Act14. アイドルの豪邸におじゃまします

 都心から電車で三十分の郊外にあるという純のその家。あたしはどでかいゴージャスな邸宅を想像していたんだけど、実際は。

 ばかにしてるのかと思うほどでかいラグジュリアスな邸宅だった。

 白塗りの果てしなく続く外壁を抜け、ようやく門にたどり着き。

 セキュリティー完備の高級マンションのごとく玄関の壮大な扉を前にした純は、ポケットからカードのようなものを取り出してかざした――がちゃりという音がして、自動的に扉が開く。

 観葉植物なんかが置かれている明るい玄関を抜け、我が家のキッチンの三倍はあるんじゃないかと思われるリビングに案内された。

 ソファが広々と部屋の半分を囲うように置かれていて。その横にはなんだか知らんが高度もそしてきっと価格もハイなテーブルと椅子が四脚ほど置かれている。

 壁には果物やら動物やらの絵画がごくごく自然に配置されていて。


 ひときわあたしを引き付けたのは、部屋の周りをぐるりと囲む本棚だった。見上げるほど高い天井まである、まるで近代的な図書館のような本棚。

 中には本が表紙を向けて立てかけられるようになってる部分もある!

 これはテンションあがる……。

 立てかけられている本は、海外文学とか雑誌、ビジネス書なんかもある。

 純のご両親なんかが読むのかな。

「あぁ。うちの親、一年の大半は海外で働いてるからな」

 想像はしていたがすごい一家らしいな。

 視線を横に滑らせていくと、舞台演出や芸能の歴史に関する本もある。

「そのへんはだいたいオレがそろえたかな」

 あれ。

 そんな重厚な本たちの中で、ちょっと異質な本を発見。

 かわいいピンクの表紙にガーベラと薔薇の花束が描かれてる。

「『恋愛必勝テク』……?」

「あわっ、それは、いいんだよどうでも」

 純に奪われてしまったけど。

 なるほど、こいつの口からたびたび出てくる恋愛格言の出どころはこれか。

 どこまでも彼が勉強熱心なのがわかったところで。



「きゃ~っ!」



 あたし今、アイドルとここまで過ごしてきてはじめて、黄色い声というものを発したような気がする。

 テーブルの後ろの、部屋の一番奥の棚。そこにはあたしが大好きな、琴宮麗音先生の著作が勢ぞろいしていたのだ!

 双子が主人公の『我らは探偵ツイン』シリーズも、眼鏡女子と不良の恋物語『男子嫌いなジュリエット』も、全巻そろってる!

「なんだ! やっぱり純も、麗音先生の作品のファンだったんだね!」

 大興奮して振り返ると、純はいや、そのとか呟きながら気まずそうにあさってのほうを見ている。

 あ。そっか。

 琴宮先生の本は女の子向けのキュンキュンするものが多いから、恥ずかしかったのかな。

「ぜんぜん、恥ずかしがることなんかないよ! むしろ、麗音先生の作品のよさがわかる男子ってこれポイント高い!」

「じゃなくてだなその。……なんか今、はじめてお前に褒められた気がしたけど。……正直、複雑だ」

「いいなー。この棚の前であたし、一日、いや一週間だって過ごせちゃうよ」

 ずらりと並んだ背表紙のタイトルだけでも壮観だ。

 ほくほく顔で眺めながらそう言うと、

「それはありがとう、純のカノジョさん」

 え?

 なんか今、楽器の音色のような深みのあるアルト声が響いた気が。

 振り返ると、茶色い髪の毛先をカールさせてうっすらお化粧をした、きれいな女の人が立っていた。

 大学生くらいかな? 膝丈のタイトスカートに茶色のニットと、おしゃれな格好をしている。

 純が額に手をあてた。

「帰ってきてたのかよ」

 あの、この人……?

 目をひんむいてきょときょとしていると、女子大生風のお姉さんがきれいなストーンのついた爪をそろえて胸にあてた。

「はじめまして。純の姉の一路麗音いちろれいねです」

 ん? え?

 ふふふと笑って、その人は胸にあてた手を肩のあたりで振ってみせる。

「世間には極秘だけど、ペンネーム琴宮麗音ことみやれいねで児童書書いてまーす! よろしくね」

 ……。

 え。え。え……。

 与えられたトゥーマッチな情報が頭の中を交錯する。

 この美女が、純のお姉さんで、純のお姉さんが、琴宮先生? な、な、なんで……。

 動揺すらも言葉にならず、口がぱくぱくとひとりでに空いたり閉じたりする。

 今のあたしの顔は魚みたいだろう。

 琴宮先生は手の甲を口元にあててくすくすと笑っていらっしゃる。

 長いまつ毛に彩られた目が上げられる。

「純、話しには訊いてたけど、あんたのカノジョ」

 つかつかとあたしの目の前に、琴宮先生がいらっしゃり。

 ってちょっと待って。

 今目の前にいる?

 憧れてやまない、作家の先生が!

「めちゃめちゃかわゆいわね!」

 むぎゅっ~っと、甘えるように両肩を抱き寄せられる感触。

 姉弟で抱きしめ方はだいぶ違うんだな。

 ってちょっと待ってあたし今抱きしめられてる!?

 会って数秒の、敬愛する美人作家に!?

 のみならず、その手でほっぺをすりすりされている!?

