Act43. ぼろぼろのスーパーアイドル
電車に乗り、都心の駅で降りて、あたしは藤波くんに教えられた会場への道を走っていた。
電話口で純の声を聞いてから、いやな予感が消えない。
家から出るなって言われたって。
あんな声聞かされて、おとなしくなんかしてられないよ。
もしかして、あの不良たちが純になにかしたのかも――。
木々が生い茂る、この大きな公園を抜けたら、コンサート会場だ。
紫に染まりかけた空にはぽつぽつと星が浮かび始めている。
もうすぐで、公園を抜ける。
それは、公園と大通りとの境界線の前でのことだった。
反射的に、あたしは足を止めた。
薄暗がりのなかに浮かぶ、六つのシルエット。
来たよ、あいつだという声がする。
「待ってたぜ」
あやうい目つきをしたいじめっ子たちが、立ち上がってよろよろとこっちに向かってくる。
中心にいる男子は金属バットなんか持ってる。
――やばい。
そう思ったのは、自分の身に対してじゃなかった。
こわばる身体に喝を入れて、身構える。
「純になにかしたら、黙ってないんだから」
「へぇ。どう黙ってないってんだ?」
楽しむようにそう言ったリーダー格の男子の目が、いっきに鋭くなる。
「このあいだはよくも、邪魔してくれたな」
それが合図のように、彼らが一斉に向かってくる。
平気。
あたしはなにをされたって平気なんだと、言動で示し続けてきた。
でも、ほんとうに平気だったんだろうか。
思えば、あたしはずっと、「助けて」と言えなかった。
たぶんそれは、どこかで思っていたんだと思う。
自分に助けられる価値なんかないんだって。
でも今は――自然に言葉がでた。
「いや。やめて。……助けて!」
ずっとずっと言えなかったこと。
叫んだ直後、それがどうして言えたかわかった。
あたしは今、自分のことを大事な存在だと思ってる。
大切にされた経験をしたからだ。
『オレのところに来い』
かけられた言葉が。
抱きしめられた感触がよみがえってきて教えてくれる。
このあたしだって大事な存在なんだ。
だけど、今気づいたところで遅すぎる。
この身を守るために、ただ両腕を前にして身を固くすることしか、できない。
彼らのうちの一人の手が、前髪をかすめた――。
「それ以上近づくんじゃねー」
反射的にぎゅっとつぶった目の力が、和らぐ。
なにかをぐっと押し殺した上から目線の、低い声。
そっと目を開けたそこに、彼はいた。
暗がりの中でも光り輝くような存在感。
「オレのカノジョ、傷つけたら倍返しだって、忠告したよな」
声はやたら威勢がいいけど、とても倍返しできそうな感じには見えない。
熱があるんだろうか。
汗をかいて、顔は苦し気に歪み。
きんぴかの衣装の胸元がほつれてぼろぼろだ。
「ちっ。来やがったな――」
リーダー格の男子が言葉を続けないうちに、あたしは叫ぶ。
「だ。だめだよ。純。その身体で一人で六人になんて勝てないよ! 逃げよう!! そうしよう!」
その言葉を待たずに、パンと鋭い音が響いた。
あたしは、言葉にならない声を上げて、よろめく。
不良の男子の一人が、純の顔を殴ったのだ。
ふらついた彼は、それでも倒れなかった。
血を流す口元をぬぐって――挑戦的に笑う。
「売れっ子アイドルがそんなかっこわるいことできっかよ」
殴ったそいつと、もう一人に挟み撃ちにされ、もみ合いをはじめた彼を見たときには目を覆いたくなった。
助けを呼びに行かなくちゃ。
そう思うのに、とりかこまれている彼から目が離せない。
震える手を握り締めて見つめたさきの光景に、あたしはまた目を瞠った。
あっという間にのされてしまうと思った純は、負けなかった。
それどころか、形勢が有利に見える。
一人を蹴りあげて、その先のもう一人の腕をねじあげて。
舞うように、戦っていく。
鮮やかなアクションシーンを見ているみたいだ。
そのうち一人、また一人と、不良達の瞳に恐れの色がちらつくようになって。
お願いです、聖夜の神様。
両手を組み合わせるかわりに、ただただ握りしめて、あたしは祈った。
純を助けて――。
そのとき、かすかに自分の声にならない悲鳴を聞いた。
後ろで見ていた三人目が、純の背後に忍び寄り、羽交い絞めにしたんだ。
ふいをつかれて押し倒され、三人に囲まれて殴られる。
純のきれいな顔が、殴られた衝撃で歪んでいく。
口の中に生暖かくて苦いものを感る。
あたしは、舌を噛んでいた。
目の前の現実が変えられるのなら。
あの人をあいつらの下から今すぐあたたかいベッドに送れるなら、なにを差し出してもいい。
なんでも――。
そう思ったときには、この足は、争いのさなかへ向けて駆け出していた。
でも、やっぱり、神様はいじわるだ。
後ろで待機していた残りの三人が、あたしの前に立ちはだかる。
真ん中の一人が、にやりと笑って、あたしの腕を取り――背中でぎゅっと捩じ上げた。
「……ぐっ、うぐっ」
出たのは、かわいい悲鳴でもなんでもなくて。
悔しさにうめく声。
うめきながらあたしは、きっと顔をあげて、彼らを睨んでいた。
涙なんか流してやるものかと思う。
女の子らしくなんかない、地味系女子である自分の特性がほんの少しだけありがたい。
こんなやつらに涙を見せるくらいなら、このさき一生かわいげのない、野暮ったい女子でいい。
だけど、この色気も女らしさのかけらもない声を聞きとがめたのが、一人。
殴られている純がはっとして、こっちを見た。
地面に伏せられているその体勢で、鮮やかな蹴りが、舞うように不良達の顔に飛ぶ。
その勢いで――まるで、舞台に舞い戻るように、彼は起き上がった。
そして――ひどく腫れているのに少しも、目力のおとろえないその瞳で、ぎろりと、あしを拘束している彼を睨む。
腕を拘束しているそいつの力が、一瞬緩んだ、とき。
すでにそばにいた三人をのした純は、ためらわずに、あたしの周りを囲む残りの三人に向かって、走ってくる。
傷だらけでぼろぼろのひどい舞台衣装で。
そして、誰よりも舞台映えする姿で。
数秒前、いじわるだと言った神様に。
ううん、ずっとずっと、残酷だと思ってきた神様なのに。
あたしは語りかけていた。
泣いて怒って、狂ってしまったような笑顔で。
運命の神様。きっと、あなたは、用意していてくれますよね。
なにもかもにストイックで、負けず嫌いで、こんなに優しいこの人には、ふさわしいエンディングを。
そうじゃなきゃ、そうじゃなきゃおかしいですよね……。
残りの三人を相手にする彼から目を離さないままに、あたしは掌に爪がくいこむほど、両手を握り締めた――。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます