Act26. 知性派アイドルの理論 ~夏陽side~

 不良たちの中に飛び込もうと勇んでいるところを正真くんに諫められ、相変わらず寄り添われて夕闇の中でも明るい大通りに出る。

 ずっと憧れていた人気アイドルとこうして触れ合うほど近くで歩いているなんて、冷静に考えたら極楽浄土にきたのかと見まごうほどのシチュエーションだけど、残念ながら今はそこまで舞い上がれない。

 あそこでひきかえしてきて、ほんとうによかったのかな。

 花乃の親友として――。



 数日前の貝ヶ浜の海岸でのことがよみがえる。

 花乃は正真くんとの仲を文字通りとりもとうとしてくれていた。

 たしかに、あたしはずっと彼に憧れていたけど。

『夏陽とデートしてやってください!』とかド直球で言うやつがある?

 呆れと恥ずかしさでつっこんだけど、心の片隅であたしはちょっと笑っていた。なんだか花乃らしくて。

 かけひきや計算が苦手。

 そこまでかと思うほどまっすぐで。

 だから壁にぶつかることも多くて、つまずいて。




 でもそれが、歩んでいくうえではいちばん快い方法だったりする。




 名付けて七転八倒型。歩みはのろくて時間はかかるけど、誰より遠くまで――きれいな街まで行けるんだろうと思う。

 だからあの子には、そのままでいてほしかった。

 不器用なカメの歩みを、崩さないで。

 とん、とん、とん。

 もし、もし、かめ、よ。

 ……あれ?


 なるべくそっと、唐突にならないように、あたしは立ち止まった。

「正真くん」

 考え事に気をとらわれているうちに、あたしに寄り添い歩く彼のスピードが徐々に落ちてくる気がした。

「もしかして、足とか痛い?」

 正真君はごめんね、と苦笑した。

「ついてこさせておいて、気を遣わせちゃったかな。少し前、映画のアクションシーンでしくじってね。一度はだいぶよくなったんだけど、最近またぶり返して」

「えっ! それなら言ってよ!」

 身をかがめ、その足元の革靴をのぞき込もうとするあたしを彼はやんわりと制した。

「気にするほどじゃないんだ。仕事では人に言うと休憩を入れたり色々気を遣わせて、全体の仕事が遅くなってしまうこともあるから、言わないことが多いくらいだから」

 中腰の体制のまま彼の顔を見上げ、三度まばたきする。

「そ――」

 気がついたら、口走っていた。

「それはだめ! 正真くん!」

 もともと女の子のようにかわいらしくてくりくりした目が驚いたようにこっちを見る。

 しまった。

 思ったことをついその場で言ってしまう癖がでてしまった。

 もうこれは、状況的に伝えるしかなさそうだ。

「……あたしは、お仕事のこととかよくわかんないけど。でも、正真くんほどのすてき男子だったら、いつも笑顔でいてほしいって思ってる人はぜったい周りにいること確定なんだから!」

 両手を広げて力説しだしたあたしに、今度は正真くんのほうが目をぱちくりさせる。

「う、うん。……そう、かな」

「だから、調子が悪いときは、せめて誰か一人にはちゃんと言わなくちゃ!」

 ええいもうやけだ。

 ぱしりと両手をあわせて頭を下げ、まとめに入る。

「苦しいときは誰かを頼ってください。そこんとこ頼みます!」

 頭を下げたまま数秒間の沈黙に耐える。

 あたし、なにやってんだろう、憧れの人の前で。

 出すぎたこと言っちゃったかな。

 変な子って思われたかも。

 くすりと降って来たのは――無邪気な笑い声。

 顔をあげると、正真くんが口元に手の甲をあてて必死で笑いをかみころしていた。

「はは。怒られちゃったか――そうだね。きみの言うとおりかもしれない」

 そう言ってまたくくと笑う彼に気分を害した様子はないけど。

「あの。なんか……ごめんね」

「え?」

 しゅんと肩をすぼめたあたしに彼の瞳が注がれる。

「正真くんを、テレビやネットの動画で見てたとき。きっとこういう理知的な人のとなりには、おしとやかで可憐な子が似合うんだろうなって思ってて。……でしゃばりな女の子は、あんまり好きじゃないかなって」

