訪問者 -2
室内の空気が急激に張り詰めた。縁を掴んだ指に力がこもり、机がめきめきと抗議の声をあげたが、オガワが気に掛ける様子はない。
「ほんの数十分前、上層と下層を繋ぐ四號ゲートの監視カメラに“亡霊”が映りこんだのが確認された。あのジジイが立ち寄るとすれば、ここしかねェよな」
「押し掛けて来たのはそれが理由か」
「正解だよ、咒骨商。こんな芸当が出来るのはこの街でもアンタらのボス……
袋越しに汚れた腕時計の割れた盤面を指先で撫でながら、オガワは続ける。
「
「そんなつもりはない。現にこうして、一般市民らしく捜査協力しているだろう。家捜しでも待ち伏せでも、好きにすれば良い」
「よぉーし、同意が取れたぞ!お前らしっかり捜せ!」
指示が下りると同時に、今まで一言も口を利かず、事務所の壁際に並んで立っていたオガワの部下たちが
棚を動かして裏側を覗き、天井を押し開けてライトを照らす。カーペットをめくり、床を踏み鳴らして空間の有無を確かめる。乱暴に扱わないで、という羅畝の叫びも虚しく、床にくたりと横たわっているのは鉢から引き抜かれた観葉植物だ。騒ぎを聞きつけたのかカラスが一羽、興味深そうに窓から室内を覗き込んでいた。
右往左往する隊員たちの姿を眺めながら、路黒は小さく鼻を鳴らした。
治安維持管理局所属、強行犯罪対策班――通称『壊し屋』は管理局の中でも武闘派で知られる部署である。周辺への被害を省みない捜査活動に数々の規律違反、非合法行為に手を染めているとの噂すらあったが、事件解決率の高さ故に野放しにされていた。
犯罪者に対する鬼の如き苛烈な取り締まり姿勢から、忌まれながらも市民層からは一定の支持を得るという、まさしく組織を体現するかの様な戦闘部隊。それが大して広くもない事務所の中をどたばたと駆け回る様子を、滑稽と言わずしてなんと言おうか。
「班長、何もありません。隠し部屋や立体映像による偽装、秘匿通信等の痕跡も無し。一階の居住スペースや屋上も調べましたが反応ゼロ。PCの中身もキレイなもんです」
副長がそう告げる頃には、事務所内は嵐が通り過ぎたような有様になっていた。空振りかよ、と舌打ちしながら横倒しになったキャビネットにオガワが腰掛けた、その時だった。
りん。鈴の音が聞こえた。
一瞬の間にすべての物音が遠ざかり、世界に空白が生まれた。それに気がついたのは路黒と羅畝の二人だけである。
来る、と呟いたのは果たしてどちらだったのか。
「や、ただいま」
前触れもなく事務所の扉が開き、そこから柔らかな風が人間の形を取って滑り込んできた。仕立ての良いスーツと乱れなく撫でつけられた髪、整えた口髭と顎髭、肌の色に至るまで、全てが抜けるように白い。唯一、左眼を覆った眼帯だけが夜の闇よりも濃い黒色だった。
阿賀美。ひょろりとした痩身に、糸のように細い目を備えた壮年の紳士である。路黒らが属する咒骨商のオーナーであり、同時に指名手配犯。漂流街における都市伝説のひとつ“
奇妙なことに、この男を敵視しているはずの対策班の面々は、誰一人として彼を捕らえようとする動きを見せず、ただ家捜しを続けるばかりだった。
そう、まるで存在そのものが認識できていない かの様に。
「んー、こうなりゃ本格的に網張って待ち伏せるかァ?」
自分の頬をぺちぺちと叩きながら呟いたオガワの言葉に、阿賀美は少しばかり眉をひそめた。それから軽く咳払いをすると、手にした黒檀のステッキで軽く床を突いた。すると。
「班長」
建物の外で待機していた隊員の一人が駆け込んできて、オガワの耳元で何かを囁# いた。途端に顔色が変わり、ぐぎぎと歯噛みして顔を伏せたオガワは、しばらくして大声で叫んだ。
「総員撤収ッ!これより七號ゲートに向かう!」
理由を尋ねるものは一人もいない。隊員たちは即座に作業を切り上げると、事務所内を振り返ることもせず、ビル前に停められた装甲車に整然と乗り込んでいく。
その勢いに引きずられるように見送りに出てきた路黒と羅畝に向けて、助手席の窓から上半身を乗り出したオガワが声を掛けた。
「邪魔したねー!ブッ壊れたもんの請求は管理局の経理課まで申請するように!」
高くクラクションを鳴らし、住民を追い散らしながら土煙をあげて装甲車が遠ざかっていく。そのテールライトめがけて思いきり泥だんごを投げつけながら、羅畝が大声を張り上げた。
「このメスゴリラ!せめて片付けていけぇー!」
とにかく、嵐は通り過ぎたらしかった。
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