猿衆襲撃
炸裂の衝撃が収まった直後、踏み込んで来た男は四人。全員が京劇に出てくるような猿の仮面を着けている。
ひとりが入口を塞ぐように立ち、三人が室内の様子を伺いながら油断なく進んでくる。いずれも片手に大鉈を構えながら。
私室内に身を隠す場所はほとんど無い。男たちは路黒が身を伏せているであろうデスクを、じりじりと包囲し始めた。
「う、ぐ」
デスクの陰から、うめき声が聞こえた。それを耳にした男たちが顔を見合わせ、ひとりが鼻で笑った。路黒がスタングレネードの直撃によってダメージを受けたと考えたのだ。
それが誤りだと気づいたのは、80キロ近くはあろうかというデスクの脚が床から浮き上がった時だった。
「ぐううおお、らあああ!」
雄叫びと共にデスクが吹き飛んだ。避け切れなかった男がその下敷きになり、血を吐く。埃と木片がもうもうと舞い上がる中、金色の瞳が煌めいた。
大鉈を振りかぶる前に懐に飛び込まれた男は胸ぐらを掴まれ、そのまま壁に叩きつけられた。激昂したもうひとりが叫びながら突進してくる。路黒は何度か刃に空を切らせると相手の膝を蹴って姿勢を崩し、顔面に拳を叩き込んだ。仮面が砕け散り、血を噴き出しながら男が倒れる。この間、わずか十数秒。
入口を塞いでいた男は、路黒に背を向けて逃げ出した。ひいひいと声にならない悲鳴を漏らしながら、狭い店内を掻き分けるように走り、扉を通り抜けて表の通りへ飛び出そうとする。
「や、奴が来る!助けっ」
言いかけた男の体が襟首を掴まれた衝撃で急停止した。店の前で待機していた仲間の目の前で、再び明かりの落ちた店内に引きずり込まれた男の絶叫が尾を引いて続き、そして静寂。
「お前ら、
暗闇の中から滲み出すように姿を現した路黒は乱れた髪をかき上げ、口元を歪めた。口元から覗く牙にも似た犬歯、細められた目が放つ黄金の眼光。
秀麗な容貌に反した凶暴な笑みにたじろぎながらも、周囲を取り巻いた猿面たちは引かなかった。
漂流街の治安を表で保全するのが管理局だとすれば、その裏側を暴力で支配する存在が犯罪組織『辰陽会』であり、猿衆と呼ばれる仮面の襲撃者たちは、その構成員だった。
脅迫、誘拐、拷問、殺人――一般市民に紛れて暮らす彼、あるいは彼女は、ひとたび命令が下れば猿面を被り、疑問を差し挟むことなく任務を遂行する。
ひときわ高い場所に腰掛けた猿衆が無言で右手を振ると、その場の全員が臨戦態勢に入った。大鉈を構え直し、互いに距離を保ちながら包囲を
かあっ、と路黒の口が開いた。血のように赤い口腔に桃色の舌が躍る。人間の皮を被った肉食獣が
地を這うように疾駆した路黒は、最も近くにいた猿衆が大鉈を振り下ろすより早く、その胸に拳を突き入れた。胸骨が砕ける感触の消えぬ間に方向を変えると、次の相手に駆け寄って足を払い、宙に浮いた身体を蹴り飛
ばす。
飛んできた味方になぎ倒された猿衆の手首を踏み折って、背後から突き出される大鉈の先端を上半身の回転だけで躱すと、勢いのまま肘で相手の顎を打つ。
ふらついた猿衆の腕を捕らえ、飛び掛かってくる他の敵に向けて突き飛ばしながら、さらに違う相手が横薙ぎにした刀身を手首で跳ね上げる。軌道を変えられた仲間の刃に指を落とされた猿衆が叫んだ。
狂乱と蹂躪。古物商前の狭い通りは、たちまち猿衆たちの苦痛の呻きと血臭であふれた。転がりながら唸る者、痙攣しながら嘔吐する者、逆に身動きひとつ出来ない者もいる。
「調子に乗るなよ」
背後に憎悪のこもった声と殺気。路黒は振り返らず、対峙していた巨体の猿衆の喉に貫手を打ち込むと、相手の肩を支えにして身体を乗り越えた。その動きを追うように火線が走り、乾いた破裂音が連続した。盾代わりにされた男の肉が弾け、血が舞う。
違法銃である。
漂流街において銃の所持と使用には、管理局規定の手続きを踏む必要があった。所持登録、所有者登録、取得事由証明、取扱免許の発行と更新、年二回の適性検査と講習と――そもそもよほどの理由がなければ、一般市民は手に取ることすら許可されない。
仮に手にしたとしても、トリガーに指をかけた瞬間に全ての機構がロックされ、同時に警告音が響き渡る事になるだろう。“貴方にはこの銃を使用する権利がない”。
それら煩雑な手順をすっ飛ばし、あまつさえ不特定多数が使用できる状態に改造したものが違法銃だった。指揮官役の猿衆が構えているのは管理局の鎮圧部隊が装備する短機関銃、その改造品であるようだった。
崩れ落ちる巨漢の陰から飛び出し、建物の壁に沿って走る路黒をばら撒かれた銃弾が追う。仲間を撃ったことで動揺しているのか、それとも銃の扱いに慣れていないのか。どちらでも構わなかった。
路黒は瞬間、身を沈めると大地を蹴って跳躍した。全身が遮る物体の無い空中に晒される。指揮官役の猿衆は仮面の下でニヤつきながら銃口を向け、カチカチと鳴る
強い風が吹いた。にわかに雲の切れ間から陽光が射し込み、凄惨な通りの光景を白く照らし出す。浮かび上がる暴力の残禍、色濃く残る狂奔のコントラスト。その場に残っているのは、いつの間にか路黒と指揮官だけになっていた。
「残弾くらい数えておくんだな」
弾倉を交換しようとしていた指揮官の腕を捕えて
「知らされてもいないだろうが、念の為に訊くぞ。誰が命令した」
仮面の下で苦痛の表情を浮かべているはずの指揮官が笑ったのが分かった。腕を掴んだ指に思わず力がこもる。
「クソったれ、お、お前のオンナは死んだぜ」
「そうか」
「お前も死ね、裏切り者」
言い終えるなり指揮官の両腕の関節がモーター音を響かせながら逆方向に湾曲し、自由を得た肘から先が、腰に吊り下げられたグレネードに伸びた。爆発すれば効果範囲である15m以内に殺傷能力を持つ鉄片がばら撒かれる事になる。そのつもりだった。
路黒が無表情に拳を強く握りしめた。内に指揮官の腕を収めたままで。相当の強度を誇るはずの改造義手が火花をあげて断線し、神経組織もろとも破壊された。ノイズ混じりの絶叫。指揮官の指はグレネードのピンを引き抜く寸前で機能を停止していた。
「辰陽会が関わっていると判っただけでも収穫か」
そう言いながら指揮官の鳩尾#に膝を食い込ませて昏倒させた路黒は、その身体を漁ってグレネードを回収すると躊躇わずにピンを抜き、地面から拾い上げた短機関銃と共に、それらを道端のダストボックスにまとめて放り込み、蓋を閉めた。
得られた情報を整理する必要があった。
一度事務所に戻るか、と考えながら歩き出した路黒の背後、轟音と共にダストボックスが火を吹いた。
黒い煙を吐きながらゆるやかに滞空した後、路面に叩きつけられ、ひしゃげたダストボックスを振り返ることもせず、路黒は立ち去った。この男には珍しく、すこし派手にやり過ぎたかな、という顔をしながら。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます