Act5. アイドルは恋愛小説にハマっています

 前方にはどでかいスピーカーのついた大舞台。

 ダイヤモンドとルビーをちりばめたような文字で幕いっぱいに「Éclair《エクレール》」と書かれている。

 金曜日の夕方。

 地元の駅から三十分かけて東京の都心に出て、あたしはスターリーホールというライブ会場にいる。

 受付でもらったエクレールのニューシングルの宣伝の広告を手に、チケットの半券のアルファベットと数字と座席のナンバーを照らし合わせて自分たちの席を探す。ええっと、Fの2と3ってどこ――。

「なにここーっ! めっちゃ舞台に近いじゃん!」

 さすが夏陽は、もう見つけたみたいだ。

 そこは舞台のわきに備え付けられた二階席だった。

 やれやれと腰を降ろしてみて改めて舞台との距離の近さに驚く。

「ぜったい藤波くんの顔見えるじゃん! 目あったらどうしよう~」

 夏陽の弾んだ声での心配も、あながち杞憂と言いがたいほどの近さだ。

 ぐるりと会場を見渡してみる。三千の観客席があるというスターリーホールには、 たくさんの若い男女や、年輩の人々でひしめいている。

 ペンライトやメンバーの名前が書かれたうちわを持ってる人、エクレールのメンバーの顔写真入りのTシャツを着ている人までいて、気合入ってるなーって感じだ。

 もちろん気概では、あたしのとなりにすわっている親友も負けてはいない。

 学校から帰ってから着替えたそのおしゃれな服が、さっきから気になる。

「白いレースのカーディガンに、花柄スカートってさ」

「なに? 変かな?」

「いや、すごく似合ってるし、いいんだけども」

 めちゃめちゃデート&モテ意識コーデじゃないですか。

 そうつっこむと当然というように夏陽は陶然と手の平をあわせて、

「あたしの姿が藤波くんの目に入る可能性だってあるのに、気を抜いた格好なんかしてられますか」

 そう言うと、今度は夢見るように拳をあごにあてる。

「彼よくライブで叫んでくれるんだって! 『みなさん、ようこそ! 上の方もよく見えてるよ!』」

 いや、それはさすがにみんなのファッションまでという意味ではないと思うけど。

「ここまでけっこう道中長かったのに、そんなかかとの高いパンプス履いてきて~。帰り痛くなっても知らないぞ」

「いいもーん。そしたら花乃におぶってもらうから。藤波くんにおんぶしてもらってるって想像しながら」

 なんてことだ。

 人を馬代わりにするならせめてその人のことをそのあいだじゅう頭に思い浮かべてすまなそうな顔するくらい礼儀じゃないのか。

 対するあたしは馬代わりにされただけあって、走れるしジャンプもできるスニーカー。ジーパンにセーターというシンプルな服装だ。あったかいの大事。

 タートルネックの着心地のよさを噛み締めていると、ニューシングルの広告にプリントされている『エクレール』5人のメンバーをしげしげと眺める。

 一番端っこで腕を組んで、にやりと笑ってこっちを見つめているのが、一路純だ。

 で、その隣で首元のマフラーに手をあてて微笑んでいるのが、夏陽の推し、藤波正真ふじなみしょうまくん。

 それから、えっと。

「夏陽」

「なに?」

「こっちの右のお三方は、なんて名前だっけ?」

「はぁ!? 花乃ってばまだ覚えてないの? しょうがないなぁ」

 それから開演まで、夏陽によるファンクラブ会員なみに詳細な『エクレール』のメンバー紹介をあたしは延々聞いていた。


 あるとき、急に会場のライトが消えて、なんともいえない緊張感が会場全体を包みこむ。

 舞台の幕に、五つの影が映り込んだとたん、会場から歓声が上がった。

 直後、アカペラのコーラスが響きわたる。


 つまずいて 転んで それでも笑って

 うまく 歩けない君が好き


 スピーカーから華やかなヴァイオリンの音が鳴り響いて、『エクレール』の最新曲の前奏を奏で始める。

 一瞬で幕が消え――舞台の上方に浮かんだカラフルな5つのゴンドラにそれぞれメンバー乗って手をふったり、ピースサインをしたりしている。

 ゴンドラに乗った五人は、銀色に輝くジャケットに、黒いパンツ姿。

「みなさんこんにちは! エクレールでーす!」

 真ん中の赤いゴンドラで手を振っているのは、たしかそう、リーダーの美谷島みやじまくんだ。流れるような短髪。元気なMC担当。時々かますおとぼけが絶妙らしい。

「ようこそいらっしゃいました。今宵は最高なひとときを過ごしましょう」

 隣の水色のゴンドラから、胸に手をあてて紳士的なおじぎをしたのが、

「きゃー、藤波くんだーっ!」

 夏陽よ、代弁ありがとう。

 藤波正真くんは、英語も話せて頭がいい知性派アイドルとか。

 藤波くんの乗っているゴンドラまでとどくほど両手を広げてぶんぶん振っているのは横の黄色いゴンドラに乗った、愛内あいうちくん。

「みんなに会えて、アイアイ、テンションマックスだよーっ!」

 淡い栗色のショートヘアがかわいい感じだ。グループ最年少の弟キャラ。ドラマでむすかしい役どころもこなす演技派でもある、とのこと。

「なんか盛り上がり足んないなぁぁ。もっと声ちょうだい!」

 そのまたとなり、緑のゴンドラから呼びかけているのは、えっとそう、成瀬なるせくんだ。

 リーダーの美谷島くんとともにグループ最年長の兄貴分。スポーツマンでもあって、プライベートでは動物大好きなところがギャップ萌えらしい。

 ふむふむ。ざっとこんなとこか。夏陽の語った『エクレール』情報についてけっこう覚えてきたぞあたし。とか思っていたら、その場を揺るがすほどの大きな声が響いた。

「東京のみんな元気かーー!」

 聞き覚えのある、一度聴いたら忘れない低声。

 舞台一番端の紫のゴンドラ。

 純はそこからぐっと親指をつきたてた。

「今日はオレらがここにいる全員残らず幸せにしてやるよ」

 彼の台詞が終わった直後、音楽は歌のパートに入り、リーダーの美谷島くんが歌いだす。

 ポップで弾んで、落ち込んでいる人に元気をぽんと差し出すようなメロディ。

 その瞬間から、あたしはなにもかも――彼らのパーソナルデータを反芻することすら、忘れた。


「どうもありがとう~!」

 客席に通路にあちこちに散っていたメンバーが、舞台に再び集合する。

 明るく元気なオープニングから、ハイテンションなラップの混じった曲が何曲も続き、しっとりしたバラードを挟んだあとのことだ。

「『ラブ・イン・ワンダーランド』を聴いていただきました!」

 集まったメンバーの真ん中で手をあげて挨拶する美谷島くんに、たくさんの拍手が集まる。

「ところでリーダー。さっきから気になっているんだけど」

 そう言って、藤波くんが舞台中心の上方を指さす。

 そこには華やかなスパンコールで『クイズ』と書かれた大きなボードがある。

「お。気づいちゃいましたか? あのド派手な看板があるということは」

 おどけた目くばせのあと、美谷島くんは絶叫した。

「エクレールライブツアー恒例! メンバーのクイズコーナー!」

 沸き起こる拍手。

「いよっ、待ってました!」「いえーい」

 成瀬くんがガッツポーズで、愛内くんが両手のピースサインで合いの手を入れる。

 トランペットのファンファーレとともに、舞台に真っ赤で豪華な椅子がせりあがってきた。

「ご説明しますと、ある一人のメンバーの自分に関するクイズをほかのメンバーとみなさんがあてるという、そういうコーナーです」

「いやそれ言わなくてもわかるっしょ、リーダー」

 美谷島くんに成瀬くんがつっこんで会場を沸かせる。

「ツアーのたびに、オレたちが交代で自分に関する問題出題してるけど、今日は誰のクイズなのー?」

 かわいく小首をかしげる愛内くんに答えたのは藤波くんだ。

「僕が思うにおそらく、その人物があのド派手な椅子にそろそろやってくるんじゃないかと」

 これを受けて、まいりましょうと、美谷島くんがまた声をはる。

「クイズ・一路純!」

 拍手とともに、ダークレッドのスーツにシルバーのラインが入った衣装で、純が登場し、悠々と赤い椅子に腰かけて――。

「純。出題者が回って来た今の心境どう?」

 美谷島くんの問いに、純は不敵に微笑んだ。

「今回は――攻めてくぜ」

 沸き起こる歓声に得意げな笑顔で答える。

「もう、今までの出題なんかめじゃない、とっておきのクイズ用意してきたからよ」

 さらに輪をかけて不敵に微笑んだのは藤波くんだった。

「純。それは、前回出題者を努めた僕への挑戦状かな?」

「いや」

 びしっと、純は人差し指をメンバー一人一人につきつけて、

「今まで出題者を努めたメンバー全員への挑戦状だよ。覚悟して聞け」

 客席からまたまた沸き起こる拍手&歓声。……舞台に上がっていても降りていても、ぶれずに偉そうってある意味才能だな。

「これは期待できそうだなぁ。では、純についてのクイズ! 問題をどうぞ!」

 美谷島くんのふりに咳払いを一つ、純は言った。

「オレが最近はまってるものはな~んだ」

 会場から笑いがおき、メンバー全員がずっこける。

「めちゃめちゃふつうの問題じゃん」

 成瀬くんがホール一同の想いを代表してくれた。

 なんだろうな、と美谷島くんが首を左右に振る。

「純といっしょにいる時間で言うと、長いのは正真かな。どう思う?」

「お任せください。同期で事務所に入った僕は、彼のことは知り尽くしております」

 ふられた藤波くんがおどけた丁寧語で応える。

「ずばり、九十パーセントカカオチョコレート!」

 うげっと、成瀬君が顔をしかめた。

「あのにがーいやつ? なんで純って、極端な味が好きなの。めちゃめちゃ辛いのとか苦いのとかさ。舌が死んでるのかと思うよな」

「あえて言えば刺激だな」

 しれっと答える純に美谷島くんが問いかける。

「さて、正真のこの答えは正解なのか……!」

 純が意地悪く笑った。

「残念。それは三カ月前までのマイブームだ。正解は――」

 ふっと、彼が目を細めて笑った。

 このうえなくつやっぽい演出をきかせて、囁くように言う。

「恋愛小説」

 ――。

 舞台の上の彼と、目があった気がした。

 しばらくあたしは射抜かれたようにぼーっとしている。

 気がつけば客席からきゃーという歓声が響いて、メンバーのみんなはお腹をかかえて笑っている。

 ひときわ無邪気に笑っていたのは最年少の愛内くん。

「純乙女! 読みながらキュンキュンしちゃうんだ?」

 胸の前でハートマークをつくる愛内くんに、

「ちげーよ。出演してる恋愛ドラマの研究にだよ」

 あからさまに顔をしかめる純。そこへさらに成瀬くんがたたみかける。

「正直言っちゃえ。ほんとはときめいてるっしょ?」

「純、メンバーの僕たちでは、ときめきの補充に不足かな」

 藤波くんが女子たちの歓声を引き連れつつそう言って。

 最後に純が一言。

「……今のは、ちょっとどきっとした」

 ひと際大きなファンのみんなの歓声が起こる。

「といったところで、クイズ一路純のコーナーでした。では次は、ソロパートいってみよう~!」

 たぶん今流れてきた音楽は、メンバーの誰かのソロ曲の前奏なんだろう。

 未だにじんじんと焦げ付くような頭で、あたしはぼんやりとそんなことを思った。

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