上層へ

「エスの正体は女だ」


 雑踏と喧騒。街路を人が行き交い、物売りが声を張り上げる。クラクションを鳴らしながら木箱を満載したスクーターが土埃を撒き散らしながら走り抜けていく。


 下層域のひとつ、東七之区は張り巡らされたアーケード下に雑多な施設をいくつも詰め込んだ、活気溢れる商業区域である。

 不定期に卸売市場が開かれる為、その周辺に自然と飲食店や娯楽施設が集まり、それらを目的として人が集まった結果がこれだった。


 その中のひとつ、屋根上の排気管から派手に炊煙を吹き上げるうどん屋で、路黒と羅畝は店の隅にある小さなテーブルで、向かいあってうどんを啜っていた。


 店主が粉から練り上げた、本物のうどんである。早朝から時間を掛けて鰹と昆布で出汁を取っているという安く、本格的な汁麺。

 それを次々に腹へと収めながら、ふたりが話しているのは、路黒が捜索と口寄せを通じて得た情報の共有事項だった。


「つまり、これまで手に入れた情報をまとめると」

 うどんの汁を飲み干し、ぷは、と一息ついてから羅畝は手元のタブレット端末を操作した。整理された情報が路黒の視界に転送され、ずらりと列挙された。


 ・ラオ・ジィエンの死亡は確定的である。死因は絞殺。交渉相手であるエス、あるいはその協力者による犯行と思われる。

 ・殺害理由はジィエンが購入した“本”に原因があるものと推測される。内容は不詳。

 ・遺体の現存場所は不明。口寄せの内容から水に関係がある場所の可能性あり。

 ・エスは辰陽会との関係あり。猿衆に路黒、羅畝両名の襲撃を命じた可能性大。


「ストランドが抜けているな」

「え?」

 三杯目のうどんに手をつけながら路黒が言った。


「ジィエン殺害の前にエスが言っていた。ストランドに感謝を、と」

「ストランドって紐の事だよね?心理学用語では“絆”を意味するみたいだけど」

「その辺を切っ掛けに何か掴めないか。上層階の金持ちで心理学を齧ってるような――ついでに裏社会と繋がりのある女、とか」

「簡単に言ってくれるね。ま、当たってはみるけどさ……」


 ハンカチで軽く口元を拭った羅畝は、素早く端末にデータを入力していった。

 あーでもないこーでもない。ブツブツ呟きながらピックアップされる情報を取捨選択していく。


「あ」

 声を上げた後、羅畝がタブレットをタップした。都市の管理サーバーから引き抜かれた新たな情報が路黒の視界に展開された。

 それは都市上層に流通する新聞の、社会面の切り抜きだった。日付は約半年前になっている。


『ルーシーレイン女史、下層事業支援公社に多額の寄付金』

 記事は上層階における社交界の名士、ルオン・ルーシーレインなる女性が下層の事業支援を行う企業に多額の寄付を行った、という内容である。特段変わったところの無い記事の中、そこに踊る語句が路黒の目に留まった。


 「女史の経営するナイトクラブ『ストランド』にて行われたチャリティコンサートは盛況のうちに……」

「店名を心理学用語から引っ張ってきたかどうかまでは分からないけど、当て嵌る要素は多いんじゃない?」


 上層、金持ち、女、持ち店の名前は『ストランド』、すなわちS《エス》trand。これ以上ないくらい、手持ちの情報と合致する人物が現れた事になる。

 

「こいつが本当にエスかどうか、当たってみるとしよう。ジィエンの遺体を見つけるには上層まで昇るほか無いだろうしな」

「相手はこっちが遺体探しに動いてるのを知ってるみたいだし、また出先で襲われたりするかもよ」

「連中も上層で派手に暴れたりはしないだろうが、襲われてもその時はその時だ。羅畝も気をつけろ」


 三杯目のうどんを食べ終えて腹を軽く叩くと、路黒はテーブルに埋め込まれた決済用リーダーに携帯端末をかざして二人分の会計を済ませると、席を立った。


「本当に気をつけてよ」

 羅畝の声に片手をあげて応えた路黒は、コートの襟を立てて人混みの中に消えた。



  上層と下層をつなぐ軌道エレベーターは混雑していた。

 亡霊ファントムによって翻弄された管理局が、交通の監視を強めた為だとも言われているが、真相が市民の間まで降りてくることはない。


 東七之区から最も近い箇所に設置された参號ゲート前で、路黒は円柱状のエレベーターに乗り込んでいく人々の列に紛れるようにして歩いていた。

 やましいことをした覚えは無かったが、なにぶん脛に傷もつ身ではある。大人しくしているのが賢明だというものだった。

 だが時として、避けようのないトラブルは向こうからやってくるものだ。


「はい、そこのゴミ箱爆破事件の容疑者、止まれェー」

 拡声器を通さずとも周辺に響き渡るような大声が聞こえる。路黒は、ふんと鼻を鳴らすと顔をあげ、声の方向を見た。


 ゲート脇に建つ監視所の壁にもたれかかるようにして、腕組みをしたオガワがにこにこと笑顔を浮かべながら路黒を待ち受けていた。

 周囲の市民が、路黒との関わり合いを避けるように距離を取り、人の流れが割れて空白が出来る。


 オガワを睨むようにしながら、路黒はゲートの保安要員に取り囲まれる前に、自ら監視所に向かって歩き出す。楽しくない時間を過ごさねばならない、その予感と共に。

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