Act10. 彼はコンサート稽古中
初デートから二週間近くの時が流れた、それは木曜日の放課後だった。
二回目デートの待ち合わせ場所に指定された建物に向かって歩く。都心にある大きなビルは、一階が市民用の大きなホールになっていて、それから上は旅行代理店の企業や病院などとにかくいろんな用途に使われている。ここで、『エクレール』が次のライブのためのレッスンをしているとか。
今日は早く終わる日だから、あたしの買い物につきあってくれるという。エントランスの前で待っていてくれと純に言われてるけど。
ちらとよこしまな気持ちが頭をもたげる。
オレ様様で強引で、上から目線で。アイドルとして歌って踊ればみょうな気持ちにさせる色気を全身から醸し出し、しかも、カレシとしてのふるまいも、あいつが完璧だということは、認めざるを得ないだろう。
それじゃ、ステージに立っていない、ふだんの純はどうなんだろう?
振付師の人やこわ~い監督なんかに怒鳴られてたりして。
あの華やかな顔でしゅんとして落ち込む姿を想像すると、ちょっとおもしろい。
あたしは天までも続くと思われる高く近代的なビルを見上げた。
ちょっと探してみるだけ。
これだけ大きなところなんだ。入ってみたところで彼に会えるとは限らないし。
そう自分に言い訳しつつ、エントランスをくぐった。
果てしない廊下に、窓がついた全く同じ扉。迷宮に迷い込んでしまったことを、突撃後数分であたしは悟った。
ただ今、エレベーターで適当に階を押して探検している。
運を天に任せて歩き続け、廊下に人の姿を見かけなくなってから五分経過したところで、心が折れた。
やはり潜入捜査なんて平凡中二女子のあたしには荷が重すぎたか。
観念してエレベーターの方角に引き返そうとしたとき。
「一路!」
ただの苗字を呼ぶ声。
だけどそのとてつもない音量と語調だけで、怒っていることが一発でわかる声が斜め右の部屋から響いてきて、あたしはびくりと肩をそびやかした。
一路ってたしか。
無意識に小走りで、その扉の窓に駆け寄る。
怖いものみたさも好奇心もない。
圧倒的に、心配だった。
だって、一路って。
窓からこっそりのぞいたさきには案の定、レッスン着のジャージ姿に身を包んで、秋だというのに汗をぐっしょりかいたエクレールの姿がある。
その右端で。
「すみません! もう一度やらせてください」
はらはらと胸が沸き立つ。やっぱり。
一路純が謝っている。
「もう二度目だぞ。何度言わせるんだ! 出直してこい!」
ほんとに、怒られてる……!
想像したさっきは笑えるとか思ったのに、じっさい見ると、笑える雰囲気は一ミリもない。
彼も、監督もエクレールのほかのメンバーも。
ライブのとき舞台上できゃっきゃとふざけあっていたのが嘘のように真剣な表情だ。
その後のダンスはどうにかオーケーをもらうけど。
ライブの登場シーンのリハーサルにうつってしばらくした後だった。
純が手を上げたのだ。
「監督。一度時間ください」
そう言って歩いていった先は舞台の左端――藤波くんが立っている位置だった。
「正真。さっきはじめて足の運び遅れたけど、だいじょうぶか」
藤波くんは柔らかな瞳で苦笑して、
「あぁ。先日アクションシーンで負傷した箇所が少しね」
「え、マジ? 怪我してるの?」
いち早く声を上げたのは愛内くんだ。
「たいしたことないよ」
そういう藤波くんに、頑として純は言った。
「見してみろ」
純が藤波くんのスニーカーを脱がせているあいだに、
「もしかして、例の崖から海に飛び込むシーンでの怪我? だとしたらやばめじゃん」
「うわ。けっこうな腫れだよこれ。いままでよく踊ってたな」
美谷島くんと成瀬くんも寄ってきて、藤波くんの様子を囲む。
「――決めた」
ふいに響いたのは、小さくても通る低い声。
純は小走りでレッスン室前方の長机でじっと座っている監督のもとへ行くと、言った。
「ライブでの登場の仕掛け、ジャンピングをとりやめて、スライドにします」
察するに舞台の下からジャンプしての登場をやめて、機械で自動的にすりあがる形にするということだろう。
監督は相変わらず渋い顔で、
「……今回の演出はお前に任せるという話だったから口出しはせんよ」
気難しそうな瞳が、純一人をとらえる。
「結果さえ残せるのならな」
そう言われた純を恐る恐る見て。
――え。
あたしはかすかに口を開けた。
あろうことか彼は笑っていたのだ。
強気かつ、挑戦的に。
「ありがとうございます!」
がばっと頭を下げた彼に、藤波くんが声をかける。
「ジャンピングはオープニング曲にあわせて純が考えた演出だろ。変更なんてだめだよ。僕ならだいじょうぶだ」
食い下がる彼を純が見下ろす。
「案外強情なのは悪い癖だぜ、正真。このまま続けるとお前舞台立てなくなる。チームなんだからお互いのコンディションを鑑みて臨機応変な策を練るのは当然だ」
しばらく葛藤するように黙った後、藤波くんは口を開いた。
「わかった。ごめん。みんな、ありがとう」
エクレールみんなの視線が、混じりあい、たった一瞬だけ和らいだ空気を、乾いた掌の音が遮る。
「では、オープニングの稽古を再開する」
監督の一声で、みんなの表情が再び、張り詰めた――。
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