第一章 日常

訪問者 -1

 漂流街下層・東四之区。二階建ての小さな雑居ビルに居を構える『咒骨商』が治安維持管理局の訪問を受けたのは、空き地での出来事から二日後の、晴れた昼下がりのことだった。


「いやぁ、まさか例の花束殺人鬼がアタシらの“元”身内だったとはねぇ」

 犬歯をむき出しにしながら、班長のオガワは獰猛な笑顔を浮かべた。緩めたような表情を見せながらも、目だけがまったく笑っていない。


「元、か」

「そーそー。野郎の経歴を調べてみたら、なんと三ヶ月も前に退職してたのが分かってさ」

 まいったまいった、と言いながら人差し指と親指だけでティーカップの持ち手をつまみ、紅茶を口に運ぶ所作は優雅そのものだが、当人の容貌とそぐわない事この上ない。


 風の冷たい季節ではあるが、彼女の服装は自慢の筋肉を誇示するように、記章が縫い込まれたジャケットを羽織った下にタンクトップ一枚という豪快さで、内側から巨大な乳房と割れた腹筋がそれを押し上げていた。


 身長は、路黒を頭ひとつぶんは優に超えているだろう。ぼさぼさと跳ねた長い髪は炎のように赤く、肩口から盛り上がる腕や張り詰めた太腿の厚みは鍛えあげた肉体の頑健さを物語っている。情欲的だの健康美だのという以前に(強そうだ)という感情が湧くのも、無理からぬところである。


 事務所に置かれた来客用のソファはそれなりの大きさがあるものの、そこに大股を広げて腰掛けたオガワの身体が収まるだけで、やけに小さく見えてしまうのだった。


 対して、それに正面から向かい合う路黒はあの夜とはまったく異なるラフなスウェット姿で、黙念とマグカップを口に運んでいる。

 長い髪を邪魔にならないようポニーテールに結び、目元の化粧も落とした男の様子からは、ただ気怠さだけが漂っていた。


 「ええと、じゃあそれってつまり」

 おずおずといった調子で口を開いたのは、路黒の隣で居心地悪そうに座っていた少女、羅畝ラウネである。短く切り揃えた緑色の髪がゆらゆらと揺れ、その下から見え隠れする瞳が緊張と、そして好奇の色を放っている。


「連続殺人を計画した元警官が、退職届を出した後も管理局内部を自由に行き来してたって事に……あっ、実は現役の警官が殺人鬼だったとなると問題が大きくなるから、データを書き換えてとっくに辞めてました、って事にしてたりとか」

 パキン。思いつきを早口でまくし立てる羅畝に対する返答は、机の上に置かれたティーカップの持ち手が砕ける音だった。


「憶測でモノを言わんほうがいいぜ、お嬢ちゃん。アタリハズレ関係なく不愉快になるからさ」

 そう言いながら向けられたオガワの凶悪な微笑みに、ひぃと小さく悲鳴をあげて、羅畝は路黒の腕にしがみつく。


「それともなにか根拠でも――」

「で、くだんの殺人鬼はなにか吐いたのか」

 更に圧を掛けようとする勢いを削がれたオガワは軽く息を吸い、それからじっとりとした視線を路黒に向けた。それを受け止めながら揺れもしない男の無感情な瞳と、女の視線が宙で絡み合い、そして数秒。


(くっそ、やっぱり顔がいいなコイツ)

 先に目線を外したのはオガワの方だった。心なしか頬が赤い。


「ボロ雑巾みたいにされてたが、奴は生きてる。だけど到底喋れるような状態じゃなくてね。今は管理局の監視下で病院に収容されてるよ」

「……同情する気にはなれんな」

「おまけに、奴が埋設してた通信機器は眼球もろとも破壊されてた。誰かと交信した形跡はあったんだが、お陰で解析不能だ」


 当初、手足をもぎ取られ、両目を抉られた瀕死の警官が街灯に吊るされ、晒し者になっているとの通報があったとき、管理局全体が一瞬で殺気立ったものだった。それは組織特有の仲間意識とプライドから来るものだったが、被害者である警官の素性や足跡そくせきが明らかになるにつれ、報復を求める論調は徐々にトーンダウンしていった。

 

 捜査の結果、出てきた数々の証拠から、今回の被害者である警官こそが、女性ばかりを狙って襲撃し、無惨な死体と共に花束を残していく“花束殺人鬼”であるとの結論に至ったからである。同時に管理局は、その事実を掴んだマスコミと世論の猛攻に対処しなければならなくなったのだった。


「犯行に利用されてた場所は特定したけど、スカベンジャーどもに荒らされた後だった。『街の眼』からも巧妙に隠されてた場所だから、誰かが連中に情報を流した可能性が高い」

「それじゃあ物証もなにもメチャクチャですねぇ」

 妙に明るい声で口を挟む羅畝をじろりと眺め、それからオガワは口元を歪めた。


「そうでもねえさ。被害者の骨片と、わずかに獣人種の体毛が回収できた。それから、落ちてる物なら人間の死体だろうが平気で持っていく連中が、なぜか触れもしなかったモノが残ってたよ」

 透明な小袋に収められたそれが机の上に放り出されると、路黒の目がわずかに細められた。


「被害者のひとりが愛用してた腕時計だ。回収された遺体と一緒に処理……じゃなかった、埋葬された筈の遺品が落ちてるなんて、不思議な話だよなぁ?ええ、どう思うかね、虎人の路黒さんよ」

 机の上までぐい、と身を乗り出しながら詰め寄ったオガワの声が、ぐっと低くなった。


「“亡霊ファントム ”はどこにいる?」

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