 正真くんはふっと白い花が咲くように微笑んだ。

「でしゃばりおおいにけっこう。女性の意見が社会を変えていく時代ですよ」

「あは、は……」

 さすがに切り返しがうまい。

 きっと気を遣ってくれてるんだろう。

「でも、さっきの、『頼ってください』っていう、あれは――」

 涼し気な目元を細め、彼がちょっとミステリアスに笑った。

 ――あ。これだ、と思った。

 よくバラエティショーやライブの歌唱中に見る、よく知っている正真くんの笑い方。

「一人で不良たちの溜まり場に乗り込んでいこうとしていた人に、そっくりそのままお返ししたい台詞ではあるかな」


 ……うぐ。

 しっかりやり返された。


「君のような子が、いったいどうしてあんな危険な場所に?」

「ええと、ですね」

 あたしは自分の胸に手をあてるつもりで、整理した。

 そう、今度はちゃんと丁寧に伝えよう。


 正真くんに、人を頼ってくださいなんて、大胆にも言ってしまったのは、元来のあけすけな性格のほかにも、原因がある――。

 ほかにも、心を打ち明けて、頼ってほしい人がいた。


「友達が――花乃が。ひどいことされたから」


 正真くんの瞳がすがめられる。


「小学生のときから親友だと思ってて。中学に入ってクラスが別れちゃったけど、それは変わらなくて」


 二年生になった頃からか。

 たまに花乃は元気がなくなることがあった。

 ほどなくして、クラスの一番目立つ男女のグループからかなりひどいことをされていたって知ったんだけど。


「それ……あたしが知ったの、なんでだと思う?」


 同じクラスの、やっぱり目立つ連中が噂してたの。

 花乃のこと。きもいとか、きらわれてるとか。


 根も葉もないおかしな作り話まで。


 語っている唇がかすかに震える。

「友達の危機を、他の人が悪口を言ってることで知るなんて」


 口に出してしまうと、あのときの悔しさがフラッシュバックして、拳に爪がくいこんでいた。

 わかってる。

 花乃は、あたしや、家族に心配かけないようにって思ってること。

 案外根性があることも。


 でもあたしは、花乃に話してほしかった。

 つらいって、言ってほしかった。


 そりゃ、あたしができるのは、そういう奴らに一喝することくらいで。 

 なんにもならないかもしれないけど。


「待って」


 そこまで話したとき、焦りを含んだ正真くんの声が遮った。


「夏陽ちゃん。その人たちを、一喝したの?」


「え? あ、うん」

 ゆっくりと区切るようにして確認する彼は、口をかすかに開いて、まさしく瞠目している。

「花乃の原稿が破られたとき、ちょっと。がまんできなくて、教室に踏み入って――」

 正真くんが端正な顔をくしゃっと歪め、吐息のようなものを漏らしてうつむく――そこには苦味と笑みとが、半分ずつ。

 でも、一瞬後に上げた顔は、さすが完璧な知的アイドルの微笑み。

「じゅうぶん伝わってると思うよ。花乃ちゃんに、夏陽ちゃんの気持ち」

 さらに笑みの要素をプラスさせて、

「気持ちを伝える一番のものは行動だからね」

 有名大学への進学するために勉強にも励んでいるという噂もある知性派アイドルは、テーゼを提示したあと、その例示をしてくれた。

「アクションで足を痛めて、コンサートで高くジャンプして登場しなくちゃならないときがあったんだ。振り付けのレッスン中にメンバーの中で、鬼のような監督に意見してくれたやつがいてね。――仲間が踊れなくなったら困る、スライドでの登場にさせてくださいって」

 理路整然と――なのに軽やかに、あたたかく。

 響く言葉は、こんがり焼きたてのパンに浸透する蜂蜜のように、抵抗なくあたしの中に吸収されていく。

「彼のことは昔も今も、信頼してる。また借りをつくったなって、照れ隠しにそう言ったけど、嬉しかった。メンバーの中でも動機で気安い仲だから、減らず口ばっかりたたきあってるけど、日々いっしょに仕事をしてくなかで、いつか借りを返そうっていう意識がどこかにあるんだ――何が言いたいかって言うと」

 

 知性派アイドルの理論は、いよいよ結論を迎える。


「友達もきっと、夏陽ちゃんの気持ちを嬉しく思っているってことだよ」


 たっぷりと満足感のあるピリオドが、胸に降りてくる。

 それをそっと噛み締めていたから、完全に不意打ちだった。


「だけど、気をつけて」


 彼の理論に、思わぬ注釈が加えられるとは。


「友を想う優しい人は時にまっさきに傷つくことになるから」


 止まったはずのピリオドが心臓のてっぺんにせり上がって、かたかたと踊るように鳴っている。


「きみになにかあったら、友達は一番悲しむからね」


 ピリオドはぎゅっと、胸の中に食い込んだ。

 すごく、すっきりとした爽快感。

 でも少し、しびれたように痛くて。

 それはたぶん、もっと、もっとほしいと切なげに求める声で。 



 テレビや動画で、彼の言葉を聴くとき。

 決まってそんなふしぎな心地になった。



 やっぱり、この人は紛れもなく、藤波正真だ。

 画面を通して、よく知っている彼なんだ――。

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