少女と相談と
初めての味を噛み締めるかのように少しずつ飲んでいく少女。
時折眉を顰めながら、ホッと息を息を吐く。
淹れたてのコーヒーは体を内側から温めてくれるし、一息つくにはもってこいだ。
コーヒーを「美味しくない」と言わないのなら、これで落ち着いてくれる。
そのはずなんだけど、どこか少女の顔には陰りが浮かんでいた。
「それで、どうして逃げてきちゃったの?」
少しの時間が経ち、僕は聞いてこなかったことを尋ねてみることにした。
「……面白い話ではありませんよ?」
「面白いとか面白くないとか関係ないよ。マスターっていうのは、こういう時に悩んでいそうなお客さんの話を聞くって相場が決まってるんだ」
よくマスターがお客さんの話を聞いていたのを覚えている。
もちろん、お客さんが少ない時しか聞かないけど、そういうのも含めて喫茶店のマスターなんだって僕は勝手に思ってたりした。
今はお客さんが少ない時。話を聞く状況としてはもってこい。
それに———
「僕にはどうすることもできないだろうけどさ、話を聞くぐらいはできるよ。ほら、人間って溜め込むよりも誰かに吐き出した方が精神的に楽になる生き物って言うでしょ」
「……顔に出てました?」
「さぁ?」
陰りが浮かんでいたのは事実だけど。
それが話したそうにしているかっていうのは僕には分からない。
ただ、マスターは話を聞くポジションにいる存在! せっかくお客さんがいるんだから、話を聞いてあげたい! その方がマスターっぽいから!
「ふふっ、出てたんですね」
「単に僕の好奇心かもしれないよ? 誰だって、こんな状況になれば聞いてみたくなるものだからさ」
「はいはい、そうですね」
僕の好奇心を否定してくる少女。
おかしい、初めて会ったはずなのに僕のいなし方を理解された気がする。
「……では、軽い愚痴程度のお話になりますが———」
そう言って、少女はカップをソーサーに置いて語り始めた。
♦♦♦
「……ということがあって、逃げてきちゃいました」
ひとしきり語り終えた少女は再びコーヒーを口に含む。
時計なんてものはこの店には置いていないので、本当の静寂が室内に広がる。
「…………」
その静寂が広がって少し経つと、おずおずと少女が僕の顔を覗き込んできた。
「あ、あの……どうして何も反応してくれないのでしょうか?」
「……ハッ!」
声をかけられ初めて現実に戻ってくる僕。
「い、いやー……あはははー───これは僕の予想外だッ!」
「予想外!?」
「だ、だってさ! 結論から纏めたら「婚約する気がないけど父親が婚約の話ばかり持って来るから反抗したくて逃げ出してきた」ってことでしょ!?」
「そ、そうですよっ」
「何それ羨ましい!」
「羨ましい!?」
いや、タクトイマジネーションでも確かに婚約系の想像はあったけどさ、まさか『山のようにある婚約話』ということが原因だとは思わなかったんだ。
婚約の話がある=凄くモテモテってことでしょ? それってさ―――
「モテない僕には、羨ましすぎて……ッ!」
「さめざめと泣きますか!? そこまで嫉妬心を煽るような話でしたか!?」
「残念ながら、嫉妬心しか煽らなかったよ」
「い、意外と心が狭いのですね……」
違う、年齢=彼女いない歴の僕にとってはその一点の沸点が低いだけなんだ。
「まぁ、僕の嫉妬心の話は置いておこう」
「あ、はい……いえ、そうしていただけると助かります」
「それで、結局君はどうしたいの?」
狭量な心から出た涙を拭きながら、僕は少女の顔を見る。
すると、少女はまたしても陰りを浮かべて俯いてしまった。
「どう、したいのでしょうね……」
「多分、逃げ出したぐらいだから「婚約話をやめてくれ」ってことなんだろうけどさ」
この子は一時の感情だけで行動してしまうようなタイプの人間ではないように見える。
気遣いもできるし、状況の判断も相手を尊重することだってできるはずの人間だ。
それは、ここまでのやり取りで理解できた。
多分、彼女も頭では理解しているんだろう。
仕方のないこと、務めであること。
理解していて、我慢していて……ついに、耐えきれなくなった。
逃げ出したのはいいものの、非が自分にあることは分かっていて、落ち度が自分にあるからどうしたらいいのか、結局自分のしたいことを押し通していいものか不安なんだ。
