Act36. 「カノジョになりたい」と契約の行方
祈りは、届かなかった。
数日後の午後四時。都心のカラオケボックスの一室。
胸の部分にケープとリボンがついた、黄色いワンピース姿であたしは夏陽と隣り合っていた。
白いソファにもたれてるんるん足を振る夏陽は、おしゃれなブラウンのネクタイ・リボンのついたブラウスに、同じ色のミニスカート姿だ。後ろの壁のハンガーには、藤波くんと色違いの赤いマフラーがかかっている。
さいきんのカラオケとはかくもおしゃれなものか。
あたしはぼーっと、室内に飾られているドライフラワーやポップな絵、パステルカラーのソファなんかを見つめる。
「あたりまえでしょ! あたしたち今からダブルデートなんだよ、雰囲気づくり大事!」
ダブルデートという自分で放った単語にきゃっと夏陽が興奮し、対するあたしはずどんと同じ単語が肩にのしかかってくるような錯覚を覚える。
さっきから極度の緊張で、多少気持ち悪い。
「……なんでこうなっちゃったんだろう」
と、すでに自明の疑問をまた繰り返す。
なんでこうなっちゃったかの答え。
それは藤波くんが、夏陽からのラインに、都心でなら数時間会える日をつくれるかもしれないと返事をしたからだ。
このカラオケは、彼らの事務所の立派なほうのレッスン場(例のあたしが迷子になったビルの中にある、あそこだ)のすぐ近くにある。
藤波くんはレッスンを終えて、夜からのドラマ撮影までの三時間をここで過ごしてくれるという。
そして、なんともご丁寧に彼は、純も一緒に来られる日時を設定してくれたのだ。
その手際はいとも軽やかだった。
「やぁ、夏陽ちゃん、花乃ちゃん」
そう、まるでこの涼やかな声と登場のように。
って。
「よ。二人とも元気か」
うわぁぁぁ、来たぁぁぁ!
カラオケのドアを押してやってきた、例の緑のマフラーに水色のコート姿の藤波くんと、その後ろの、紺色のダウンと黒いパンツの、純を見た瞬間。
反射的にソファから腰を上げ、逃げ出そうとしたあたしをさりげなく夏陽の白いブラウスに包まれた右腕が抑える。
「ごめんね、二人とも。忙しいのにつきあってもらっちゃって」
器用に左腕で迎い側の席を勧めながら――どの口が言うか。
マフラーとコートをハンガーにかけながら、藤波くんは口元で微笑んだ。
「二人ともかわいいね。クリスマスに咲くポインセチアみたいに華やかだ」
横で同じくダウンをハンガーにかけながら純がやれやれと首をふる。
「ね、ねぇ、夏陽、ポインセチアって、なんだっけ――」
「もー、やだーっ!」
いてっ。ばしっと、力強くはたかれた腕をかばう。
夏陽、この場合はたく相手間違ってないか。
というつっこみをあたしは早くもあきらめた。
瞳をうるうるさせて、小首をかしげて藤波くんを見つめている夏陽にはなにを言っても 聞こえやしないだろう。
「もし、あたしが真っ赤なポインセチアなら、正真くんのステージ衣装の胸に咲きたいな。……そうすれば、クリスマスのコンサートのときも、ずっと、そばにいられるもん」
ふいに沈んだ夏陽の声に顔を上げて、正真くんは夏陽が座っているソファの前に中腰になった。
「ごめんね。一緒にいられなくて、悲しませた?」
「……そうじゃなくて」
ぎゅっと握った手を膝の上に乗せて、夏陽は言う。
「正真くんは、あたしだけのものじゃないから。だから」
その肩が小刻みに震えている。
夏陽、だいじょうぶ?
そう出かかったせりふを、飲み込んだ。
震える肩を抱くことすらがまんする。
その役は、あたしじゃない。
ただじっと、沈黙が破られるのを待つ。
夏陽ちゃん。
そう一言口に出して、正真くんが、立膝になり、夏陽の顔をのぞきこんだ。
リップを塗ってツヤを増した夏陽の口がゆっくりと開かれる。
「こんなこと口に出したら、迷惑と思われるかも。重いって思われるかもって、なんども自分を止めたけど」
じっと膝を睨みながら、夏陽は続ける。
「でも、このままじゃ苦しいの。夢みたいな話でも、ばかげててもあたし」
ゆっくり、夏陽は顔を上げた。
「あたし、正真くんのカノジョになりたい」
藤波くんが、涼やかな目を見開く。
彼はおもむろに立ち上がり、数歩、後退したかと思うと。
どた。ばたっ。
え?
カラオケ機材の導線につまづいてますけど。
沈黙に耐えかねて、あたしは純に耳打ちする。
「藤波くん、どうしちゃったの?」
夏陽なんか、やっぱり迷惑だったよね、とか呟いて泣きそうなんだけど。
純はあぁ……と吐息交じりに言って、首筋の後ろをかいた。
「正真は、照れるとテンパるところがあって」
え?
