十月一日(土)午後 車中

 事務所を出たと同時に、真太の背後で白井のスマートホンが鳴り出した。

「もしもし」

細身の土地家屋調査士は何度か電話口で応答すると、たいそう慌てた様子で事務所に戻っていったので、真太とフジは先に車でまっていることにした。

 こんな土曜日にも仕事をしているのだと、今さらながら気づいた。ますます、申し訳ない気持ちが起こる。

 しばらくして、白井が大きな封筒を手にしながら戻って来た。

「すみません……ちょっとお願いがあるんですが」

 恐縮しながら後部座席に乗り込んでくる。

「シロップ、どうした」

「はあ。午前中にやり取りをした業者さんから連絡があって、さっき渡された書類の中に不備があったようなんです。それを差し替えるために駅の近くまで来ているというので、そっちに立ち寄ってもらえますか?」

 当然に、断る理由などなく真太は了承した。

 車を発進させながら、あらためて白井に詫びを入れた。

「というか、白井さん、お仕事中だったんですね。それなのに、すみません」

 青白い顔がバックミラーに映りこむ。

「はあ。まあ、大丈夫です」

「タンヤオ、俺も仕事しようと思ってたんだけど」

 白井の隣で眠そうな顔をした司法書士が口をひん曲げると、つい声を上げた。

「え、そうだったの?それなら、何でゲーセンにいたんだよ」

「やる気を高めていたんだ。それなのに、お前の悲痛な電話が、全部台無しにしてくれたよ。おかげで、仕事をする気にならん」

「……丹波さん、気にしなくて良いですよ。たぶん、フジさんはヒマだったんです」

 苦々しい顔をした小柄な男を無視し、白井は窓の外に注意を向けた。

 駅のロータリー付近で、水色の封筒を手にした男の姿が目に入る。

 その瞬間、真太とフジがほぼ同時に声を上げた。


「キャタツ!」


 封筒を手にした男――キャタツも、目を落っことさんばかりに驚いた顔を見せた。そして、笑いながら開いた窓をのぞき込んだ。

「何だよ、これ。おいおい、オレをからかってんのか?」

 後部座席で固まっている白井に気づくと、キャタツは水色の封筒を手渡した。

「白井先生、おもしろいことするねえ。こいつら、全員オレの友達だよ。まさか、こんな繋がりがあるなんてなあ」

「はあ……あの、えっと」

 言葉に窮する白井の横で、フジが笑いながら当人の肩を叩いた。

「シロップの客が、キャタツとは驚いたな。そういや、こいつはハウスメーカー勤務だったもんな」

 世間の狭さをこれほど思い知ったことはないだろう。あまりの出来具合に少し怖くなる。

 キャタツが各々の顔を見ながら、首を傾げた。

「で、何の集まり?どこか行くのか?」

 すると、フジが腕を組んで神妙な顔つきで言った。

「実は……タンヤオの嫁さんが行方不明なんだ。例のバーテンちゃんが詳細を知っているとみて、これから情報収集に行く」

 次の瞬間、勢いよく助手席に乗り込んできたキャタツが、おもむろにシートベルトを締めたので、真太は当然の質問をぶつけた。

「え、何してんの?」

「オレも混ぜろよ。例の巨乳の子だろう?」

 キャタツは嬉々とした顔で準備万端とばかりに親指を立てた。さらに、白井の方に顔を向け、大きくうなずいた。

「白井先生も胸の大きい子が好みなんだね。だから、ついてきたんでしょう?」

「は……え?違いますよっ」

 その受け答えで、キャタツとフジの笑いが車内に巻き起こる。しかし、真太だけは暗い顔で級友を睨みつけた。

「白井さんに失礼なことするなよ。大体、キャタツは仕事じゃないのか?」

「仕事だよ。まあ、夕方までに戻れば大丈夫だから。しかし、大事になってんだなあ。関係ねえ人間まで巻き込んでよ。ねえ、白井先生。迷惑だって言っちゃいなよ」

 キャタツは気の毒そうな眼差しを白井に向けながら、ため息を吐いた。

 そこへ、フジがわざとらしく声を低めた。

「ところが、この土地家屋調査士は無関係ではないんだぜ、キャタツくん」

「マジか。フジ、お前の仕事仲間なら、只者じゃなさそうだが」

「もちろん、只者じゃない。俺たちより先にバーテンちゃんに会っているくらいだしな」

「ちょっと、待ってください。僕は本当に無関係ですから」

 そんなやり取りを延々と聞きながら、真太は暗澹たる想いで車を走らせた。



 イタリアン・ポロの近くは、土曜日ということもあり人出で賑わっていた。それでもどうにか近くのパーキングに駐車すると、車を降りた男たちは、にわかに白井を囲んだ。

「よし、頑張れよ。シロップ」

「意味がわかりません」

「そうだぞ、フジ。ここはみんなでお茶をする設定で行くのが無難だろう?」

 各々が勝手なことを言い始める。

 フジが静かに首を横に振った。

「いいか?俺はね、この白黒男がバーテンちゃんを前にどんな態度をとるかを、横から見ていたいんだ」

 白井が冷え切った声で応戦する。

「ハナマルさんの行方を聞き出すんじゃないんですか?フジさんの目的が、だいぶブレているようですけど」

「怒るなよ、シロップ。だいたい、俺の目的は『楽しいこと』だ。一ミリもブレちゃいないぞ」

「何だ、ここでも巨乳の姉ちゃんが働いているのか?しょうがねえなあ。じゃ、オレが行くわ」

「お、おい!キャタツ、ややこしいことすんなよ。ジュンに怪しまれるだろう?」


 誰一人として、目的が理解されていない気がした、その時――。


 真太のスマートホンが鳴り出した。

 騒いでいた男たちも静まり返る。

 心を落ち着かせ、真太はスマートホン端末を手に取った。


 ――。


 そこに映し出されていたのは見慣れぬ番号だ。

 しかし、見たことがあるような気もする。

 恐る恐る通話ボタンを押すと、息を荒げた女の声が届いた。


「旦那さんですか?」


 その声、どこか怒りが込められている。

「あ……えっと。丹波です」

 無難に応答すると、女がさらに声を上げた。

「蟹江です。ハナマルの友だち……いえ、もう知ったこっちゃないわ!」

「か、蟹江さん?つ、妻がどうしました」

 慌てる真太のそばで、白井がわずかに反応を示したが、そのままこちらを見守っている。

 耳元では、相変わらず女が大声を上げた。

「あなたの女房は何を考えているのよ!周りに迷惑ばかりかけて……ワガママで勝手で……」

 その声が次第に涙で震えてくる。

「……ふざけないでよ。私がどれだけアイツのこと想ってきたと思うのよ」

 

 すると、今度は白井のスマートホンが鳴りだした。


 それに応じた黒服の男の顔が、徐々に歪み、そして、今日一番の低い声でこうつぶやいた。


「……何で……ウサさんがハナマルさんと一緒なの……」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る