Act33. 親友のために一肌脱ぎます
あたしは、東焉通りの寂れた小さな小屋のような建物の前にいた。
――そう。純が言ってた、アイドルたちの極秘レッスン場だ。
さび付いてもとの色がわからなくなった門の前にじっとたたずむ。
フードを目深にかぶり、通りの先でしゃがみこんでいる不良たちと目を合わせないようにして。
そうまでしても、どうしても、会わなきゃならない相手がいた。
それは――。
こつんと頭をたたかれて、ぷぎゃっと変な声を上げる。
「こんなとこに一人で来る奴があるか」
サングラスをかけて、赤いジャンパーを着て、彼はそこに立っていた。
その低声で話しかけるのはやめてほしい。
甘い蜂蜜にからめとられたようになって、脳全体が停止してしまうから。
不本意ながら、あたしは振り返った。
「純――」
そして、
「会わなきゃならないのは、あんたじゃないのっ!」
まことに理不尽な八つ当たりをしてしまう。
「もう、なんで……こんな気持ちのときに!」
純はくっきりした瞳をさらに大きくして首をかしげている。
「は? 何言ってんだお前」
あぁもう。だから。
あんたに声を出されただけで今のあたしは――。
「これから『エクレール』のライブの通し稽古なんだからオレがここに来るのは当たり前だろ」
ひー、心臓がうるさい。
「それはわかってる! だから来たんだけれども!」
「……いちいちよくわかんねーやつだな」
首筋をかくしぐさもなんかかっこよく見えちゃうじゃないか。
あぁぁぁもう、どうしたらいいんだ!
正当な理由なく地団駄踏み出したくなったあたしを冷静に戻したのは、彼の大きな目の、その下だった。
あれ。ちょっと黒ずんでる?
珍しい。
よく見れば、その顔もいつもより白く見える。
いや癪に障ることに、こいつの肌はもともとあたしより白くてつやつやしてるんだけど。
「なんか、すごい顔色悪いよ」
「あぁ」
純は前髪をかき上げる。
「ここんとこ遅くまで舞台演出の打ち合わせやらなんやらであんま寝れてねーんだ」
疲れの色濃い瞳で微笑む姿に、じわじわと何かが押し寄せる。
切なくて、痛くて、どこか熱くて――自分の肩をぎゅっと抱きしめてうずくまりたいような、ふしぎな気持ち。
「無理しすぎだよ。……いくら人気アイドルだって強がったって」
「お前ほどじゃねーよ」
純は門に軽く上体を持たれた。斜め上から、すがめられた瞳がのぞきこんでくる。
「だいじょぶか、その後。なんかされたらすぐ言えよ」
なんかされたらすぐ……?
とくん、とくんと、心の奥から温泉が湧くようにあたたかな音がする。
どちらかと言えば、今はしてほしくないというより、されたい。
この目にずっと見つめられて。
今門にかかっている手でひきよせられたい。
そう、こんなふうに、頬に触れられて。
じっと見てほしい。
「お前、目潤んでるぞ」
「……」
うぎゃぁぁぁ、ほんとに頬を持たれてる!
なにおそろっしいこと考えてたんだあたしは!
「やっぱり、またなんかあったんだな」
「ちがう! ほんとに! 今のはその」
ばっと顔をうつむけて、右手をふりつつ言葉を探す。
転がっていたのはたった一言。
「……嬉しかったから」
「……」
ふりかえって見た彼の頬は。
寒さのせいなのか、ちょっとだけ赤らんでいて。
「やっぱ今日へんだぞお前」
ごまかすように視線を落とす姿をいつまでも見ていたくなったとき、ようやくあたしは自分につっこみをいれた。
うつむいた純をいつまでも見るよりさきに、用事があって来たんじゃないか。
「……えっと、今日は、そのことじゃなくて。藤波くんに会いたいんだけど」
「正真に? そりゃ今から稽古だからメンバーは全員来るけど。なんで」
「いいでしょ別に。とにかく用があるの」
「だめだ。教えろ」
なんだそのいつもながら偉そうな命令口調は。
いくら彼の頼みでも、親友のことをおいそれと他言するのは気がすすまない。
「なんで純に言わなきゃなんないの」
人差し指を額につきつけられる。
「ほっとくとお前一人でしょいこんで大けがするから。しかも大けがに気づかないで走り続けるからだ」
「……」
ほらまた。
みょうな気持ちになったじゃないか。
心の奥にあるものにはじめて触れられたような。
「……わかった。話す」
ひとまず門に入り、建物の前の小さな空間で、あたしは純に語った。
夏陽のテンションが、干上がりそうだ、ということを。
つまり、著しく、元気がない。
そして、その原因に一つ、あたしは心当たりがある。
三日前オンエアされたエクレールの冠番組『エクレールがやってくれーる』。
エクレールのメンバーたちがふだん親しくしている芸能人の人やファンの人たちの「やってほしいこと」のリクエストに応える番組で、クリスマス前の延長版だったその日は、メンバー全員に一人ずつスポットライトがあたって、それぞれがおもしろいリクエストに応えて行った。美谷島くんはベビーシッターをしに、若いお母さんのお宅へロケに行って赤ちゃんのお世話に奮闘。成瀬くんなんか、みんなの前で自分をひたすら褒め称えてくださいっていう苦行に近いリクエストをもらったりして。なにより、純がテーマパークでうさぎの着ぐるみでバイトをして、踊ってとかバク転してとかいう小さな子たちのリクエストに渋面をしていたのには笑えた。
