Act22. 彼の隠れた理想 ~夏陽side~

「夏陽ちゃん。はい。紅茶にお砂糖とミルク一つずつだったよね?」

「あ。ありがとう……」


 都心のレストラン、オムライス専門店『ふわとろオムール』。

 セルフのドリンクが置かれたテーブルで、あたしのぶんの角砂糖までとってくれる。

 相変わらず、完璧な紳士ぶり。


「どうかした?」


 気がつくと、サングラスをかけた彼がふしぎそうにこっちを見てる。

 しまった。無意識にじっと見てしまっていた。


 ……あんな記事が真実のはずない。

 となれば、真実ではないことを書きたてられた、藤波くんのことがずっと心配だった。


 でも、本人はいたってふつうだし。

 心ない記事なんかのことを、思い出させることもない、かな。



 席について、彼がミルクティーを差し出してくれて。

 注文したえびクリームのオムライスが目の前にやってきたタイミングをはかって、あたしは別の話題を切り出すことにした。

「先週オンエアされたドラマのアクションシーン、見ました」

 この話題を出すと自分でも声が上ずっているのがわかる。

 コーヒーを口に含んでいた藤波くんが苦笑した。

「ありがとう。でも夏陽ちゃん、そろそろ敬語はやめない?」

「は、はい。って、えぇ?」

 なにをーーっ。

「ずっと丁寧語っていうのも、なんだか疲れるでしょ、お互い」

 このスーパーアイドルに敬語を使わないとな。

 とか言いつつそれは憧れでもあったので、あたしは努めて敬語を解いて、ドラマの感想を述べる。

「えっと、じゃ、藤波く……じゃなくて、しょ、正真くん」

 なんてななんてな!

「なにかな、夏陽ちゃん?」

 心の中で数百回転げまわったあと、あたしは切り出した。

 正真くん主演のアクションドラマのタイトルは、『メチャ・ワル・ヒーロー』


「不良男子のかっこうをした正真くんが、自転車に乗って全速力で駆け抜けるシーン! キリっとしててすごくかっこよかった!」


 もう、あの勢いで向かってこられたかったもん!

 と、興奮気味にまくしたてたのだったが。


「……あ。あれ。そう。そんなに……よかったかな」


 あれ?

 正真くんはなんだか戸惑い顔だ。


「あのシーン、反響はけっこうあったんだけど。そういうふうに言ってくれたのは、夏陽ちゃんがはじめてだよ」


 そんなふうに言ったあと、彼はまたコーヒーを含む。


「え? そうなの?」


 ふしぎだ。目をむくあたしに彼は、うん、とうなずいた。


「どちらかというと、『最高に馬鹿らしくてよかった』とか『笑いすぎてお腹が痛かった』っていう声のほうが圧倒的で」

 カップをそっとテーブルに戻しながら、彼自身もなんだか笑いをこらえきれないように言う。

「まぁ。あの場面のストーリー展開を考えたら、そうだよね。僕自身も、いかに滑稽でコミカルにできるか、そればかりを考えていたし」

「うーんと……」

 ミルクティーをかき回しながら、ぐるぐるとあたしは思いめぐらす。

 あぁ、そうだ、よく考えたら。


 自転車で勢いよく暴走するシーン。それは藤波くん演じる不良男子が、グラビアアイドルの写真集を買いに、コンビニまで走るというシーンだったのだ。


 そのために作戦会議を開く不良たち。

 独自に作成した町中のコンビニを記したマップをにらんで。

 どこでなら人目につかずに目当ての雑誌を手に入れることができるか画策する。


「うん、たしかにすごく笑えた」

 でもなんだろう。

 知性派王子の正真くんが、下心丸出しの不良を演じているというギャップにあてられていたというか。

 かっこよく見えちゃったんだよね。


 ビュンと風をきって自転車をこぎながら、「女性店員がなんぼのもんじゃい!」と叫んでいた彼と、今目の前で控えめに微笑する正真くんが同一人物とは、実際とても思えない。


 そう言うと、あぁ、あのセリフと彼はほほえんだ。

 内緒話をするように、目を細め、首を心持ち、かしげて。

「あれ、アドリブだったんだ」


 へぇぇっ!?


