Act9. 「あんな言葉どっから出てきたんだ?」
お手頃価格が売りのファミレスで、あたしは究極の二択を迫られていた。
メニュー表右ページにはとろ~りチーズのハンバーグ。
左ページには、たらこクリームソースのパスタ。
濃厚な味わいで誘惑してくる不埒なメニューたちを親の敵のようににらむ。
ん。
「こっちのが三十円安い……」
これは、パスタに軍配か。
「その差なら食べたいほう頼めよ」
せっかくついた勝敗に無粋なつっこみを入れてくるのは、向かいの席に座った契約カレシだ。
これだから売れっ子アイドルなんていう輩は。
「三十円に笑うものは三十円に泣くよ」
苦言を呈すると、やけに心配症だなとサングラスの奥の目が苦笑した。
「稼ぎが全部自分の財布に来るわけじゃないけど。今頼むもん併せた金額ぐらいはあるぞ」
ん。
ドリンクバーを辞退して、ごくごく飲んでいたお冷を置く。
その口ぶりは、おごってくれようとしてるのだろうか。
「ありがとう。でも、うちの親、まだ働いてない子ども同士でおごりはだめって方針なんだ」
背もたれに腕を預け、純は斜め上から不敵な笑みをつくった。
「まだ働いてないにオレは含まれないぜ」
挑戦的に見える角度を完璧に計算しつくしている。
演出がうまいのか、はたまたあおりがうまいのか。
「この年でバイトしてるやつだってたくさんいるだろ」
うーん、そう言われりゃそうか。
「うちは親から、女子にひもじい想いさせるような男になるなって教えられたけどな」
「ううーん、でも」
椅子をくるりと回転させて、楽しむように純は言う。
「大人しく言うこときいとけって。お前の小説の中のあの死神ロック少年だってヒロインにさらっとおごるだろうが」
「それは小説の中の話で――」
あぁどう言えばいいんだろう。
まだデート一日目で言うのもなんだけど、告白避けのためにつきあうことへの、あたしの執筆活動への協力と言う対価を、この先も彼は十分果たしそうに見える。
そのうえさらになにかしてもらうのは違うような気がする。
それをどう伝えようか、さんざん頭をひねっていると、
「――あの死神の台詞」
純の例の聴きごたえのある低声が響いて、心音とともに思考が停止した。
「今つらくても人生のデザートはそのあとに用意されてるって。あんな言葉どっから出てきたんだ」
「……え?」
唐突な質問。
でも、その目は今日見た中で一番真剣だった。
「人間万事塞翁が馬。一寸先は闇だって」
「うん?」
「お前が言ったのと似た意味の言葉だ。中学生のころ、出た映画の監督に言われた」
横を向いて語る瞳はどこか悔しそうで、でも。
「撮影でうまく演技ができなくて、あせってへんこでるとき。普段がんこで無口なじいさん監督が、ある日の撮影終わりにぼそっとさ」
あたたかい灯を灯しているようで。
「ああいう言葉は長く人生を生きた人の言葉だ。お前みたいな中学生にはぜんぜん似合ってねー」
前言撤回。正面を向いたらただの偉そうな上から目線の純だった。
「悪かったね」
「つまり」
そう思っているとまた、その目がまっすぐなものに変わる。
「今の時点であの言葉を書いたお前はそれだけすごいってことだ」
あたしの契約カレシは、ふしぎ。
次々変わる表情についていけない。
その速さの意味でも、そして――そのどれもがたっぷり含んでいる違った色彩においても。
まるで……万華鏡だ。
「……今、自分の中に浮かんだいい表現にとらわれて、危うくスルーしかけたけど」
「あ?」
「もしかしてあたし、ほめられた?」
「……時々どっか行くな、お前」
困ったように前髪をかいて、純が言う。
「あの手の言葉も、お前だけが行ける切符を持ってる、夢の世界ってやつから発掘してくるってことか」
「その表現もいいね! うん、たしかに、そういうときも、あるよ」
自分が作り出したラブストーリーや、魔法の世界。
その中に浸って筆が乗っているときはまさに、夢の世界を冒険してる気持ちになる。
でも――。
あたしはふと、遠くない過去に書いたワンシーンに想いを馳せる。
マンションの屋上で身を乗り出す、死にたい女の子。彼女に、イカした死神少年が、ぼそりととどけるあのセリフ。
言われてみれば、あの言葉はあたしの中のどこからでてきたんだろう?