ところが、スタジオで藤波くんにスポットライトがあたるコーナーになったとき、あたしは凍りついた。
そこには女性芸人さんやタレントさんたちがきれいにおめかしして、オーディエンスにきていた一般の人たちの投票で、誰が藤波くんにふさわしいか競い合うという趣旨のものだった。
女性芸人さんたちがファッションやメイクで見違えるほどきれいになって藤波くんにアピールしたり、そうかと思えば、体操着姿でゴールにいる藤波くんめがけてものすごい表情で五十メートル走をかけぬけたり、盛り上がったコーナー。いいところで、エントリーすらされていなかったモデルの嶺里小雪ちゃんが登場した。おりしも正真くんがマフラーをプレゼントするつもりだって記事に出たその相手だ。儚げで愛らしい雰囲気を持つ彼女が、オーディエンスの一般の人々による「藤波くんにふさわしい子」投票で過半数を獲得して、あっさりデート権をとってっちゃったっていうラストだったんだけど。
「翌日昼休みの夏陽の顔。正直あれは、やばかった」
まず、いつもぱっちりしている目が死んでいた。テレビ画面ぶちこわして、向こう側へ行って参戦したかったって顔に書いてあった。
「もともと藤波くんって、嶺里小雪ちゃんとは噂があったでしょ? 二人の仲はほんとうなの? ね、純、知らない?」
「……あの記事はわりと大々的にメディアで流れてたから、気になっちゃいたけどな」
純は眉をしかめて宙をにらんだ。
「でも、そういう微妙なプライベートの話って、案外メンバー同士でも話さなかったりすんだよな」
そうなのか……。
「正真くん、夏陽といっしょに何度か出かけてくれたみたいで。手をつないでくれたこともあったって」
純がかすかに目を見開く。
「マジか。あの正真が?」
「うん。だから、相当ショック受けてて」
「……そりゃたしかに。まずいな」
「こんなところに二人でいるきみたちのほうがよほどまずいよ」
突如として響いた、涼やかで知的な声。
え?
これって。
「わーーっ!!」
「正真、心臓に悪いな。いるならいるって言えよ」
稽古前のラフなパーカー姿で現れた藤波くんに純と二人で驚きつつも、向きなおる。
彼こそここへ来た目的。
伝えなきゃ。夏陽のこと、もてあそばないでって。
すーっと息を吸いこんで、
「純。花乃ちゃんと過ごしたいのはわかるけど、こういう場所でしかもこの時間帯だ。もう帰してあげないと」
紳士発言に出鼻をくじかれる。
うーーん。やっぱり、そんな人には見えないんだよなぁ。
思わず口をつぐんでいるあいだに、遠慮のない純が口を開く。
「そう言うお前がちゃんとしろ。先週オンエアの『エクれる』。嶺里さんがデート権とったやつ。夏陽ちゃん見てたんだとよ。お前男としてそういうのはちゃんとしなきゃまずいだろ」
ガチ目に忠告する純の肩をとんとんとたたく。
「言っとくけど、純もだからね」
「は?」
大きな目をきょとんとさせおって。
「バラエティの中で、男ならだれか一人選べよとか、めちゃはやしたててたでしょ! 夏陽の気持ちも考えてよ!」
「いや、そりゃ番組の趣旨なんだからしょーがねーだろ!」
コントのようなやりとりを、静かな声がさえぎる。
「あれは、番組の中でのことで。それは夏陽ちゃんもわかってると思う」
涼やかな目元がかすかに下を向いて。
どこか屈折した光を宿す。
「それに。釈明が必要な関係でもないし――」
ぶちっ。
あたしは、自分の中で、なにかが切れる音を聞いた。
「藤波くん! それならどうして、何度か会ったり、手つないだりするの!?」
下を向いたまま、彼の瞳が、すがめられる。
「人気アイドルの藤波くんにとって、女の子から好意を寄せられるなんてことは、数あることの一つかもしれない。でも夏陽にとっての藤波くんは違うの!」
純は黙ってこっちを見てる。
「ずっと大切にしてきた気持ちなんだよ。だから、てきとうに扱ったりするのはやめて。その気がないなら、せめてそう言ってあげてよ」
じっと、未だに視線が合わない藤波くんを見つめる。
「でないと、今の夏陽は、見てらんないよ……」
決して崩れることなんかないような、端正な瞳が、うめくように伏せられた。
あたしはぺこりと頭をさげて、門の外に向けて歩き出した。
「ちょっ、花乃、お前、この薄暗い中一人で帰る気――」
吐息のあと、純が駆け寄ってくる足音がする。
同時に。
「正真。あいつの言うことにも、一理あるぜ」
背中を向けて歩きながら、その声がちょっと疲れにかすれているのが、やっぱり気になった。
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