Act3. アイドルのカノジョになりました

 私立桜峰図書館は、一階が大人向けの本のコーナー、二階が児童書コーナーとなっている。

 日曜日。絵本が並んでいる広間のとなりの二階の窓辺の席で、あたしは小説を執筆していた。

 ある程度の登場人物の設定とストーリーの流れが決まったら、まずは鉛筆で紙に書く。そのあとでパソコンでうちこむのがあたしのスタイルだ。

 一度書きあがった物語をもっとよくするためにつけたしたい場面を、今日は手書きで書き出すことにしていた。

 机の前のルーズリーフに、びっしり文字を埋めていく。

 本日のシャープペンの走り、快速なり。

 死神と名乗る不思議な少年に死のうとしていたところを邪魔されて、そしてクリスマスの街へ繰り出す少女音乃。きらきら光る夜の町のカフェで、二人は満月色に輝くレモネードを飲む――。

 そこまで書いたとき、ふいにペンが止まった。

 真冬のクリスマスの時期にきんきんに冷えたレモネードは……あんまり飲まないかな。

 代わりの飲み物はなにがいいだろう?

 しぶーいほうじ茶? いやいや。

 読者さんの憧れをかきたてるようにおしゃれなものじゃなくっちゃならない。

 そうするとなんだろう。

 ペンの先であごをとんとんしながら考えていると、強い秋風が窓からテーブルに舞こんでくる。

 ひゅるるるる。

 窓からふきこんだ一枚の真っ赤な紅葉が、くるくる踊るように舞ってルーズリーフの上に着地した。

 きれいな落ち葉だ。りんごみたいに真っ赤。

 そういえば今年まだ食べてないな。旬のりんご。

 赤いフルーツといえば、冬になればみずみずしいいちごもでてくるし。

 ケーキに乗ったラズベリーなんてのもいいよねぇ。

 ……いかんいかん。なんについて考えてたんだっけ。

 手から離れた風船に向かったジャンプするように、激しく逸れていく思考を必死で取り戻す。

 そのとき、アイディアに手がとどいた。

 フルーツティー。

 うん! 二人がデートで飲むのは、ホットフルーツティー! これだ!

 そして、ペンを握った瞬間、ルーズリーフがひらりと手元から離れた。

 ぺらりとその身をくねらせたかと思うと、ルーズリーフさんは魔女の見習いの少女のごとく秋風に乗り、窓の外へと旅立ってしまった。

 うーんなんか風流。キャラクターたちが街に旅立つシーンなんて書かれたら、そりゃ紙も旅したくなるよね。ひらひらり。最初の目的地は、図書館の中庭ですか。いい旅を、ルーズリーフさん。

 って。

 のぉぉぉっ!

 心の中で悲鳴を上げて、頭を両手で挟み込む動作をしたあと、席から立ち上がり、あたしは図書館の階段を駆け下りた。


 桜峰図書館の中庭は、木々に囲まれた小さなフリースペースだ。中心にある大木をぐるりと輪っか型の白いベンチが囲んでいて、その周りには木でできたテーブル席が三つほどある。

 食事もできるアウトサイドスペースには、親子連れや、参考書を読んでいる大学生らしき人なんかがちらほらいる。

 図書館の建物にほど近い茂みのなかを、はいつくばって書き立てほやほやの原稿の捜索にあたる。

 目を皿のようにして、今の時期は葉っぱだらけのツツジの茂みをかきわけ……。

「カノジョがいるからつきあえないっていうなら、はやくその子を見せて!」

 かきわけ……うーん、ないな。

「だからそのあれだよ。お前の知らないやつで」

 あれ。気づけばここ正面玄関に近いほう。こんな遠くまで一人旅するなんて、ルーズリーフよ、なんかあったのか。運命の恋人でも見つけたのか? イケメンの原稿用紙くんとか。

