Act11. アイドルの趣味はわからん

 あれからあたしは、大人しくそっとレッスン室の前から立ち去り、言われた通りビルの前で待機していた。

 なんていうか、厳しいレッスンを受けるどころか、見ているだけでも胃がもたれそうで。

「待たせたな」

 純はレッスン着から、いつもの攻め攻めファッションに着替えてやってきた。

 本日のメニューはワインカラーのジャケットに、ベージュのパンツ。

 疲れているはずの彼に、なんて声をかけたらいいだろう。

 思案していると、ふいに強風がふいて――ふらりと、その身体がかしいだ。

「純――だいじょぶ?」

 支えようとしても、彼は自ら体勢を持ち直してしまう。

「悪い」

 今日は早めに帰って休んだほうがいいんじゃないだろうか。

 その想いをこめて見つめていると、ふっと純は笑った。

「大丈夫だよ。いつもなんかこのあと、ライブの演出の会議で夜中までかかることもある」

 よけい心配になる。

 ふだんそのルーティーンをこなしていたら、それだけ疲れるのも当然だ。

「そんなことより、買いたいもんがあるんだろ? 行くぞ」

 けれど彼はいつものように様になる姿勢で歩き出す。

 モデルのようなターンを決め、一言も忘れない。

「一時間でも三十分でも、恋人との時間はつくるもんだからな」

 だからそのちょいちょい出てくる恋愛格言みたいのはなんなんですか。

 しょうがないな。

 ぬぐえない不安を抱えつつも、彼に続いてあたしは足を踏み出した。



 あたしが買い物に行きたかった店とは庶民の味方、百円ショップなのだ。

 さいきんではおしゃれな百均も増えてきていて、入ってすぐのディスプレイにはクリスマス装飾グッズが置かれていた。まだ十一月の半ばだけど、さすが世間と市場は気が早い。赤と緑のキルトや、サンタやトナカイの描かれたラッピングバッグ。ジンジャクッキーなんかのお菓子まである。

 さて、目当てのノートをさくっと買ってくるとしよう。文房具コーナーは奥のはずだ。

 歩き出したとき。

「すげー、これ全部百円なのか」

 百均に来る人ならだれでも承知の基本情報を口走っているのは、クリスマスコーナーの前ででか目をさらにどでかくしているあやつか。

 純は物珍しそうにトナカイのかぶりものをかぶったり、サンタのひげをつけたりして声を上げて笑っている。

 ……だいじょうぶか。

 ハードなレッスンのあとで疲れを通りこしてハイになってないだろうか。

 見ていると、純はちょっと気まずそうにひげをとった。

「……こういう店に来るのって、はじめてなんだよ。だからそんな残念なものを見る目で見るな」

「いや、そうじゃなく、心身の状態を心から心配する目なんだけど」

「同じだぼけ!」

 でも、そういうことならま、いいとするか。

 百均に来たことないとか、芸能人おそるべし。

「こんなのも百円なのか! 超いいじゃねーか!」

 え、なになに? なんか掘り出し物でも見つけ。

 た……?

 となりの食器コーナーにいつの間にか移動した純が手にしていたのは、しょうゆ皿だった。濃ゆい顔立ちの変なおっさんが口をすぼめた顔がプリントされている。上にはこう書いてある。『存在感の薄いもの:からあげのレモン汁。オレの頭髪』

「くっだらねー」

 純は声をあげて笑っている。

 いや、そこまでおもしろいか、これ。

 次に純が手に取ったしょうゆ皿には、髭はやしてるおっさんがビールを手に夜空の月を眺めているイラストが描かれている。上に書かれた文字は……『かぎりないもの:この空と大地と宇宙。女房の体重』

 くくっと喉の奥で笑ったあと、純はこっちを見る。

「花乃もそう思わねーか」

 うん、たしかにくだらないと思う。思うよ。でも。

 答えようとしていると、純はその二つの小皿を手に迷わずレジに向かう。

 ……買おうとはひとかけらも思わないという言葉をあたしはそっと心の盃に満たして飲み込んだ。


 百均で買った商品が入った袋を下げて、ビルや商店が立ち並ぶ町中を歩く。

 あのくらだない小皿の入った袋をかけた腕を頭の後ろにやって、庶民の店を開拓したアイドル殿はご満悦だ。

「いや、傑作だったな。この小皿で、メンバーの誰かが家に遊びきたとき三十分は笑ってられる」

 いや、あの二枚の絵皿で三十分も笑いがもつのあなただけなんだけれども。

「マジで今年一いい買い物したわ」

 今年一意義のない買い物だろうけれども。

「サンキューな、花乃」

 ……つきあってもらったのは、あたしのほうなんだけどな。

 まぁそのへんもぜんぶ、いいやと思い直して、あたしは前を向く。

 あたしはかわいい水玉模様のノートが買えたので満足だし。

 それに。


 ちらと、となりを歩く彼を見る。

 その目にはまだ疲労の色が濃く残っているけれど。

 こんなに楽しそうに笑ってくれるなら。

 なんかもう、ほかのことはどうでもいいや。



 そう思って一人笑った瞬間――彼の笑顔が消えた。



 表情が引き締まるなり、彼の身体が動く。腕にかけていた袋を投げ捨てて――お皿が砕け散る音がした。


 えっ。なに。

 せっかく買って満足していたお皿が……。


 一瞬で粉々にくだけちってしまっただろう袋の中身をそれでも確認しようと動き出す前に、彼が、あたしの前に躍り出る。


 ぎゅっとかばうように肩を抱く感触。

 顔がぐっと、その胸に押しつけられて。

 え。

 今。

 ――抱きしめられてる?


 そう思うと同時に、強い光が放たれた。

 純の背中の後ろから。

 これは……カメラのフラッシュ?


「悪い、花乃。――少し走るぞ」


 純があたしの手を握る。

 強くて暖かい感触に、頭がしびれる前に、彼はあたしの斜め前を駆け出した。

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