弔い
「誤魔化したところで無駄なのでしょうね。だって貴方はもうここまで辿り着いているのですから」
そう言ってレディ・ストランド――ルオン・ルーシーレインは“本”を片手に掲げつつ
大きく開いたドレスの背からむき出しになったルオンの白い肌、そこから華奢な体格に不釣り合いな、無骨でごついパイプ管が突き出していた。
そして背骨に直結されたパイプ管を囲むようにして、無数の細いケーブルが彼女を天井から吊り下げているのだった。
まるで舞台の役者のように、あるいは
血のように赤いタイトなドレスの裾を揺らしながら、彼女はフロアの中央に位置する大階段の踊り場から、何気ない動作で飛翔した。
うねるケーブルの力で宙を舞いながら、招かれざる客を見下ろしてルオンは笑う。
「この日記は私のものよ。街に
「違う。ジィエンのものだ。お前があっさりと殺した、下層に暮らす平凡な男の」
「今は私の物なの。わかる?頭の悪い虎男さん」
ルオンの両腕が芝居掛かった様子で大きく広げられる。背中に接続されていたケーブルの幾つかが外れ、天井からだらんと垂れ下がったと思うと、先端が鎌首を持ち上げて路黒に向き直った。
「私達を結びつけたストランドに感謝を。そして、さよなら」
細い指先が標的を指し示した瞬間に、ケーブルたちが勢いよく伸びて、路黒に襲い掛かった。
しなる。うなる。軟性の電磁ケーブルが火花を散らして床を割り、整然と並べられたソファを砕きながら虎を狙う。
その荒れ狂う嵐を追い掛けて、ルオンが天井付近を滑るように進んでくる。もがく虫か何かを見るかの如き、愉しげな視線。
路黒は乱打を躱し、潜り抜けながらフロアを跳ねるように移動していった。身を屈めて床を踏み、壁を蹴って天井から吊り下げられたルオンに食い下がろうとする。
だが、その度に妖女は素早く遠ざかった。路黒の爪が掠める距離までするすると離れ、その軌跡を艶やかな表情で眺めて嘲弄する。
遊ばれている、あるいは嬲られている。
それが分かったところで路黒に出来る事は何もない。
当たれば肉が裂け、骨が砕ける攻撃を避けては襲い掛かり、そして逃げられる。その繰り返しだった。
だが。
壁に埋め込まれた非常灯が、滲むような光を放った。突然、ホール全体の明かりが消えたのだ。
『ごめん、思ったよりガードが堅くて。その一帯の電源カットしたよ』
「助かった、羅畝」
通信を交わしながら、路黒は動きを止めたルオンへと歩み寄った。
血に飢えた蛇の群れは力を失い、天井からだらりとぶら下がる紐と化している。そしてその主もまた。
今までは決して無かった停電という事態に手足をバタつかせ、抵抗しながらも背中から生えたパイプはゆるやかに、無力なひとりの女をフロアで待ち受ける獣の眼前へと降ろしていった。
「なるほど。確かにストランドが結びつけてくれたな」
垂れたケーブルの一本を引きちぎりながら路黒が言う。うるるる、と鳴ったのはその喉奥だった。
「ふざけんじゃねえクソ野郎!私は――」
ルオンにも言いたいことはあったのだろう。自分の理想と実力と、影響力を盾にした脅しの文句、あるいは命乞い。喉元に食い込んだ硬い爪の感触が、それらすべてを押し留めた。
「ジィエンの死体はどこだ」
「……ち、地下水路に流させたわ……この真下に眠ってる……」
「そうか」
虎が瞼を閉じた。そのまま深く息を吐く。
「終わりだ」
何かが砕けた。作り物が割れる音。もしくはとっくの昔に無くなっていた筈の。
あっ、とルオンは思った。なぁんだ。終わっていいんだ。もはや彼女を縛るものは何もなかった。光が拡散する。闇が訪れた。
路黒は地面に横たわった肉の塊の懐から日誌を取り上げて、ポケットから取りだしたライターで火をつけた。
古い本はあっという間に燃え上がり、煙をあげながら灰になっていく。その煙の中にジィエンの顔が浮かび上がり、すぐに消えていった。
虎が吼えた。
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