Act32. 自らつくりだしたヒロインに、教えられたこと

 藤波くんはほんとうに小雪ちゃんとつきあってるんだろうか。

 だとしたら、ちょっとひどくないか。

 雲のうえのアイドルにとってしょせんふつうの女の子なんて、ちょっともてあそんで、ついでにファンサービスしてあげるだけの存在ってこと。

 そんなのってない。

 夏陽はあたしの大事な友達なのに。


 学校から家への帰り道、歩きながら頭のなかがぐるぐると回る。



 純もそうなんだろうか。




 その日、家に帰ってから、机に向かって、あたしは猛烈に原稿を書いた。 

 頭が烈火のごとく冴えわたる。

 あたしが怒りを感じること。

 悲しいこと。

 幸せな瞬間――。


 なにもかもを原稿にぶつけるつもりで書いた。


 時計の長い針と短い針が真上をさした瞬間、二十枚近くのルーズリーフを机の上にそのままにして、ばたりとベッドに倒れこんだ。


 気がつくと、ふわふわした雲の塊のような空間にいた。


 雲の階段から、誰かが降りてくる。

「花乃。花乃!」


 誰かが呼んでる声がする。

 かわいくてちょっと生意気そうな。

 女の子の声。

 はじめて聞くのに、もう何度も聞いているような。

 ふしぎな声だ。


 現れたのは、くるりんとサイドを内巻きにしたショートカット。

 栗色の目。


 これ。

 このキャラデザインって。


 女の子は大きく息をすって、言った。

「やっと気づいてくれた! そうだよ、あたし、音乃! 花乃がつくってくれた、音乃だよ!」

 女の子は手足をばたばたさせながら、そう名乗った。

「花乃はあたしに、あいつ――空夜を遣わして助けてくれたでしょ? 恋がしたいっていう、あたしのほんとの願いを叶えてくれた。だから今度はあたしが花乃のところに来たの」

 あたしがつくったヒロイン音乃は、とんと、あたしの袖をたたいた。

「情けないよ、花乃」

 そういって、あたしが思い描いたとおりに生意気そうに眉をつり上げる。

「花乃は小説の中であたしにすてきな恋を経験させてくれた。そのくせ、自分の恋には迷ってるんなんて」

 あたしがつくったヒロインは、あたしの手をはなれてなんだか好き勝手なことを言っている。

 恋?

 この地味系女子のあたしが恋ですとな。


「わかってるくせに」


 小さく口をすぼめたあと、音乃は夢見るように、雲の切れ間から差し込んでいるふしぎな光を仰いだ。

「あたしにもよくわかるよ。……物語の中でいっぱい恋したから」

 目を閉じ、胸に手をあてると、言う。

「彼は、こう言うんだ――」

 うんうん。

 たしかにあたしは小説の中で空夜に、これでもかというほど甘酸っぱいセリフを言わせた。



『きれいな場所もあるってとこ、ちゃんと見してやる』


 

 あれ?

 空夜の台詞にこんなのあったっけ?


 違う。これは。


『オレが、幸せにしてやるよ』


「どうしよう、音乃」


 あの華やかな顔立ちが。

 えらそうな目つきだけが頭にくっついて離れない。


『オレの彼女だ。傷つけたら百倍返しを覚悟しとけ』


「あたし、好きになっちゃったの?」


 オレ様で強引で、しかも雲の上のアイドル。

 あいつのことを?


 そっと、音乃は頷いた。

 さぁぁぁっと、波のような恐怖が、心に押し寄せる。


「不安だよね。好きな人ができちゃって。でもどうしていいかわからなくて。花乃の心ずっとゆらゆら揺れてたもん。そりゃわかるよ。あたしは花乃の心の中にいるんだから」


「でも。……でもさ」

 押し寄せる不安で怖くて、でもおそろしく幸せな気持ちに抵抗しようとするように、言葉が出てくる。

「あたし、今まで誰かを好きになったことなんかなかったんだ。でも、好きになるなら条件がたった一つあるの。ぜったい優しい人って決めてたのに。あんな上から目線オレ様男を好きになっちゃうなんて。ぜんぜん、なっとくいかないよ」

 じっと、音乃がこっちを見つめてくる。

「でも、好きなんでしょ?」

 うっとうめいて、うつむいて――。

 あたしはゆっくりと顔を上げた。

「さすがあたしの作った登場人物。嘘はつけないね」

 ふっと音乃は優しげに微笑む。

「ほんとうに、彼、花乃の条件にあてはまってないのかな?」


『消えたくなったらその前に、オレのとこに来い』


 ……。


「よくわかるよ。それ、あたしが物語の中で経験していくことそのままだもん。ピンチを助けてくれて、ぶっきらぼうだけどたしかな優しさを乙女心は敏感にキャッチしちゃうんだよね」


 彼の優しさのスパイスが心のお鍋に投げこまれると、

 いつからか、“辛い”でいっぱいだった心は、それ以上の“幸せ”があふれ出て。


 沸騰して、いつしか甘い恋心ができあがっている。


 ずっと物語の中に書いていたものが、いつの間にか現実になった。


 そして、物語の中の恋は、あと少しで校了する。

 この小説が完成したら、契約の恋人同士も終わり。


「ねぇ、音乃――」


 呼びかけたとき、そこには誰もいなかった。

 雲と木漏れ日の中、一人胸に手を当てる。


 あたしは、このニセモノの恋をどうしたいんだろう?

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