「君はさ、婚約はしてもいいって思ってるの? それとも、人に決められた婚約は嫌で好きな人と結ばれたいって思ってるの?」
「……正直な話をすれば、好きな人と一生を添い遂げたいです。物語に出てくるようなお姫様みたいに、幸せな一生を終えることを夢見てしまいます」
「そっか……」
ゆっくりと紡ぐ少女の本音に、僕は相槌を打つことしかできなかった。
だからからか、室内にもう一度静寂が広がる。
気まずいわけでも、意図して静寂を味わっているわけでもない。
ただ、次に口から出そうとしている言葉の選び方を、互いが迷っているだけ。
「僕はさ……」
ただ、ここのマスターは僕だから。
僕が初めに口を開かないといけない、そう思った。
「婚約とかお金持ちの人の話はいまいちピンときてない。正直に言っちゃえば君の話を聞いていると「好きな人と結婚してもいいじゃん」って思っちゃう。だって、僕の世界では恋愛した上で結婚するのが当たり前だったから……」
婚約って何? 恋愛結婚が当たり前なんじゃないの? って。
日本で暮らしていて、異世界で平民として暮らしているからこそ、僕はその感覚しか持ち合わせていない。
だから、少女のような格式高い家に生まれた人の事情も気持ちも、想像の中でしか理解はできない。
「とはいえ、僕は君の話しか聞いてない。だから僕が君の気持ちに共感できるからって、それが正しいとは思わないよ。お父さんも、お父さんなりの事情があると思う」
「そう、ですよ───」
「でもね」
少女が何かを言う前に、僕は言葉を続ける。
「それでもね、僕はこの瞬間だけでも君の味方になるよ。話を聞くぐらいしかできないけど……君の言葉を肯定し続けるよ」
「ッ!?」
少女が顔を上げ、目を見開いて僕を見る。
「君の行動は凄い。女の子が決められたレールから外れようと、こんな場所まで一人でやって来たんだからさ。僕には怖くてできないかも……だから、きっと君の思っていることは間違いなんかじゃない。間違っているかもしれないけど、何も言わず従わなきゃいけないことじゃないはずだ」
本当に間違っているのなら、単に彼女のわがままなだけなのだとしたら、こんな場所に来た時点で……足を怪我した時点で引き返しているはずだ。
間違いだと認めたくないから、彼女は怪我をしてでも逃げてきたのだろう。
なら、その気持ちは決まり事だけで踏みにじっていいものじゃない。
それだけは、今日会った僕でも分かる。
「今の君には力がないかもしれない。逃げ出すという反抗的な態度を見せられるだけで、決まりを変えられるような力は持っていないかもしれない。だけど、その気持ちは大事なものだ。踏みにじられる前に、進んでみるのもいいかもしれない」
静寂の中に、僕だけの声が広がった。
それが僕にとって、少し違和感のあるものだ。
「最終的には「お父さんとしっかり話し合っておいで」って言わせてもらうけどね……だって、僕が君の気持ちを理解できたように、結局は話してみないと何も伝わらないんだから」
ひとしきり言い終わり「偉そうに言ってごめんね」と最後に付け加え、僕はお詫び代わりに残っていたコーヒーをカップに注いで少女の前に出す。
ぬるくなってしまった飲みかけのコーヒーは、さり気なく少女の前から回収する。
「どう、して……」
「ん?」
「どうして、あなたは私の味方をしてくれるのですか?」
コーヒーを出す僕を見て、少女は僕に問いかける。
いつの間にか潤んでいた瞳と朱に染った頬が、真っ直ぐに僕に向けられた。
「……本当は中立でどっちの味方にでもなれればよかったんだけどね」
先程まで少女が飲んでいたカップを洗いながら、言葉を返す。
「生憎と、僕は聖人君子じゃない。だったら、僕のコーヒーを飲んでくれた君の味方がいいなって……そう思ったんだ」
だから───
「さぁ、もう少しお話しようか。愚痴でも相談でも雑談でもなんでもいいよ……今日は、君の気が済むまで。ちゃんと僕が話を聞くから」
少女の瞳から一つの雫が落ちる。
僕は布巾を渡して、涙を拭う姿を眺めながら小さく口元を綻ばせた。
「あなた、は……本当にお優しいですね」
「ううん、優しくないよ。僕はただの喫茶店のマスターだから」
それから少女は気の済むまで話し終えると、そのまま異世界喫茶を出て行ってしまった。
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