「嘘。ぜったい嘘でしょそれ! こんなとこにこもって。いつもみたくコンサートの演出考えようとしてただけなんでしょ!」

「違うって」

「だったらそのカノジョを見せて!」

 でもって今頃、つきあって早々けんかとかしてるんだろうか。

 ――だめだ、捜索に集中したいのにどうしても気になる。

 観念して認め、あたしはそっと茂みから奥のベンチの前に立つ男女をうかがった。

 ひょっこり顔をあげて――後ろにひっくりかえりそうになる。

 ケンカしている二人のうち、目をつりあげて怒っているのが目ん玉が飛び出るほどの美少女だったからだ。

 茶色がかったゆるふわの髪。おしゃれなダークブラウンのワンピース。

 どこかで見た華やかさだと思う。

 どこでだったんだろう?

 記憶の中のアルバムを高速でめくる。

 でてきたのは、テレビ画面。夏陽が好きな恋愛ドラマの予告編。

 あの子、タレントの南方亜莉珠ちゃんと激似なんだ!

 あたしの心に浮かんだ大きな感嘆符にかぶせるように、いっしょにいた彼のほうが言った。

「オレには、つきあってるやつがいるんだ。亜莉珠とはつきあえない」

 ぴしりと全身が凍り付く。

 え。あの子、本物の亜莉珠ちゃん?

 あたし今、人気タレントの恋愛事情を見ちゃってるってこと?

「そんなの、口だけじゃ納得できない!」

 亜莉珠ちゃんは、肩を震わせて目を閉じる。

 うん。泣き顔もする子によっては悲劇のヒロインのような儚げな雰囲気を醸し出すものなんだな。

 っていうか、あたしが書いた原稿必死で探すより、この会話書き留めたほうがおもしろい小説になるんじゃ……。

 なんてよこしまな考えがちらりと頭をよぎったとき。

 視界にもまた、ちらりとなにかが飛び込んできた。

  亜莉珠ちゃんと対峙している、サングラスをかけてる背の高い彼。

 その手が持っている一枚の紙。

 もとは白かったんだけど、半分がすでに文字だらけで黒くなっている、ルーズリーフ。

 あれってもしかしなくても。

 あたしの原稿じゃーん!!

 彼はルーズリーフを日さしがわりにして、真冬の太陽がまぶしいとばかりにサングラスの上にあてた。

「ほんとだよ。今日ここで待ち合わせたんだ。おっかしいな。さきに図書館の中に入ってんのかな」

「……なら、あたし、見てくる」

 亜莉珠ちゃんは、勇んでエントランスから図書館に入って行ってしまった。

 ようやくほっと息をついているとこ悪いなは思ったけど、こっちも命がかかっているので。

 サングラスの彼に、後ろからおそるおそる話しかける。

「……あの」

「ん?」

 振り返ったその人は、黒いジャケットにチノパン。

 銀のネックレスをつけている。

 ちょっと。いや。

 あたしのだいぶ苦手な、攻め系ファッション男子だ。

「その原稿。あたしので。返してほしいんですけ、ど……」

 あぁぁぁ。寄らないで。

 言いながらデクレッシェンドになるなあたしの声。

 ふいに、ふっとサングラスの下の口元が綻ぶ。

 その人はルーズリーフを、ぺらぺらとあたしの顔の前で振った。

「こいつがお前のもんだって証拠はどこにある」

 なっ。

 さすがにこんなことを言われるとは。

 原稿用紙一枚ずつに名前書けってか。

 等々の台詞を喉まですりあげられずにいると、鋭いサングラスが近づいてきて、耳元で一言、言った。

「返してほしかったら、話あわせろ」

 へ?

 その直後だった。

 息をきらせた亜莉珠ちゃんが戻ってきたのは。

「純、図書館にそれらしい女の子なんていなかったけど――」

「亜莉珠。紹介する。オレのカノジョだ」

 ぽん、と肩に手が置かれる感触。

 あたしの名前は、『オレのカノジョ』らしい。

 うん。

 え?

 な。

 なにぃぃぃぃ!?

