアが首を横に振るとどうだ? 王家から反感を買うかもしれない、そうなれば家を……領民を守ることができると思うか?」


 レイシアちゃんのお父さんは、全てを理解していてこの話に乗っているということだ。

 公爵家ともなれば、領民の数は数えきれないほど多いって聞いた。

 それを守っていかなければならないということは、かなりの責任がその肩に乗っているはず。


「無論、可能性の話だ。そこまで反感を買うことはないかもしれない、領民には影響が及ばないのかもしれない。だが、現に私は王家の反感を買い、家が潰れ、領民の生活が崩壊した事例を知っている。可能性がある以上、メリットしかない話に乗るのは当然だろう」


 娘一人の感情を優先するより、可能性がない方を選ぶ。

 確かに、それは貴族として……上に立つ者としては正解なのかもしれない。

 イリヤさんの意見は間違っていて、レイシアちゃんの感情は蓋をするべきものだったのかもしれない。


「君が娘の心配をしてくれているのは嬉しい。だが、これは子供がどうこうできる話ではない―――更に言えば、家の者でもない人間が口を挟む話でもない」


 分かっている、そんなこと。

 平民が貴族の話に首を突っ込むことも、人様の家の事情に首を突っ込むことも、本来は間違っている。

 それでも、僕は———


「……レイシアちゃんには、幸せになってほしんです」


 彼女が、笑っていられるような日常を守ってあげたい。

 僕は心の底から、そう思ってしまう。


「理解しています、レイシアちゃんのお父さんの言う通り……僕には、首を突っ込む権利すらないことは。理解はしていないですけど、守るべきものが他にある以上……レイシアちゃんの感情を優先できないことも」

「であれば―――」

「だから僕は難しい話はしません。貴族の話を抜きに、僕の分かる範囲での話をします」


 僕は手元にあるカップをそっと撫でた。

 撫でることに意味はないけど、こうしていると……昔を思い出せそうで。


「……昔、僕のお母さんが言っていたことがあるんです。「息子には、何があっても幸せになってほしい」って」


 思い出すのは、僕が日本で過ごしていた頃の話だ。

 人生半ばで死んでしまった僕が、生きていた頃の話。


「口癖みたいなものでした……「どうして?」って聞くと、毎回「自分がお腹を痛めて、汗水流して育てた子だからに決まっているじゃない」って言われるんです」


 幸せな姿を見ていると、自分が報われた気がするから。

 苦労した自分が肯定されたような気がして、より一層愛おしくなるから。

 僕のお母さんは、毎日のようにバリスタを目指していた僕にそう言っていた。


 だけど―――


「僕は……幸せになった姿を、見せてあげることはできませんでした」

「…………」

「今という時間が幸せだと思っていても、お母さんが報われた姿だけはどうしても見られなかったんです」


 僕が死んでしまったから。

 親より先に死ぬことが最大の親不孝だとよく言うけど、うちのお母さんにとっては正にその通りだっただろう。


「レイシアちゃんのお父さんがレイシアちゃんの幸せを望んでいないとは思いません。でなければ、ここに足を運んでくれなかったと思うから。でも……でも、レイシアちゃんが幸せになれる明確な選択が目の前にあるなら、レイシアちゃんのお父さんには


 いつかじゃなくて、今の話を。

 見られなくなってしまう可能性は低いかもしれないけど、見られるのであれば今見てほしい。


 お母さんがどんな後悔をしているかなんて今の僕には分からないけど、レイシアちゃんのお父さんには同じ後悔はしてほしくないから。


「この話はレイシアちゃんのお父さんだから言った話です。僕はレイシアちゃんには幸せになってほしい、それは変わりません―――ですが、それを抜きにした話だ。僕は、


 レイシアちゃんのお父さんの瞳は鋭く僕に向けられる。

 ガキ、子供、青二才の男一人の話……色々な苦悩は、間違いなくレイシアちゃんのお父さんの方がよく知っているだろう。

 何を偉そうに、そう思われているのかもしれない。


 それでも、僕は『異世界喫茶』のマスターだ。

 僕はいないお客さんとではなく、目の前に座っている人と話す。


「下心があると言われれば肯定します。あわよくば……なんて期待も、もちろんある。だけど、レイシアちゃんのお父さんには後悔しない選択をしてほしいんです。いつかの幸せのためじゃなくて、今の幸せを」


 静寂の中に、時計の針を刻む音が響き渡る。


「幸せであれる時間が目の前にあるなら、後悔をする前に与えてあげませんか……?」


 僕は、全てを言い終えた。

 だから―――あとは、レイシアちゃんのお父さんが紡ぐ言葉を待つだけだ。



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 申し訳ございません!

 めちゃくちゃ長くなってしまったので、二話に分割します!💦

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