酒場

「羅畝が恐れているのは自分が『普通』の人間ではない、という事実そのものらしい」

「そうだろうね。だから彼女は樹人種である事の露見に対して激しく動揺する。あるいは自身の特性の発現を厭# う」

「傷の修復に伴う”成長“の仕方も激しくなっている。以前はあそこまで顕著ではなかったが」

 会話を交わしながらグラスを傾け、合成酒を喉奥に流し込むと食道がちりちりと灼けるように燃え、胃の中にちいさな火が灯った。


 事務所からそう遠くない酒場。それほど広くない、客が十人も入ればいっぱいになるようなバーのカウンター席である。

 落ち着いた雰囲気の曲が流れる中、路黒と隣り合って座っていた男は相槌を打ちながら、穏やかな表情で話を聞いていた。


 ベッドに寝かせた羅畝が眠りに落ちたのを見届けた後、路黒はラフな服装に着替えて外に出た。酒が欲しかった。味わうためでなく、酔うための酒が。


 そうして殺伐とした気分を抱いたまま向かった行きつけのバーで、先に飲んでいた顔見知りに手招きされた路黒はいま、不安定な感情を吐き出すように自分の考えを吐露しているのだった。


「大抵この街の『普通』は『普通じゃない』って意味なんだけどなあ」

 そう言いながら煙草の煙をゆるゆると吐き出すドクター・アンバーは『咒骨商』の数少ない協力者の一人で、診療所を営む下層の闇医者だった。名前通りの土色アンバーをしたジャケット、細いラウンドグラス越しに見える垂れ目がちの瞼の奥に、理知的な光を湛えた瞳を持つ男だ。


 『咒骨商』には敵が多い。

 死者に事欠かないこの街では、寄せられる『弔い』の依頼も様々であり、同時に殆どのケースには当然の様に裏があった。

 妻の恨み言を聞かせるために去り逝く夫を喚び戻したり、死んだギャングに遺産の在り処を吐かせた事もある。

 そういった仕事の一部――多くは路黒の意に反した――を実力行使で拒否した結果、多方面からの恨みを買う羽目になっていた。


 加えてオーナーである阿賀美は元より、そこで働く路黒にも、輝かしいとは言えない過去がある。そんな二人を保護者に持つ羅畝も当然、トラブルに巻き込まれる可能性は高かった。

 現に、羅畝は『咒骨商』によって保護されるまでの間に、存在の希少性から幾度も誘拐や襲撃の対象にされている。


 そうして救出されるまでの間に怪我を負う、あるいは死亡する程の悲惨な目に合うたびに少女の持つ特性が、彼女自身をこの世界に繋ぎ止めていた。


「樹人の不死性は、いわば人体における防御反応だからね。繰り返し傷ついた皮膚が硬質化するのと似たようなものだよ」

「それは羅畝も理解はしているようだ。だが都度、自分が人から植物に戻る事でアイデンティティが揺らぐのが嫌なんだろう」

「ううん、頭では分かっていても、ってヤツか。ウネちゃんは今いくつだったっけ?」

「七歳だ」

「電子戦のプロで、知識量や知能指数、身体能力は大人と変わらなくても、この世に生まれて七年分の経験しか詰んでいないってワケだ」

 アンバーは、ぼさぼさとねじくれた自身の髪を掻きむしりながら唸った。


「そのへんのアンバランスさが要因のひとつな気がするね。精神面の問題というか、現実の受け止め方次第って事になるんじゃないかな」

「……受け止め方次第、か」

 その言葉が、路黒の心にちいさな掻き傷を残したようだった。 

 現実。死者の声を聞き、その死を悼み、時に血と暴力の渦に身を投げ出して『弔い』を遂行するという、あまりに非現実的な、フィクションめいた現実リアル


 だが、この街では起こり得ない事など何も無い。“起きた出来事”こそが真実なのだ。それがどれだけ奇妙な事であったとしても。


 死を観る能力。亡霊との会話。都市に焼き付いた残像と生命の残り香。幻影をすくい上げる行為。阿賀美によって見出された力。路黒の有する、それこそが彼の現実だった。


「時間が解決するんじゃないかな。まぁワタシは精神メンタルの専門じゃないから確かなことは言えないけど。結局、ヒトは慣れる生き物だから」

 意識が引き戻される。唇の端で短くなった煙草をくゆらせながら、無精ひげの生えたあごを撫でるアンバーの声を聞きながら、路黒はグラスを呷った。


 自らの在り方に苦しむ樹人と、血の衝動に身を委ねる獣人と。慣れていくのだ、この街に。苦しみながら生きていくことに。そうするしかない事実が無性に腹立たしかった。

 そう考えた瞬間、胸のうちに漂っていた衝動が形を得た気がした。


「路黒……もしかしてキミ、怒ってる?」

 熱を帯びた息を細く吐き出し、据わった瞳で空になったグラスと、そこで溶けていく氷塊を睨みつける路黒に対して、アンバーはおそるおそるといった調子で声を掛けた。


 それは怒りだった。

 己の周囲を取り巻く環境や“家族”との関係性、理不尽に奪われていく命に対する無力感。理解し難い(今に始まったことではないが)阿賀美の思惑と、それに振り回されている自分。襲撃された羅畝の悲哀、それを予測できなかった甘さ。日々の閉塞感、往くべき道の見えない不安感。それら全てが目に見えない奔流となって、路黒の身体から漏れ出していた。


「ああ、その通りだドクター。ようやくわかった」

 グラスの中の氷を口に含んでがりがりと噛み砕き、ひと息に飲み込んだ路黒が顔をアンバーに向け、にやりと微笑んだ。


「俺は怒っている」

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