#4 そうめん
「俺は今までの人生の中で一回もそうめんに幸せにしてもらったことがないんだ」と山田は吐き捨てるように言った。
「なんだそれ」先ほど茹でたそうめんに箸を伸ばしながら僕が言うと、山田は「世間はそうめんを甘やかしすぎなんだよな」と続けた。
僕がそうめんを麺つゆにつけると、「お前、そうめんに優しくしてもそうめんの為にならないぞ」と山田は言った。
「さっきから何を言ってるのかさっぱりだ」
「なんでわかんないんだよ。いいか、じゃあ聞くが、お前そうめん好きか?」
「まあ、好きだよ。夏の風物詩だしね」
「はいでました夏の風物詩!」山田は背を床につけて叫んだ。僕が住んでいるアパートの一室に山田の声が響く。「俺は夏の風物詩と不謹慎って言葉が大嫌いなんだ!」
「おい、大声出すなよ。隣に人住んでるんだから」
山田は起き上がる。
「まず、そうめんはあらゆる食べ物の中でも特にクオリティの低い食べ物であるという前提はいいよな?」
「よくない。そうめんを作っている人に謝れ」
「謝って欲しいのはこっちの方だ。いいか、俺たちの食事の回数は有限だ。一食一食が人生の思い出であり、楽しみであり、生きている意味でもあるわけだ。そんな中、そうめんのせいで一食無駄にさせられてしまうんだ。腹だけが満たされるだけで、幸福感は一切ない。こんなの食事でもなんでもない。ただの栄養補給だ。いや、栄養補給ですらない。こんな白い麺に栄養なんてないだろうからな!」山田は荒々しくそうめんを指差す。
「そうめん、美味しいだろ」僕は一口そうめんをすすった。「流しそうめんだって楽しいし」
「流しそうめん! それこそが最もそうめんを甘やかしている元凶なのさ」山田は仰ぐように両手を広げた。「まず、そうめんを竹で流したところで美味しさは一ミリも変わらない。なんだったら流す時の水で麺つゆが薄くなるから美味しさは減少する。そして何より言いたいのが、あんなの別に他の食べ物でもいいわけだ。流しラーメンでも流しそばでも流しうどんでも、なんなら流しファミチキでも構わない」
「ファミチキは水に流れないだろ」
「竹を用意して水に流して食べる。何故そのようなことをしているのがそうめんだけなのか。おかしいと思わないか?」
「まあ確かに他の食べ物ではやらないな」
「そうだろう。理由を教えてやる」
「いや、別に良い」僕は一応言ったが、山田は聞いていない。
「それはな、そうめんをただ食べるだけでは「食事における最低条件」を満たすことが出来ないからだ。普通の食べ物ならそれを食すことで「食事における最低条件」をクリアすることができる。この最低条件は知ってるよな?」
「知らん」
「腹が膨れる、味が美味い、幸せな気持ちになる。この三つだ。この三つを兼ね備えた状態のことを「食事」と言うのだ。たぶん広辞苑にも載ってる」
絶対に載っていない。口に出すのはもう面倒くさくなっていた。
「この「食事における最低条件」を全ての料理はちゃんと満たしているわけだ。言い換えればルールを守っている。サッカー選手は、手を使ってはいけないという最低限のルールを守ってプレイするだろ。それと同じというわけだ。「プレイ中に手を使ったらルール違反」と同様に、「食事において、腹が膨れる、味が美味い、幸せな気持ちになる、の三つの条件を満たしていないものはルール違反」というわけだ」
僕は山葵を麺つゆに少量入れた。鼻にツンとくる匂いが食欲をそそる。
「そうめんは、そうめんを食べるだけではこの三つの最低条件を満たせられないがために、流しそうめんなどというエンタメを導入することでルール違反を有耶無耶にしているのだ。他の料理は食べることだけで真正面から勝負しているにも関わらず、そうめんだけは、竹に入れて水で流す、という要素を加えているんだ。スポーツで置き換えるならこれはドーピングだぞ。サッカーだったら一発レッドカードな上に一年間の出場停止処分になる」
「さっきからサッカーに例えている意味がわからない」
「そうめんは「流しそうめん」と「夏の風物詩」というドーピングありきで生き残っているやつなんだ。そんな奴に俺は人生の貴重な一食を捧げたいなどとはつゆほども思わない。麺つゆほども思わない!」
上手いことを言ってやったりな顔を山田はしているようだが、ここで何かリアクションをしてはダメなのだ。調子にのってまたベラベラと喋り出してしまう。
「じゃあお前は食べなきゃいいだろうが。僕がせっかく茹でてやったのに」
「違う。これは全員で考えなきゃいけない問題だ。だってそうだろ? ドーピングしているやつを一人でも許してしまったらその競技は破たんするぞ。食事という競技においてそうめんという卑怯者を野放しにしてはならないのだ。だから俺は提案したい」
「何を」思わず聞いてしまった。これはよくない。
「今年の夏は国民全員でそうめんを無視してやるのだ。夏の風物詩だからといってみんな毎年そうめんを買って食べているが、今年はそれをやめる! 調子にのっているそうめんを全員で無視してやればそうめんも反省して、来年から正々堂々と勝負してくるようになると思うんだ」
「考え方が完全にいじめっ子のそれだな」
「違う。これはそうめんのためを思ってのことなんだ。俺たちは夏の風物詩や流しそうめんというドーピングによってそうめんを甘やかしてきた。いつまでも補助輪をつけたままの自転車状態だ。でもそれではそうめんのためにならないだろ。可愛い子には旅をさせろという言葉があるように、もしお前がそうめんのことを本当に愛しているのなら、今年の夏だけはそうめんを旅立たせて、来年までに成長させてあげる。補助輪を外してあげる。それこそが本当の優しさであり真実の愛だ。違うか?」
「全然違う。僕は今年の夏もそうめんを買って食べるし、そうめんを愛する」
僕が言うと、山田は眉間に皺を寄せて立ち上がり「じゃあこうしよう!」と大きな声で言った。いちいち本当にうるさいやつだ。
「今からここで流しファミチキを行う」
「は」
「流しそうめんよりも流しファミチキのほうが楽しいし美味しいし幸せな気持ちになれると証明出来たら、俺が今言ったことに賛同しろ! いいな!」
「だからファミチキは流れないって。そして賛同もしない」
「この家に竹とファミチキはあるか?」
「あるわけないだろ」
「よし、今から買いに行こう。近くにファミマはあるよな。なければ別にななチキでもからあげクンでもいいぞ。ホームセンターに行けば竹は売っているのか? 分からんがとにかく急げ!」
山田はすぐに玄関に向かう。ついに隣の部屋からドンドンと壁を叩かれた。あとで謝りに行かなければならない。
「いま買い物に行ったら麺が伸びるだろ。ていうか竹なんて邪魔になるから本当にいらない」
「そうめんなんて麺が伸びたところで味は変わらん。竹は……あとで竹馬でも作って一緒に遊べばいいだろ。いいから早くしろ! 売り切れたら大変だ」
山田が玄関のドアを開けた。ミンミンと今年も鳴り響いているセミの大合唱が、部屋の中にも入ってきた。
僕はもう一度そうめんを麺つゆにくぐらせて口に含んだ。玄関から入ってくるセミの声、ジメジメした熱気、山田が僕を急かす声、そして口の中のそうめん。
今年も夏がやってきた。僕はそう思った。
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