Act6. セクシーダンスにテンパります
東京の都心から少し外れた場所にある貝ヶ浜駅の広間は、周りにショッピングモールやファッションビルが建ち並んでるだけあって、おしゃれをした人たちが行きかっている。その中には当然、カップルの姿もある。――あたしもこれからその中の一組になるのか。
ライブを見た翌週の土曜日。街灯の前で眉間に皺が寄ったのは、文庫本を睨んでいるからだけじゃない。
街中の目立たない小路で、今あたしはカレシ(仮。しかも期限付き)と待ち合わせ中だ。
うん、括弧つきでこう書くと、まるでお金を払ってレンタルカレシでも買ったみたいじゃないか。
いくらなんでもそんなことしないよと言いたいところだけれど、この気まずさと気づまりと罪悪感が入り混じったざわざわ感は、それに近いものがあるかもしれない。
目の前に広げた本の内容が、いっこうに入ってこない。
実際、落ち着かないんだよね。さっきから数日前、舞台で見たあの華やかな顔立ちと笑顔がちらついて――。
うぎゃーっ。
もういい、読むのあきらめた。本を放り出した視界に、つい先日見知った顔が飛びこんできて、
「うぎゃーっ」
リアルに声を発してしまった。
十字のネックレス。紫のパーカーに黒いパンツ。
サングラスの上の片方の眉が上がった。
「んだよ、オレは怪獣か?」
希少さと存在感においては、近いものがあると思いつつ、文庫本をポシェットにしまう。
「あの。今日は、よろしくお願いします」
お辞儀をすると、純はぷっと噴出した。
「もしかしてすげー緊張してる?」
一人で勝手に笑うと、一人で勝手にあ、と、すまなそうな目をして、
「……初めてだったのか」
ささやくようにそう訊いてくる。
当たり前でしょ。どこからどう見ても平凡で地味な中二女子にそんな経験あると思うのか。
そう返そうとするのに、耳たぶにかかる息が気になって言葉がでてこない。
「そりゃ、悪いことしたな。でもその代わり――ぜったい満足させるから」
首筋から力が抜けていくような、このみょうな感じ――いちいちなんなんだ。
「い、いいよ別に。あたしは小説のため、そっちは告白避けのためのつきあいなんだから」
ぶんぶん顔の前で両手を振る。振り続ける。
「ほんと、ただそれだけなんだから――」
両手を顔の前でふるあたしを何人かの道ゆく人々が振り返った。
「本気とかぜんぜんいらないから――」
自分の両手の勢いにあまって、数歩よろけた肩を、支えられた。
なに。何が起きた。まさか。
肩を支えられているのか。
しっかりとあたしの肩を持って引き寄せた純が、なにか言いかけたとき。
「そっ。そんな……誰にでも差し伸べている手で触らないでっ」
絶賛混乱中のまま一言発して、ばっと身を引いた。
なんでそんなことしたのかって。
ぶっちゃけ自分でもなにがなんだかわかってないんだ。うん。
なんか芝居がかったセリフを口走った気はしたが。
「……な」
純と言えばものすごいショックを受けた顔で立ち尽くしている。
そしてちょっと首をかしげて、ぼそっと、
「んな言い方することねーだろ。昨日夜通し研究した本には、意地でも女を転ばすなって書いてあったし……」
ぶつぶつ、なんだかみょうな本のセンテンスを彼が口走ったような気がしたが、こちとらそれどころじゃない。
というのもあたしの脳裏には、昨日エクレールのライブのソロパートがさっきからエンドレスで流れていた。
クイズコーナーに続いたのはソロのコーナー。アイドルグループのライブには、各メンバーがそれぞれ一人で一曲を歌い踊ることもあるらしい。
夏陽いわく、メンバーのそれぞれがたった一人の独壇場となるそれは推しメンをたっぷり堪能できる絶好の機会だとか、ふだん知的紳士な藤波くんのはじめたラップがおがめる天国のようなパートだから特におすすめとか。いろいろと教えられたけど、リーダーの美谷島くんの聴かせるバラード、藤波くんの英語だらけの高速ラップのあとのステージを見たら、そんな情報のなにもかもがふっとんでしまった。