「誰? 名前は? いくつ?」

 絶世の美少女が、強面サングラス男が、それぞれ違った意味の圧を込めてこっちを見てくる。

 えぇい、原稿のためだ!

「野原花乃。十四才です」

 どこで知り合ったの? そう亜莉珠ちゃんが言い終わる前に、グラサン男が口を開く。

「彼女、作家の卵なんだ。借りた本に挟まってた小説の原稿を届けたのがきっかけで知り合ってさ」

 すらすらと自然に、言った。

 こいつ、もしかしてめちゃ嘘うまい?

 いや、というより、そのよどみない口調と雰囲気は、演技力があるって感じだ。

 亜莉珠ちゃんはうるおいたっぷりのきらきらした目をド迫力ですがめ、

「こんな野暮ったい垢ぬけない子」

 ぐさ。野原花乃改め『オレのカノジョ』は、心に70のダメージを負った。

「……こいつの小説、すげーんだ」

 ふいに響いた静かな声色に、森に射した木漏れ日につられるように顔を上げる。

「ふつうに生きてるときれいなもんなんかこの世になんもないって思えるときってあんだろ。それが文字追ってるだけで、すげー安心できる場所にいるみたいでさ」

 真冬の太陽に反射してかすかに見えるサングラスの奥は。切なげな瞳と真摯な色を宿している。

 あたしは、息を呑んだ。


 

 ……すべてでっちあげと到底思えないところがすごい。


 こんなふうに自分の小説のことを言われたら、たちまち舞い上がってしまうだろう。

 というかすでに、嘘八百にあやうく感動するとこだった。



 彼の台詞は、亜莉珠ちゃんにも、また別の強い作用を施したらしい。

「……ばか。純のばか。ほんとにカノジョがいたなんて」

「ごめんな。……でも、ありがとう」


 どきっと心臓が鳴るのを聴いた。

 あたしに向けられた言葉じゃない。

 でも、なんなんだ、今までと百八十度転じたこの優しげな声音は。


 涙をぬぐいながら、まるで映画のヒロインのように走り去って行った亜莉珠ちゃんを見送りながら、つい、言葉が出てしまう。


「かわいそう。あそこまで好きになってくれた人をふっちゃうなんて……」

 次いで放たれたのは、ため息交じりの声。

「いいんだよ。あいつはなにかと問題起こすことが多くて。今までオレと恋人だって噂になった子全員にいやがらせされて辟易してたんだ」

 ……うん。

 そういうあなたは何人もの人と恋人の噂があるようなクズ男なんですね。

 グラサン男改めクズ男は正面に向きなおると、低い声で、決め台詞のように宣言した。

「つーわけで。お前、オレとつきあえよ」

 はー。

 決まるねー。

 神様はこういうやつに限って、無駄にいい声を与えちゃったりなんかするんだよね。

 だから世の中には泣かされる女の子たちが絶えなくて。

 まぁだからこそ、あたしの小説のネタもそこら中にあるわけで。

 ってちょっと待て。

「は!?」

 今、なんて言った?

「告白されて断るときに、カノジョがいりゃ手っ取り早いだろーが」

 当然のように言う。

 さすがクズ男だ。

 小説に描いたようなクズぶり男が、サングラスを取った。

「一路純だ。よろしくな」

 ……ん?

 どっかで聞いた名前。

 高い通った鼻筋。切れ長の大きな目。小さなしまった口元。

 軽くウェーブがかった黒髪。

 なるほど何人もの恋人を持てるだけあって、嫌味なくらい整った顔だ。

 そしてどっかで見たような。

 あたしは脳内で、記憶のアルバムの高速再生(テイクツー)を繰り広げる。

 スニーカー履いてテレビの中でジャンプして。

 歌番組で歌って、きれいなバク転を披露して。

 恋愛ドラマでオレ様王子役を演じていたような。


「『エクレール』の純!」


 思わず叫ぶと、『エクレール』の一路純は、しっと指先を顔にあてる。

「あほ。周りにきこえたらまずいだろーが」

 ほーう。

 そういうことか。

 自分は芸能人だから特別だと。

 つきあえと言って、断られることなんかないだろうと思ってる。

 その自信満々な態度――かなり鼻につく。

「アイドルだからって、ちょっと言いよれば誰でもなびくと思ってるんでしょ。あたし、そんな簡単な女の子じゃないですから!」

 言ってやった。

 びしっと言ってやった。どうだ。

 身体を思いっきり逸らして、エクレールの一路純を見る。

 あれ、黙ってる。

 なぜなにも言ってこない?

