Act31. 親友のテンションが枯渇している

 次の日学校で、あたしは純に牽制されたことによるいじめっ子たちの報復を多少は覚悟していた。

 身構えて教室で過ごしたものの、例のいじめっ子たちは、次の日、目立ったことはしてこなかった。

 ただ、悔しそうにこっちを見る目つきが危ういのが気にかかる。

 そういう細かいことまでぜんぶ知らせろって、純は言っていたけど。

 昨日のあの感じだと、少しでも報告したらまともにケンカしに行きそうだ。

 


「しょうがないな、もう」


 こぼれたのは吐息にふしぎと、憂いの香りはなかった。


 昼休みになるとあたしは不良の人たちのことを、かんぜんに忘れてしまった。

 ほかの大問題が、目の前に横たわったからだ。


 いつものごとく図書室の奥のせきに向かうと、どよーんという文字を頭の上に浮かべて、夏陽がテーブルに伏せっていたんだ。

「夏陽! だいじょうぶ、夏陽」

「あぁ……花乃」

 上げた顔にまたおどろく。

 いつもぱっちりしているその目は腫れ、色濃いクマまでできていた。

「どうしたのこの世の終わりみたいな顔して」

 そう言うと、夏陽は小さく息を吐いた。

「……ごめん。花乃だって、毎日いろいろあってつらいのにね」

「あ、あたしは」

 だいじょうぶ。

 っていうかむしろ、なんだろう。

 今はふわふわしたような。

 これは、幸せな気持ちっていうのかな?

「……純くんとなんかいいことでもあったの?」

 う。鋭い。

「うん」

「そっか」

 あれ。

 いつもと全然反応が違うぞ。

 夏陽はだらんとだらしなくまたテーブルにつっぷした。

「でも、その話、また今度でいいや。そこにぶつけるだけのハイテンションがあいにく今、枯渇中なんだよね」

 長い指がいじいじと、テーブルの上をなぞる。

 これは、腰をすえる必要があるな。

 あたしは文字通り、夏陽のとなりの席に深く腰掛けた。

「テンションの泉みたいな夏陽が、それ一大事じゃん」

「ふーんだ」

 相変わらずテーブルの上をなぞりながら、夏陽は口をとがらせる。

「あたしだって、エンジン切れにくらいなるんですー。どうせおしとやかには程遠いじゃじゃ馬ですけどねー」

「……なにかあったの? 藤波くんとのこと?」

 夏陽の指がふいに止まった。

「花乃、知らないの?」

「へ?」

 ちょっと口をすぼめて、夏陽は語った。

 夏陽史上、最小の声で。

「今日のネットニュースの報道。藤波くんが、モデルの嶺里小雪みねさとこゆきちゃんにプレゼントされた緑のマフラーをつけてる写真が大きく載ってて。二人は恋人同士なんだって」

「――」


 あたしは頭を抱えそうになり――抱えかけたその手をテーブルに置いた。

「でも、ネットやテレビ番組がしてる芸能人の噂なんて、真実じゃないこともたくさんあるって純も言ってたよ?」

 そう言いながらも、あたしの胸はふつふつと熱いものが沸きはじめていた。

 藤波くん。彼女がいるならなんで、夏陽とデートなんかしてくれたんだろう。

 思わず呟いた非難交じりの声に、乾いたような夏陽の声が答えた。

「きっと、ファンの夢を叶えてくれたんだなって」

 その瞳は、過ぎ去った夢を慈しむように、遠くを見ていて。

「『きれいな世界はなくても、きれいな瞬間はある。そのために生きてみてくれませんか』って、ラジオのリスナーを励ましたみたいに」

 ゆっくりと言葉が紡がれる。

「藤波くんがやってるウェブラジオ。その言葉を聴いたときはもう、好きになってたんだ。アイドルなんかほんとに好きになっちゃって。……ばかだよね、ほんと」

「……夏陽」

 ばかなんてことない。

 腕に顔を伏せる親友に、そっと呟く。

 同じだよ。

 あたしも。

 消えたくなったら消える前にオレのところにこい。

 純もそう、言ってくれた。

「アイドルだからじゃない。彼の言葉に、ほんとうに救われたんだよ。だから」

 泣いていいよ、今は。

 あたしはさりげなく座っている椅子を前に出して、つっぷす親友の前に身を置く。

 こうすれば、図書館にくるほかの生徒の視界から、親友の姿を少しは遮れるかなと思いながら。

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