突如として真っ暗になった舞台に登場した大きなスクリーンは夜空を映している。紫色のネコのシルエットが駆け回り、月に向かってジャンプすると、ライオンの姿に変わった。そのとたん、雰囲気のあるサックスの音色が流れ出す。純のソロ曲『キャッツ・マスク』だ。
青のきらきらタキシードで登場した純は大舞台で一人歌い踊った。
それが――見ているとなんかみょうな心地になる。
歌も踊りもめちゃうまいし、衣装もしゃくだけど華やかな顔立ちにかなり似合っている。
その歌は、親切な女の子に飼いならされて自分を猫だと思っているライオンが、ある夜獣の本能に目覚めて女の子をさらって食べたくなってしまうというもので。
彼が腰をくねらせるたび、手がしなるたび女の子たちの歓声が入って。
そして、問題は最後、二番のサビのあとだった。
紳士な上っ面の奥の奥
暴れ出した獣が牙を研ぐ
Madomoisel 奪い去りたい
かわいい子猫だと信じたきみのせい
親切に警告なんかはしないぜ
唇からきみごと
そこまで歌いあげた純はマイクを口に近づけて囁くように言ったんだ。
「飲み干したい」
大歓声の中、口を拭う動作をすると――。
なんと、着ていたスーツを脱ぎ捨てたのだ!
目を疑ってぱちぱちとしばたたいて。
瞬間、ぞくぞくっとみょうなものが背中を駆け抜けた。
「あんな不埒で大胆なダンス……。しかも途中で裸になって……」
そう思いながらも、どう表現したらいいかわらない魔力的ななにかを放射状に放っているような彼からあたしは目を離すことができなかった。
あれから一週間しか経ってない今、彼を前にすると、あのときの自分が思い出されて、なんというかすごく気まずい。
触れられたとき、とっさに腕を振り払ってしまったのはこういうわけなんだ。
「上着を脱ぎ棄てる演出と言え。誤解を招きかねない発言すな」
わけを話すと、純はひとまずつっこみを入れて、やれやれと首筋をかいた。
「あんま言うなよ。歌うときはめちゃくちゃテンションあげてのってやってるけど、改めて普段映像とか見るとけっこー恥ずかしいんだからよ」
……あれ?
気まずすぎて両目を覆っていた手をそっとのけると、純はちょっとだけ恥ずかしそうにそっぽを見ている。
そうなのか。誘うように舞台上で人差し指をくいと曲げる姿を見て、てっきり純は女の子を誘い慣れているライオンなのかと思い込んでしまっていた。
イメージって、ライブコンサートって恐ろしい。
「ま、間違っちゃないけどな。だいたいが男なんてみんなそんなもんだ」
照れても否定はしないのか。
「じゃぁ、マーライオン。今日は、どこ行くの?」
「なんでマーがつくんだよ」
「ゴージャスな感じが出ると思ったんだけど」
「そのまえに半分魚になってるだろ」
ふむ。シンガポールにある像はそんな姿だったか。
あたしにとってこのうえなくゴージャスな偶像は、口から水ではなく、呆れ交じりの笑いを吐いた。
「お前の好きなところかな」
と、そんなセリフが決まるのがちょっとおもしろくなくて、
「えー丸投げなのー?」
わざとすねた声を出してやると、あれと、純は彫刻のような造りの顔をかすかに歪めることで戸惑いを表現する。
「デートの行先を決めるとき、こう言えば女子はときめくって、バラエティーに出たとき先輩芸能人の人が言ってたのに。……外したか」
ぷっ。
そうかと思えばのぞかせる、ふつうの若者並みの思考に、なんだか笑ってしまう。
「どこでもいいの?」
「あぁ。男に二言なしってな」
「じゃぁ――」
ほんとうはずっと目論んでいた目的地を、期限付き契約カレシに、あたしは嬉々として告げた。
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