 もしや……キレてる?

『ざけんなよテメー! 王子様アイドルのオレ様に向かって何様のつもりだ!』

 あたしは胸倉をつかまれ、図書館の外の路地裏に連行され、ぼこぼこに……。

 脳内で、されたときだった。

「くすっ」

 一路純が、笑った。

「……おもしれーな、お前。書く小説といっしょで」

 え?

 なんだかものすごく気になるワードを放った後、しばらく彼は笑い続けた。

 その顔はアイドルというより。

 なんだろう?

 そのへんにいる、無邪気な男の子みたいで。

「けど、ネットにあげてた死神ロックバンド少年と主人公のラストシーン、ありゃてんでだめだ」

 無邪気な男の子が爆弾を落とした。

 人差し指で額をぴんと弾いて。

「ロックバンドのアーティストが、舞台上でファンに好きな人がいると発表した数秒後にどうやって二階席の後ろにいるヒロインのとなりにいるって言うんだ。物理的に不可能だろ」

 すらすらと語られるそれは紛れもなく、あたしがネットにあげたとおりのラストシーン。

「そ、それは」

 そうしているうちにサングラスの角度がかわって、こっちに向けられる。

「芸能界のことを書くなら、アイドルやライブについてちゃんと取材したのか?」

 い、一応。と、やっとのことで声をしぼりだす。知らないことを小説に書くときに取材が必要なことくらい、あたしも知っている。

「……友達が、アイドルグループの『エクレール』のファンなんだけど、東京ドームくらいのおっきいライブ会場で、天井に頭がつくくらい高い位置にいたメンバーが、一瞬で舞台の上に移動した演出にすごく感動したって」

 形のいい口元から呆れたような短い息がもれた。

「そりゃシンプルなトリックだ。天井近くにいたメンバーは、『エクレール』のメンバーに衣装と髪型を似せた影武者なんだよ」

 ええっ。それってつまり、片方はニセモノってこと。

「このヒーローの場合、恋人がいることをファンに告知したあと瞬間移動し、かつヒロインに告白するわけだから、両者とも本物ってことになる。舞台演出のトリックを使っても、そんなことはありえないんだ」

 あ……。

 何も言えずに立ち尽くしていると、ぱたんと本を閉じる音がした。

 その一瞬後で、頭の上に手のひらの感覚が降りてきて。

「もっと勉強しろ。へぼ作家」

 同時に、ある予感も。

 ……まさか。こいつが。

 こくりと唾を飲んだとき、サングラスの奥の瞳が、おもしろそうにすがめられた。

「オレをしびれさす文章書いたのが、こんなまぬけヅラなんてな」

 今度の今度こそ、返す言葉もなく立ち尽くす。

 この偉そうなグラサン男が。

 アイドルの一路純が。

 サイトで感想くれた人……!?

「でも、見たところ新たに構想練って書き直してるみたいだし、そのガッツは認めてやるよ」

 偉そうな言い方に、高揚した頭が徐々に冷静さを取り戻していく。

 認めてやるって、何様のつもりだ。

 敬語で感想くれた人と、イメージが違いすぎる、アイドルの一路純は、ぴしと長い指先をあたしの額につきつけた。

「お前の執筆に協力してやる」

 それは命令を通りこして、断定口調に近い。

「その代わり、小説が完成するまでオレとつきあえ」

 あたしの14年間の人生に降りかかって来た中で最大級の隕石だった。

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