『奈落』の上の聖女と聖者(2)

 男の人は手紙を開けずに、同じように指輪がそろっている反対の手、その親指で人差し指の指輪を軽く撫でてから、無造作に虚空を払う。


 とたんに、そこに窓が現れた。


 僕にはそう見えたけれど、黄色と緑とを混ぜ合わせたような窓枠も透明で、中の風景も向こう側が透けて見えるから、本当に窓が現れたのではないのかもしれない。

 けれど、窓の中の風景は、明らかにここではなかった。


 まず、何よりも第一に、窓の中は室内だった。

 木製の内装は赤味がかった暗い褐色で、磨き上げられて光を鈍く反射している。

 ファブリックは緑を基調として、その濃淡に赤と白を差し色を利かせたパターンでコーディネートされている。


 見える限りでは、だけれど。かなりのアップらしく、うつむいている白髪混じりの頭以外に映っているものが少ないのだ。

 どうやら、誰かが机に向かって書類仕事でもしているらしかった。全く気づかれる様子がない。

 向こうからこちらは見えないのだろうか、とか思っていたら、男の人が、これまた無造作に話しかけた。


「おい」


「うおっ!」


 向こう側の人にとっては、唐突に話しかけられたと感じられたのだろう。バネ仕掛けで飛び退かん程の勢いで、頭が窓の奥の方へと下がった。

 が、こちらを見るなり大きくため息を吐いて、当たり前のように顔を向かい合わせた。


 軽くウエーブしている髪にはかなり白髪が混じっていて、それ相応に皺が刻まれている顔。

 人なつっこそうな目元だけれど、瞳自体は非常に鋭い。

 首もと辺りの服から身なりの良い貴族なのは明白、なのに顔だけを見ると歴戦の武人のような貫禄がある。


 とても見覚えのある顔。何しろ、さっきぶりだ。


「久しぶりだな、ギルバート」


「お前、いきなり繋ぐんじゃねーよ。というか何であっさり繋げられるんだよお前は……この屋敷にはそれなりに魔術防壁を張り巡らせてあるってのに」


「それで防げると?」


「ああ、無理だわな。分かってるよ全く、こーの規格外が」


 僕に手紙を渡した張本人のギルバート・レッドグレイブ侯爵が、小さく両手を挙げて見せた。

 そして、僕と目があった。ひらひらと手を振る侯爵。


「やあ、さっきぶりだねカイル君。無事にアルヴィンに会えたようで何よりだ」


 ものすごく自然と会話されていた、つまり侯爵からもこちらが見えているわけだ。もちろんそうだと分かってはいたけれど、そこに自分も含まれているのは分かっていなかった。


 率直に言えば、ピンときていなかった。


 が、直接自分に声がかけられたため、否応なしに実感が襲ってくる。となると、侯爵を目前にぼんやりしているのは洒落にならない次元で不敬だ。

 即座に片膝をついて胸に手を当てる。


「は、はいっ」


「あー、いいからいいから、立ちなさい。そこにはアルヴィンしかいないんだろう? 一切不問でいいから」


「ですが……」


「爵位持ち相手に不敬だとか言うんだったら、そこの自由人はとっくに牢屋行きだよ? なあ、アルヴィン」


 逡巡する僕に、侯爵はカラカラと笑いながら、正真正銘フランクに話しかける。

 実際、さっきお会いしたときも気さくな方だった。口先だけではなく、本当にそういう方なんだろう。


 でも、傍らの男の人が、もしも高名なあの“アルヴィン”だとしたら、侯爵と対等以上で当たり前だ。

 伝え聞く容貌とも一致する。


 貧民街育ちの僕が同列になるわけがない。


「……恐れながら、“聖者”アルヴィン・グリーンフィールド様と僕とでは違いすぎます」


 2人の雰囲気が変わった。

 レッドグレイブ侯爵は単に驚いただけのようだけれど、アルヴィンと呼ばれる男の人は驚いただけではなくて、何というか、単なる空気だった僕が空気でなくなったような感じを受ける。

 よく分からない圧を受けてる、ような気がした。


「ギルバート、この子は?」


「な? 聡いだろ? 貧民街育ちとは思えないよなー」


「貧民街育ちなのか?」


「ん? 手紙に書いて……ちょっと待てお前、読んでないな?」


「聞く方が速い。お前の手紙は長いからな」


「おおい! ったく、後でちゃんと読んどけよ。その辺の事情も書いてあるんだからな」


 僕のことは放っておいて話を進める2人。どうしようかと思っても、そもそもどうしようもないわけで、じっとしているしかない僕へ、レッドグレイブ侯爵が改めて声をかけた。


「えーと、まず、君の察した通り、そいつはアルヴィン・グリーンフィールドだ。この世界を救った英雄の片割れだよ」



(続く)

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