 くすくすと笑いながら、彼は言う。


「スタッフさんの中には、『そんなセリフまで叫んで、イメージ崩壊になりませんかね』、なんて心配顔で言う人もいたけど」


 どうせならとことんやったほうが、みんなも楽しんでくれるって思ってね。

 中低音とともにかまされた、ミステリアスなウインク。

 ギャップでしかないその姿は文句なしに、魅力的だった。


 もしかして……それも計算済み?


 ちょっと恐れおののきつつ、ほんのりピンクのソースがかかったオムライスにナイフを入れつつ、あたしは見解を述べる。

「あのセリフは最高だったけど、スタッフさんの言うこともちょっとはわかるかな」

 ほんとうの正真くんはまるで王子様みたいなんだもん。

 野蛮さなんかひとかけらもないって感じ。


 そう言うと彼は、ちょっとだけ複雑そうに笑って、窓の外を眺め出した。


 ……やっぱり、気にしてるのかな。

 あの記事のこと。



「正真くん。……だいじょうぶ?」

 あたしは結局、この問いを胸にとどめておくことができなかった。


「え?」

 女性のように優しげな目が見開かれて、こちらに寄せられる。

「……あんなふうに、ネットニュースに書かれて」

 いつの間にか、あたしがオムライスに添えたスプーンは止まっている。

「ひどいよ。正真くんは暴力ふるったりする人じゃないのに」

 正真くんは、あぁ、あれね、と笑った。

 そして、……言わないつもりでいたんだけど、と困ったように前置くと、

「じつは、あの記事が被害者だって言っているのは、前駐車場で待ち合わせたとき、夏陽ちゃんにつっかかってきた人たちなんだ」

 思わず、スプーンに添えた手を離す。

「え。それって」

 正真くんがあたしをかばってくれたことへの、報復ってこと?

 じわじわと、不穏な暗闇が胸に満ちていく。

「街を歩いていたら、いきなり襲い掛かってきて。どう言っても引いてくれなそうだから、一度腕をひねらせてもらった。そうしたら彼ら、『エクレール』のメンバーに殴られたって騒ぎだしてね。そのことが、藤波正真がいわれなき人々に暴行したっていう記事に発展したみたいだね」

 スプーンを握っていた手を宙にうかせたまま、あんぐりと口を開ける。

 そんな……!

 言葉も出せずにいると、正真くんはお店の窓の外を物憂げな眼差しで見つめはじめた。

「気になることと言えば、レッスン場や仕事場への通いのことを気遣ってくれるメンバーやスタッフさんたちだよね。同期のメンバーの一路純なんかは、騒ぎが落ち着くまでスタッフかメンバーが街や電車では交代でつきそうように提案してくれたりして。いくら一人で平気だって言ってもきかないんだ。……心配と迷惑をかけてしまった」

「……」


 じわじわと、こぼれたコーヒーの染みのように、胸の中に広がっていくのは。

 切なくて、やりきれなくて――どうようもなく痛い、気持ち。


「あ、誤解しないで。夏陽ちゃんを責めているわけじゃないんだ。きみはなにも悪くないんだから」

「……そうじゃなくて。そうじゃないの、正真くん」

 広がっていくその感情をもてあましながら、必死で言葉をさがす。

 いっそ責めてくれたほうが、ここまで胸は痛まなかったかもしれない。


 胸に広がったシミが、こんなに痛いのは、

 この人があまりに優しいから。


 ほかのメンバーのみんなやスタッフさんたちもたしかに心配だけど、一番傷ついているはずなのは――。


「正真くんは、平気なの? そんな、事実を捻じ曲げた書かれ方して」


 正真くんは、窓の外を見つめたまま言う。

「心配してくれてるんだね」

 ふと斜め下に落とされた視線が陰る。

「正直こういうことは、この世界で生きていたら、決して珍しいことじゃないから。僕自身はなんともないんだ。メディアを通して人々になにか発信するってことは、本人の人となりや想いがまっすぐ伝わることばかりじゃないからね。ある程度の誤差が起きるのは仕方ないかなってわりきってる」


 ……。

 閉じた唇を、知らず、あたしは噛んでいた。

 そうなのか。

 彼が傷ついていないのなら、よかった、のだろうか?


