(仮題)【その後】の物語

橘 永佳

『奈落』の上の聖女と聖者(1)

 澄み切った青い月から、銀色の光が降り注ぐ。


 その光は透明でもあって、辺り一面を覆う夜光草の仄かだけれど暖かな灯りに、銀粉の煌めきを散りばめている。


 まるで、ふわふわと漂う切れ切れの雲の中に立っているみたいだ。


 雲の上、雲上の世界がもしあるとすれば、こんな光景なんだろうか。遮る物のない、清らかな光のあふれる世界。目を刺す輝きではなく、穏やかであってなお陰りのない、安らかな空。


 陽が昇ればまた違うのだろうけれど、と思うとそれが残念になる。そんな夜の時間に僕が立ち尽くしていると、この森の中の草原ただ一つの建物から誰かが出てくるのが見えた。


 小さな家から現れる、すらりと背が高い、黒い神官服の男の人。近づくにつれて、年上だけれど親子ほどには離れてなさそうなこと、黒地に金糸で少しだけ刺繍が施されていることなどに、ようやく気づいていった。


 気づくのが遅れたのは、何より、白銀に煌めく髪に目を奪われていたからだ。月の光のせいなのか、地毛なのか、はたまた両方なのか。今まで見たこともない髪色だった。


 ちなみに、これだけ整った顔立ちの男の人も、僕は今まで見たことがなかった。


「君、どこからここへ来たんだ?」


 真正面からじっと僕を見下ろす目。

 そこに含まれているのは純粋な疑問、そして、わずかな警戒。

 今までの中でも一等良い対応に、かえって慌ててしまった。


「ああ、あの、えっと、ここへ、あ、この手紙を見せれば分かるからって」


 わたわたとポケットを探って手紙を差し出すと、長い指がそれをすっと受け取った。

 5本全ての指にある薄い銀の指輪にはそれぞれ、青、赤、金、白、黒で模様が入っていて、その手は早くもなく遅くもなく滑らかに、気圧されることも嫌悪されることもなく落ち着いて――。

 ああ、これが優雅というやつか――と知ると、今までされてきた扱いは上等ではなかったのだなと気づく羽目にもなった。


 手紙の封蝋に捺されている印を見た男の人の反応は「ふむ」と一言だけだったが、その直後から、わずかにあった警戒が完全に消えた。どうやら、知った人か、かなり信用のおける立場の人からだと思ったらしい。


 この世界で5大国の一つに数えられるリグル=リッツ王国、その侯爵家の印璽なのだから、まあ当然と言えば当然だと思う。

 いや、もちろん僕にはどこの印璽かなんて分からないけれど、そのレッドグレイヴ侯爵家の裏庭から来たのだし、侯爵家当主ギルバート・レッドグレイブその人から手紙を渡されたのだし、間違いはないはずだ。


 問題なのは、わざわざ4大侯爵家筆頭の侯爵様が直々に手紙を書いたことと、屋敷の裏庭を進んだだけなのにここへ着いたことだ。



(続く)

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