たぶんあれは――そういった夢の世界とは、ちょっと違うところからの気がする。
『いいの? 人生のデザートを味わってからじゃなくて』
今つらくてもこのさきぜったい事態は変わる、いいことがあるなんて。
自分の人生にだって確信をもってるわけじゃない。
むしろ。
ずっとこのままなんじゃないかって絶望的になっちゃうことのほうが多いくらいで。
つらい今がずっと。
出口のないトンネルみたいに。
ずっとずっとずっと……。
「だいじょうぶか。顔色悪い。食えるか、これ」
純の言葉でいつの間にか、注文したパスタが運ばれてきていたことに気づく。
「ううん。大丈夫」
ほんとうは束の間よぎった沼のような思考にあてられていたけど、いさんでフォークを持ってゆでたてのパスタを絡めていく。
それでも、死神にああ言わせたのは。
「……その気持ちが、あたしが一番、小説を読んでくれる人に、プレゼントしたいものだから、かな」
今、出口が見えない暗闇にいる人に。
曇天に見える空の向こうはもしかしたら虹かもしれない。
もう涙なんて枯れちゃったと思ってもまた、その瞳はうれし泣きに潤うかもしれない。
そう、思ってほしいんだ――。
かすかに純は目を見開いた。
ふっとその目を伏せて、
「……そうかよ」
優しげに笑った。
「やっぱ確証もないのに、こんなこと書いたら無責任かな?」
うん、やっぱり小説の執筆に事実関係の裏付けはぜったいだもんね。
そんなことを思って言ってみると、正面でコーヒーを飲みかけていた純がふっと吹き出した。
「まぁそうだけどな。こと人生に関しては、いいんじゃねーか? お前なんかよりずっと先輩の誰もが模索してる、よくわかんないもんらしいからな。だからこそ小説やあらゆる芸術のテーマにもなんだろ」
お冷を飲み干して、テーブルに置く。
なかなか説得力のある意見だ。
「うーん。でもやっぱり、自分の中であいまいなことを書いちゃよくないよ。読者さんに失礼かも」
でも、こればっかりは、どうやってたしかめたらいいんだろう?
「人生の先輩に話を聞く? でもそれじゃ、作者自身の実感とは違うよね……」
ゆっくり味わうようにコーヒーカップを傾けていた純がカップを置く。
「それはお前がこれからの人生をかけて、ゆっくり証明すればいい」
万華鏡がまた不可思議な文様を映し出す。
あたしの人生史上一強引でオレ様で嫌味なやつがなぜ――あたしの人生史上一優しい顔を見せるんだろう。
どこまでたどっても解明できない幾何学模様のように、それはあたしを釘付けにして。
「どうした? 行くぞ」
「あ。うん」
いかんいかん。なにかに釘付けになって無意識に間食してしまうような食事の仕方は、乙女の大敵だ。
純がさきに席を立って行ってしまったので、お会計を済ませようとあたふたレジに向かう。
係のお姉さんが愛想のいい顔でどうかされましたかと訊いてくる。
いや、どうもなにも。
「えっと、お会計を」
戸惑うあたしにさらにかわいらしい笑顔を深め、
「三番テーブル様でしたら、もうお支払いお済です」
……えっ!?
がばっと顔を出入り口に向けたら、ごきっと首が鳴った。痛い。
悠々とドアを押して歩いていく、彼のその背中を見て、思う。
わからないうちに、お会計してくれていた――?
ふいに振り向いたサングラスの奥が、にやりと笑った。
「ぼけっとしてるからだ。ばーか」
思考が止まって三秒後、背筋にぞくぞくっと何かが走った。
なにこの感覚。
甘いしびれのような――。
アイドルって、魔法使いか?
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