 それでも、この胸のシミは消えてくれない。


「なんか……寂しいな」


 ぽつり、落ちた言葉。


「あたしは寂しいし、やっぱりいや。こんなにすてきな正真くんを、誤解したままの人がいるなんて」

 一つ、また二つ。

 言葉が零れ落ちていく。

「芸能人でいるって、つらいね」

 最後のワンドロップが零れたとき、そう見える? と正真くんはきれいに微笑んだ。

「だけどさ、夏陽ちゃん」


 いつの間にか、彼の視線は正面の席にいるあたしに向けられていて。

 深い色をした原石のような瞳が見通してくる。


「芸能人じゃない人はみんな、周りに自分のことを深くわかってくれる人がいて、幸せなのかな?」

「――」

 あ……。


 一つ、まばたきして、見えてきた答え。

 答えは必ずしもイエスではないのかもしれない。


 ふつうの人だって誤解されることはある。


 心からわかってくれる人がいなくて寂しいっていう子たちの声。

 藤波くんのウェブラジオにはたくさん寄せられていた。


「そういうこと。誰かに認めてもらいたい、ありのままの自分を愛してもらいたいって気持ちが完全にかなわないことは、生きていればありうることなんだ。芸能人だけじゃない。みんな少なからず、そういうことに折り合いをつけていくんじゃない?」



 ゆっくりと、あたしは心で、大きなものを飲み下そうとする。

 賢くて、大人な考え。


 うん。――そんなふうに思えるの、すごいよ。正真くん。


 でも。でもね。


「『エクレール』の代表曲の一つのバラード。『プリザーブド・プリンセス』の歌詞って、正真くんが作詞したんだよね」


 大人のように計算して言葉を紡ぐことはできない。

 やっぱりあたしの口から、言葉たちはぽろりと零れていくだけ。


「あたし、あの曲大好きなの」


 恋人を穢れた世界に出したくなくて、閉じ込めてしまう彼氏の心情をつづった歌詞。

 わかるような気がするって思うと同時に、これを書いた藤波くんにも大事なカノジョがいるのかななんて切ない想像をしたりして。

 藤波くんはくすりと笑って言った。


「ありがとう。内緒だけど、あの歌詞にあるプリンセスって、じつは男の子なんだ」

「へっ!?」

 驚きに思わず紅茶を零しそうになる。

「以前テレビ番組の企画で、アイドル志望の小学生に僕ら『エクレール』のメンバーがダンスや演技の指導をするっていうものがあって。そこで面倒を見た小学生がいい子で、なんだか情がうつっちゃってね。いつしか思ってたんだ。夢を応援してあげなきゃいけないはずなのに、この子には、芸能界に入ってほしくないなって。ほんの、少しだけね」

 彼の瞳がちょっとだけ傾いて、漆黒のコーヒーに注がれる。

「この世界は、必ずしも純粋でまっすぐな気持ちが報われる場所じゃないから」

 そうか。

 彼の言葉ごと飲み干すように、あたしはティーカップを傾けた。

 あの歌の歌詞には、この、必ずしもきれいじゃない世界へ旅立っていく幼い子たちへの憂いが描かれていたんだ。


 Preserved Princess

 北風の荒野になんか出て行かないで

 ガラスの中においで

 荒れ果てた世界に潰されるくらいなら

 この腕に抱かれ

 砕けて Flower shower になれ


 一枚ずつ愛でてあげよう

 この手の中で



「あの歌詞から、伝わってくるの。――これを書いた人は、人とわかりあえない孤独を知っているけど、ほんとうは誰かと、わかりあいたいんじゃないかって――」


 Preserved Princess

 荒野にもいつか

 祝福の春が来るのなら

 ガラスケースからきみを解き放とう


 楽園で舞うきみを

 ほんとうは毎晩夢に見るんだ

 その日まで

 この胸の中で

 Night sweetie


 甲高い音が響いて、見ると。

 銀色のスプーンが、お皿の外――テーブルの上で激しく振動していた。


 その鋭い音より起こったことの意外さに、目を見開く。

 藤波くんが、スプーンを取り落とした……?


