Act16. 親友と海岸歩いてたら彼とあの人に会った

「――花乃、だいじょうぶ?」

 急に立ち止まったのも、かけられた言葉も、不意打ちだった。

 車通りが激しい、海岸線の隅の歩道。数歩先でニットに袖なしのベストとパンツルックの夏陽が、海風をバックに長い髪を抑えながら、形のいい眉をハの字にしてこっちを見ていた。

 週末の今は、夏陽と二人で秋の海岸を散歩中だ。

 純から、今日は会えないけど、できたら貝ヶ浜の海岸にいてくれると助かるというみょうなメッセージをスマホで受け取ったのが三日前。

 やはりたまにへんなこと言うやつだなと思いつつ、こうして夏陽を誘ってきたわけだ。

「だ、だいじょぶだいじょぶ! ごめん。ちょっとぼけっとしてた」

「……」

 数秒沈黙すると夏陽は、ぷくっとむくれて歩き出した。

「さいきん学校の廊下ですれ違っても、反応薄いことが多いし。純くんと絶好調のくせに、元気ない感じだし」

「あ。ごめん」

 夏陽とすれ違ってることすら、気づいてなかったかも……。

「ちょっとぼけっとしすぎだね、あたし」

「違うよ」

 急に鋭く響いた夏陽の声に、ちょっと驚く。




「泣きそうな顔してずっと下向いてるから、気づかなかったんだよ」




 ……これは。

 平静を装いつつ、あたしの頭の中は一瞬にしてカオスと化す。

 まずい。非常にまずい事態。

「そっちのクラス――三組はどう? いやな想いとか、してないよね……?」

 どきっと、心臓が音をたてた。

「ぜんぜん! そういうんじゃないよ!」

「説得力なさすぎ」

 うん、それは自分でもわかってる。

「――むぎゃっ」

 夏陽はあたしの首に腕を回し、空手技まがいのブロックをかけてくる。

「観念しろ、花乃。もはや敗戦は確実だ。泣き出しそうな顔を取り押さえられた時点で!」

「ギブギブ! あたしの負け!」

 宣言してなんとか技をといてもらうと、なんだか笑えてきた。

「でもそれは、泣き顔より前に、相手が夏陽の時点で、かな」

 夏陽の瞳の中の、黒い部分が大きくなる。

「正直、今教室のことはあんまり考えたくないんだ。っていうかむしろ、なんだろう……自分の中でもう、結論は出てる、っていうのかな? だったら、無理に話して思い出したり、他の人に心配かけたりしてもしょうがないじゃん」

 そう言ったら夏陽はなんとも言えない顔をした。

 泣きだしそうにも、怒っているようにも。

 しょうがないなっていう笑顔も混じって見える。

「ほんとにまずくなったら、ちゃんと話すから。約束するよ」

 夏陽の表情の、「泣き出しそう」な割合がちょっとだけ増えた。

「だからそんなセンチメンタルにならないでよ。いつもの無駄に明るい夏陽でいて!」

 そう言うと、どんっとものすごい勢いで背中を叩かれた。

「無駄は余計だよ。……もう、花乃。あんたはいつもそうやって……」

 そう言って目頭に手を当てる。

 あわわ、やばい。

 この親友が意外と涙もろいこと、今更ながら思い出した。

「そそ、それに! 今ぼけっとしてたのは、学校のことが原因じゃないよ!」

 ええい、ここは切り札を出してしまえ!

「ただちょっと。あいつの……純のこと考えてたの」

「あっ、それ!! あたしもめちゃめちゃ気になるーーっ!!」

 親友よ、数秒前の涙はいずこへ。

「会えないけど海岸に来いなんてさ。これ夜景で街に文字を描いてプロポーズとかされるんじゃないの?」

 夜景で街に文字を描くっていったいどうしたらできるんだ。

「照れるな照れるな。うまくいってるんでしょ?」

「うーん。時々会ってるけど」

 ……どうなんだろう。

 毒舌で、偉そうなアイドルで。

「ときどき優しくて」

「うんうん」

「すごいときどき、かっこよくて」

 彼がしゃべると、低い声が、身体の奥に響くようで……。



 花乃。



 やばい。とうとう妄想で彼の声をきくスキルまで身につけてしまった。



 花乃。



 彼はそう、あたしを呼ぶ。



 花乃……?



 ときに心配そうに、ときに優しく。

 そして、たいていのときは。

「おい、無視してんじゃねーよ!」

 そう、こんなふうにえっらそうに、上から目線で。

 あれ。今の、幻聴にしてはリアルだったな。

 そんなことを思ったとき。

 ふわりと、肩にあたたかい感触がした。

「……花乃」

 耳もとで、彼の声。

 振り向くと横に、彼の――ウェーブがかった黒髪に、整った顔がある。

 ほんと?

 あたし、純に抱きしめられてるの……?

「純……?」

 いや、と首をかしげる。

 ひょっとするとこれは、蜃気楼?

 幻?

 そうつぶやくと、純はぱっと両腕を離し、あきれたように組んだ。

「は? なんだよ蜃気楼って。相変わらずぼけっとしてんな、お前」

 ジャケットがベージュで今日は抑え気味なんだなと思えば、覗くセーターはしっかりどぎつい紫。

 やっぱり。

 蜃気楼にしてはリアルすぎるでしょこれ。

 笑いながら、こちらをにらんでくる大きな目も。

「小説の筆もにぶらせてんじゃねーだろうな。だったら承知しねー」

 この憎まれ口。そして。

「……続き、楽しみに待ってんだからよ」

 ぶっきらぼうにつけくわえられる優しさ。

 まぎれもない本物。

 てことは。

 純は右手をあたしの頬に添える。

「悪い。その……どうしても会いたかったんだ」

 ――そんなの。

 そんなことを言うって、契約カレシとして反則じゃないのか。

 その言葉を言う前に、とんとんと今度は左の肩をたたかれる。

 たたいたのは夏陽だった。

 ありがとね、夏陽。

 もう、ほんとにだいじょうぶになっちゃったかも。

 と伝えようとしたその夏陽のほうがだいじょうぶじゃないみたいだった。

「あ、あ、あ……」

 口をパクパクさせて繰り返し袖をひく。

 その視線は純ではなく、その斜め後ろからひょっこり顔を出した、理知的できりりとした彼に向いていた。

「驚いたな。純は案外大胆なんだね」

 藍色がかったストレートの髪。

 優し気に笑う瞳。

 紺色のコート。

 この人はいつもテレビで、そしてこっそり言ったレッスン室でも、見たことがある。

「藤波くん……?」

 夏陽のかわりに、あたしは彼の名を呟いた。

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