 今のあたしの顔は、猿のお尻みたいだろう。

 どうにか頭が平静を取り戻していたのは、そうやってしばらくもてあそばれてからだった。

「あ。あの。琴宮先生」

「やだ。麗音でいいのよ」

「麗音、さん……」

 うう、おこがましい気がしてしかたない。

「あの、あた、わたくし、先生、いや麗音さんの、大ファン、いやささやかなファンでして。えっと、新刊読みました……! すごくおもしろかったです」

 麗音さんはきらと目を光らせて、片手を首筋に置いた。

「あら、発売されたばっかりなのにもう? 嬉しいな」

 微笑む姿も女神のごとくお美しい……。

「はい! もう、中学生カップルが育てる、ちっちゃなシュンくんがめちゃめちゃかわいくて。一人でちょうちょをおいかけて猛ダッシュして、迷子になったって気づいたとき大声で泣いちゃうところなんかもう。それから、それから……」

 あぁ、大事な見どころならほかにもいっぱいあるのに。

 とっさに出てこないほど高揚してる頭が恨めしい。

 くすくすと笑うと、麗音さんはからかうような視線を、さっきから横を向いてぶすっとしてる純に向けた。


「ですってよ、ほめられてよかったわねー、シュンくん?」


 え?

 今度は、何事?


 短い吐息が、純の口から漏れい出る。

「……ったく、人の忘れたい日々のことわざわざぜんぶ小説に書きやがって。なんの嫌がらせだってんだよ」


 え。

 ええーーっ!!


 ソファに落ち着いて、おしゃれなダージリンなんか出され、麗音さんは言った。

「シュンのエピソードはほぼ、弟の純が小さかったときのことを下地にしてるの」

 ソファの前のテーブルの上の高級そうなマドレーヌをつまみつつ、純は顔をしかめる。

「迷惑なんだよな。過去はともかく、今じゃ、クールで硬派で通してんだから」

 ダージリンをゆっくり味わいつつ、かろうじて思考する。自分で言うだけあってたしかに、純の一般的イメージはそんな感じだ。

 けれど麗音さんは大きな瞳をさらに大きくして弟に向けた。

「よーっく言うわよ。小二のとき、ベッドから転がり落ちて頭打って、一日中びーびー泣いてたくせに」

「えっ! そうなんですか?」

 この、苦みが走ったように顔を歪めている純が?

「……姉貴」

「幼稚園の給食とき、いじめっ子に苦手なブロッコリーを山盛り盛られて大号泣したって職場にいたかあさんに連絡がきた事件のことも話そうか?」

「えーっ、大号泣? 周りにほかの子がいるのに??」

「……マジ、あとでしばく」

 純の眼力たっぷりの目ですごみのある表情を向けられても、麗音さんはにこにこ顔を崩さない。

 そこへ、携帯の音が響いた。

 あらやだと胸ポケットからスマホを取り出したのは麗音さんだ。

「打ち合わせの電話だわ。……残念。もっとおしゃべりしたかったけど。この辺で邪魔者は仕事部屋にひきとらせてもらうわね」

 花乃ちゃん、ゆっくりしていってね。

 早口でそう言うと、ひらひらと手をふって麗音さんはリビングを出て行った。

 横で純がほっと胸をなでおろすのが見えた。

「ねぇ純、なんで言ってくれなかったの? あんなすてきなお姉さんがいるのに」

 あたしも残念だ。もっと話したかった。

「あんな美人なのに、なんで覆面作家なのかな?」

「……オレの姉だって公表したうえでデビューしたら、その事実で本が売れたのか、読者がほんとうにおもしろいと思って本を買ってくれたのかわからないだろ。それがいやなんだってさ」

 さすが。

 美しい物語を紡ぐお方は、心意気まで美しくていらっしゃる。

 麗音さんが去った扉を見る。

 麗音さんの――つまり、琴宮先生のお仕事部屋かぁ。

 それがこの広大な家のどこかにあるのかぁ……。

「なぁ」

 気がつくと、頬杖をついた純がじとっとした視線をこっちに送ってきた。

「お前オレより姉貴のほうにかなり興味持ってないか」

「……ぷっ」

 笑い出したくなるのを抑えて、代わりに右手で頭をなでてやる。

「いじけちゃだめでしゅよ? シュンくん」

「その呼び方やめろ」

「麗音さんには驚いたし、感動もしたけど。……そんなことないってば」

 自分でも意外なことに、これは嘘でもなんでもなかった。

 扉の向こうを見て、あたしが次に考えたのは――。

 てことは、純の部屋もきっとあるよね?

 どんななんだろう。

 そう言うと、純はふわりと甘く、そして黒く微笑んだ。

「カレシの部屋に来たいってねだるとか、いい度胸してるじゃねーか」

 え。

 いや、ねだってはないけど。

「いいぜ。その度胸に免じて叶えてやるよ」

 お。それはちょっと嬉しい。

 考えてみれば、こいつの趣味とか、デート以外の休みの過ごし方とかぜんぜん知らないんだ。

 おもしろいものが見られるかも、とソファから膝を上げて。

「そのかわり、部屋からお前を出す気なくなっても、文句言うなよ」

 ――あ、れ。

 魔力のように放たれたセリフにふいに身体から力が抜けて、危うくそのままソファに逆戻りしそうになった。

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