「……きみは、ふしぎだ」


 ゆっくりとスプーンをナプキンの上に置きながら、彼が発した声は。



「会って間もないのに。僕のことをメディアを通してしか知らないはずなのに」


 途切れ途切れで、ふだんのようにスムーズじゃなくて。


「話していると、時々僕以上に、僕のことを知っているかのように思える」


 動揺していた。


 言葉を漏らしたあと、自嘲するように正真くんは笑う。


「どうかしているよね。そんなこと、あるはずないのに」


 さらさらの前髪がかかった額を抑えるその姿はどこか、苦しそうで。


 いつもメンバーにかこまれてきらきらしているその肩がみょうに、寂しげに見えた。


 ――その彼に寄り添う言葉があった。

 この胸の中に、一つ。


「『きれいな世界はなかったかもしれない。でも、きれいな瞬間はありませんでしたか』」


 目を瞠り、こっちを見る彼。

 ふふっと口元から漏れ出たのは、いたずらが成功したような笑い。

「今、ちょっとだけ気持ちが楽にならなかった?」

 そしてあたしは――いたずらの種明かしにかかる。

「これね、正真くんの言葉だよ。……わかるよね。正真くんが、みんなにかけ続けてきた言葉なんだよ」


 あたしが彼を好きになったきっかけ。

 正真くんがメインパーソナリティーを務めるウェブラジオ番組。


「そのラジオ番組のなかにね、深刻な相談が寄せられて来たことがあったの」


 もう生きるのがつらい。生まれてこなければよかったと、送られてきたメールには書かれていた。

 そして正真くんは、それに答えた。

 生きたくても生きられない人もいるのにとか。

 甘えていないでがんばれとか。

 彼の言葉は、そんなものじゃなかった。



『生きるのがつらい。生まれてこなければよかった。僕も、そう思ったことがまったくないわけじゃない』


 彼がそう口火を切ったとき、スタジオは一時しんと静まり返ったって、あとで雑誌で読んで知ったんだけどね。


 そのあとに、正真くんはこう言ったんだ。


『きみが生まれついた場所に、きれいな世界はなかったかもしれない。でも、今まできれいな瞬間はありませんでしたか。大ぶりのクリスマスツリーなんかじゃなくて。ほんのちっぽけな飾り玉のような。一瞬この場所がきれいに見えた、そんな瞬間が。もし、なかったのならせめて、そんな瞬間になれように。次のステージで一生懸命歌うから。だから、舞台に来てくれませんか。――次のコンサートまで生きてみてくれませんか』


 パソコンの前で、そのときあたしは、口元までもってきていたマグカップを止めて。

 ただ、画面を見つめていた。

 ラジオだから画像だってなくて、ラジオ番組名のタイトルだけが表示されてる、その動画の画面を。

 そこから響いてきた彼の、その言葉が、なんだか自分に言われたみたいに響いちゃって。

 たぶんそのときのあたしも、このメッセージを投稿した人ほどじゃないにしろ、どこかで思ってたのかもしれない。

 この世界があんまり好きじゃないなって。

 たしかに、世界がきれいに見えないときってあるもんね。

 たとえば大好きな親友がちょいちょいいじわる受けてたり。

 それなのに、自分がなにもできなかったりするときなんかには。


 胸から心をとりだして、日干ししたふかふかのおふとんにくるんで眠ったみたいに。

 あのときの正真くんの言葉は、それからあとの未来を生きる活力をくれた。


 そして今も。

 あのときもらったパワーはまだどこかに残っていて、くじけそうなとき、あたたかな光をくれて、悲しみにひっぱられたあたしを、ふだんのハイテンションなあたしに、戻してくれるの。


「ねぇ、正真くん」


 そういう人は、きっとあたしだけじゃない。いっぱいいるよ、きっと。


 自分で思うより、あなたはすてきな人で。

 そして自分で思うより、みんなの目にすてきに映ってるの。


 そう太鼓判を押す。

 まだ言葉を消化しきれないように、戸惑いうつむく彼に。


「芸能人、やっててよかったな~って思ったでしょ?」

 にひひと笑う。

 いつも余裕な彼にようやく、してやったり。

 ゆっくりと、正真くんはその端正な顔を上げた。

「うん。それもそうだけど、今はどちらかというと、もう一つの感情が大きいかな」

 心持ち身を乗り出して。

 優しい瞳で。

 彼は、言う。


「きみに会えてよかった」


 いつもながら……彼に、してやられた。

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