照れてるのこれ?
藤波くんは、赤く染まった顔を片手で覆って、うろたえたように、夏陽の名前を呼ぶ。
「……今のは、マズいよ。相当な破壊力だ」
なんか呟いてるし。
でもって、照れるとテンパるっ習性の子って、あたしの身近に、ほかにもいたような。
「あぁっ、あたし、正真くんの心を破壊するほど重いお願いをしちゃって……うわーっ、ばかばかっ」
あんたも落ち着け夏陽。
「そうだね。このあいだのことで片をつけたような気でいたけど。やっぱり、おそろいのマフラーだけじゃだめだ。こういうのはちゃんと、言葉にしないと」
足元に絡まった導線を一本一本丁寧にほどいて、ようやく王子様は、夏陽のもとへ舞い戻った。
そして、Jポップ界の貴公子と呼ばれるスマイルで。
「夏陽ちゃん。僕の恋人になってくれますか」
プリンセスが、微笑んだ。
「はい。……はい……!」
見ていてたまらなくなって、あたしはくっと顔を背けた。
こんちきしょー。
返事は一回でいいぞ、プリンセスめ。
「……おい」
「はえ?」
顔を上げると、ドアップにはインパクトありすぎな整った純の顔が、困ったようにこっちを見ていた。
小声で、彼は言う。
「どうすりゃいいんだオレたち」
「うん……言っちゃなんだけど、完全に、孤島に取り残されたよね」
なにがおかしいのか笑い合う二人を前に、なすすべもなく、あたしと純は静止している。
「願わくば救助のヘリがほしい勢いだぞこれ」
無人島の苦い木の実でも食べたかのような顔をする純がおかしくて、ぷっと噴出した。
「なに言ってるんだ。次は純の番だろ」
「え?」
え?
藤波くん、片手を夏陽にもてあそばれるままにしながら、いったいなにを言い出すんだろう。
「聞いたよ。花乃ちゃんとつきあっているのは、告白避けって言ってるそうじゃないか」
うげっと純が顔を逸らす。
あんただな、とあたしは夏陽を睨む。
なにを情報垂れ流してくれてるんだ的な視線を送るが、幸せ絶頂モードの彼女に効力は皆無だ。
純はちら、とあたしを見て、
「そりゃ……お互い、別の目的のために、つきあってるわけだし……」
あ――、まずい。
もごもごと、呟くその姿を見て。
ちょっと、いやだいぶ、胸の真ん中が痛い。
「それじゃ、花乃ちゃんの小説が完成したら、純は花乃ちゃんと別れるのか」
藤波くんが真剣な眼差しで、純を見て。
夏陽がはっとしてこっちを見て。
純が、くしゃっと顔をしかめた。
ずきっと、心の奥のほうで音がする。
「……それは」
「それでも、純は平気なのか」
ばく、ばくと、ゆっくりから徐々に早くなっていく心音。
「あぁもう、しゃーねーな」
ぐっと肩を掴まれたそのとき、一瞬心音が止んだ気がした。
黒くて大きな瞳が、至近距離で見つめてくる。
そこには切なくて、苦しげな色が宿っていて。
一瞬顔を背けると純は言った。
「花乃。……オレさ」
その瞬間、漆黒の闇が心に射す。
その正体は莫大な、恐怖だった。
小説が完成したら、この関係を終わりにしたい。
あたしたち二人のあいだではとっくに前提になっているはずのその言葉を聴くのが今、こんなにも怖い。
怖くなっちゃったよ。純――。
「待って」
両手で、彼の胸に触れ。
「待ってっ!!」
ありったけの力を込めて、押し返した。
驚いた顔の彼を見つめながら、おどけて笑おうとした。
けど。
「きょ、今日は。楽しいパーティーなんだから」
ちゃんと笑えていたかどうかは、かなり怪しい。
「契約、とか、そういう堅苦しい話はいいから!」
荒くなった息で途切れ途切れに言葉を吐きだす。
「ニセモノのカノジョとか、カレシとか、そういうのは関係なく……今は楽しもうよ」
しぼりだすような声は哀願のようで。
彼の顔を切なげにゆがめてしまう。
「お願い……純。そうさせて」
一歩、二歩。それだけの距離を詰めると、純はあたしの手を握った。
「……わかった」
どこかもどかしいような笑顔が見えたのは一瞬。
「正真、『エクレール』メドレーで盛り上げるぞ!」
振り返った彼はアイドルの顔をしていた。
「えっ、いきなりかい?」
「わぁっ、『エクレール』メンバーの二人を二人占めだよ! やったね花乃」
しゃかしゃかとカラオケ機の横に備え付けられていたマラカスをふってよこしながら、夏陽が一瞬、優しい顔をした。
もう片方の手がぽん、と背中に添えられる。
「うん。そうだね! 贅沢ライブだ。盛り上がろう~」
流れ出した『エクレール』のノリノリポップソングにあわせて、あたしはマラカスを左右に振った。
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