Act34. マフラーの真相 ~夏陽side~

 十二月の半ばの土曜日。あたし、夏陽は駅から十分ほど歩いたところの小さな公園にいた。

 メッセージアプリで、正真くんから連絡があったからだ。

 いきなり、話をしたいと言ってきたのにはちょっと面くらったけど。

 内容ならだいたい予想はつく。


 嶺里小雪ちゃんとつきあうことになったから、もうきみとは会えない。


 そう言う彼を想像するだけで歩きにくいブーツなんか脱ぎ捨てて、一目散に逃げ帰りたくなる。

 でも、なんとか踏みとどまる。

 心の片隅では思ってたから。

 いつまでもアイドルとの恋に夢なんて見てちゃいけないのかもしれない。

 それ以上に。

 さいしょはウェブラジオ、それからテレビや動画を通じて、たくさんの笑顔と元気をくれた。

 その人の負担にはなりたくないって想いが、この足を、公園の時計の下に根っこのようにつなぎとめていた。

 手袋で、はし、と自分の顔をたたく。


 がんばれ、夏陽。

 今日一日、耐えるんだ。

 みっともなくすがったり泣いたりなんかしない。

 ありがとうを言って、すっきり別れよう。


 その決意も、やってきた彼を見て、がたがたと崩れる。


 上品なグレイのアウターにパンツ。

 きれいなシルエット。

 そして首元には――緑のマフラー。



 手編みにしては、ジグザグ模様も、とてもおしゃれで、凝っていて。

 歩いてくる彼の姿が、じわりとにじむ。



「小雪ちゃんにもらったマフラー?」




 立ち止まった正真くんが、かすかに目を見開いた。

 挨拶もなしに、いきなりなにを言い出すんだろうって思ったのかな。

 無理もない。あたしだって自分でそう思うもん。

 でも。

 止まらない。


「そうだよね。正真くんには、ああいう守ってあげたくなる女の子らしいタイプがあってる。……でも、だったらあんなこと」

 顔を背けて、一気に吐き出す。

「手を握るなんてほんのささいなことだって、しないでほしかった」

 数秒後に、抑えたような彼の声が響いた。

「僕たちのなかでは、ああいう記事は真実じゃないことも書かれるのがふつうだとわかっているから。きみのような賢い子が信じてしまうなんて、思わなかった」

 きゅっと、奥歯をかみしめる。

 あの記事は真実じゃないって、そう言うの?

 めらめらと、悔しさと痛みが燃え上がる。

 だったら、その首元にあるものはいったいなんだって言うんだろう。

「そりゃ、信じたくないけど。どうしたって動揺するよ。あたしに気を遣ってるならやめて。ほんとのこと言ってよ」

 ほんとうのこと――心の奥底を言える関係に。

 そうなれると思ってた。

 そういう途方もない夢を見てしまったから、醒めないといけないの。

「……正真くんのばか」

 手袋で顔を覆って、うずくまる。

 そのまま声を殺して泣いた。

 


 あぁ、最悪だ。

 彼の前で、一番やっちゃいけないって肝に銘じていた態度を、見事演じている。



 あけすけで蓮っ葉で、おしとやかには程遠くて。



 手袋の中で泣きながらふっとあたしは皮肉に笑った。



 あたしって、ほんとだめだぁ……。


 

 心でそう呟いたとき、首元がふわり、柔らかな感触に包まれた。


 手袋の手をそっと顔から離して、そこに見えたのは、赤い、ジグザグ模様のマフラー。


「その記事がどういう内容であれ、真相はこれだ」


 きれいな長い指が、彼の首元――緑のマフラーにかけられる。

「夏陽ちゃんと前にいった店で探して、自分で買った」

 いつも余裕そうに微笑むその瞳をどこか、不機嫌に陰らせて。

「……きみと。同じものを持っていたくて」


 冬の木枯らしが、枯れ葉をころころ転がして、誰かが遊んだあとのブランコが、きぃきぃと音を立てている。


「……正真くん」

 おそるおそる、その目を直視する。

「怒ってる?」

 いつもの紳士な笑顔が消え果て。

 彼はいつになくむすっとしたまま。


「少しね」


 マフラーごと、あたしの肩を抱いて、彼は立ち上がる。


「誰になにを噂されても立場上、多少はしかたないと思っていた。不名誉な嘘を書かれても、今更動揺しない。――でも」

 耳たぶを震わせるほど近くで囁かれたその声自体も、かすかに震えている。

「きみにだけは」

 その瞬間、あたしの世界が止まった。

「夏陽ちゃんに誤解されるのはすごく……いやだった」

 このまま、ずっと止まってくれればいい。

 でも、世界はすぐに動き出した。

 ずっとずっと、世界で一番かっこいいと思ってきた彼が。

 今は、むしょうにかわいく見える。


 いじけた顔も見せてくれた。――今はそれが、嬉しくて。


「これ、いっしょにつけてあるいたら、また記事にされちゃうかもしれないから」

 ゆっくり、首に巻いた真っ赤なマフラーをほどいていく。


「今日は正真くんがあたしのぶんまであったかくなって」

 ぐるぐるぐる。

 正真くんの首に、赤いマフラーを巻き付ける。

 すでに緑のマフラーが巻いてある、その上から。


「夏陽ちゃん。……窒息するよ」

「もっと巻いてあげる。あたしのそばから一歩も、動けなくなるまで」

「そう。でもそうしたら」

 首の後ろに手を回されて――引き寄せられる。

「こういうことだってできなくなるけど、いいのかな」

 やっぱり、この人には勝てないや。

 気づいたらあたしは笑っていた。

 正真くんも。

 笑ってできた息が冬の空めがけて、ふわりふわりと昇っていった。

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