九月二十六日(月)夜 居酒屋いざいざ

 友人二人の笑い声が、フロアに響き渡る。コンパで盛り上がる学生たちでさえも、こちらを振り向くほどだ。

 真太は、顔にお手拭をあてたまま、卓に突っ伏した。

「お前ら……本当に友達か?」

「友達に決まってるだろうが!タンヤオ、お前は稀代のストーリーテラーだな!」

 キャタツが腹を抱え、涙を流しながら言った。

「笑い過ぎて、吐きそうだ」

 フジは、その端正な顔を歪めながら、再び吹き出した。

「お前の嫁さん、気の毒だなあ。確かに、夫婦の営みについて男友達に相談する亭主なんか、気味が悪いったらないな」

「これは完全に分が悪いぞ。勝ち目ゼロだ」

「いや、待てよ?この展開だと、俺らも共謀とみなされるのか?どうなんだ?」

「マジかよ。イメージダウンとか、勘弁してくれ」

 キャタツとフジがにわかに不安気な顔をして真太を見つめてきた。結局、自分たちが嫁にどう思われたかが大事らしい。

「花恵は、お前らのこと何も思ってないよ。最初から興味ゼロだ。単純に、おれたち夫婦の問題を他人に話したのが気に入らなかっただけなんだ」

 あからさまに安堵の表情を浮かべた二人は、追加注文をしながら、真太の話の続きを促した。とりあえず、相談には乗ってくれるらしい。

 真太はため息を吐いた。

「昨日の朝から部屋を飛び出して、今日のこの時間まで一切の連絡がない。こんなの結婚してから初めてで……」

「まあ、そんなのしょっちゅう起きる方が問題だろうよ。フジは、例外として」

「失礼だな、この直球野郎。便りがないのは元気な証拠と昔から言うじゃないか」

 やや、フジの言い分は外れてはいるが、確かに花恵の身に何か起きたとしたら、夫である自分に真っ先に連絡が入るはずだ。おそらく、友人の家に寝泊まりしているのだろう。しかし、あそこまで花恵が怒ったところを見たことがなかった。おとなしくて清純な、今時珍しいタイプの女だったのだ。結婚してから、何が変わってしまったのだろう。

「離婚するなよ」

 キャタツが小さく、そして鋭い口調で言った。思わず背筋が凍る。

「そ、そんなの当たり前だろう?たかが、夫婦喧嘩で……」

「いや、新婚だからこそあり得る話だ。俺のところにも時々そういう相談はある」

 フジが冷やしトマトを食べながら言った。真太は恐る恐る尋ねてみた。

「フジは、何の仕事してたんだっけ?」

「司法書士」

「何だっけそれ?弁護士の子分か?」

「断じて違う。ただ、法律関係の仕事には違いない。離婚関係の相談も聞くが、仕事としては受けていないよ。専門外だから」

 フジはつまらなそうな顔で言った。真太は秀麗な友人を見つめた。

「新婚は、離婚しやすいのか?」

「一概にそうとは言えんけどね。交際期間が短ければ、互いに見えていなかった部分が浮き彫りにされて、幻滅することはあるだろうな。俺の知ってる弁護士も最近は離婚裁判が増えたってワクワクしていたよ。こんなヤツに依頼したら、色々と人生終わるんだろうな」

 真太は背筋が冷たくなるのを感じた。それほど、昨日の花恵は暗く、怨めしい顔をしていたのだ。

「どうしたらいい?」

 何度目だろう。

 友人たちのため息が次々と漏れる。

「ちゃんと、謝る。嫁さんの言い分を聞く。あとは、すべての家事をやれ」

 キャタツがレモンサワーを飲みながら言った。同じような話の流れにいい加減飽きてきているのが見てわかった。

「でも、あいつが聞く耳を持たなかったらどうすれば良いんだ」

「嫁さんの友人だって、まさか積極的に離婚を進めるヤツはいないだろうよ。みんな、お前らにいくら包んだと思ってんだよ」

 意地悪い顔で笑っていたフジが、にわかに真剣な顔つきになった。

「ただ、お前ら二人だけの問題ならどうにかなるかもしれないが、別の誰かが絡むと面倒だぞ。俺はそっちを期待……いや、心配している」

「男だ、男」

 キャタツも腕を組んで大きくうなずく。

 真太は戦慄した。

「お、男……」

「よくあるだろう?相談相手の男友達が、いきなり恋愛対象に昇格する話だ」


 その時、真太の脳裏に、妻の寝言が蘇ってきた。


 ――白井くん。


「いや、まさか。確かそいつは、同窓会に来なかっただけなんだから」

 真太は必死に不安を振り払おうとした。

 しかし、妻の口から自分以外の男の名前を聞かされた衝撃は、思った以上に深く刻まれていた。


 ――夢にまで見る男。


 言葉を失う真太に、二人の級友は顔を寄せてきた。

「どうしたタンヤオ、様子がおかしいぞ」

「お心当たりがあるのかな」

 真太は、小さくうなずいた。

 少なくとも、花恵は喧嘩をした直後に男友達の夢を見ているのだ。同窓会で会えなかった昔の恋人に想いを馳せているのかもしれない。いや、今この瞬間も、懐かしさのあまり連絡を取り合って――。

「だ、ダメだ!そんなの!」

 真太は勢いよく立ち上がった。自分の夫として立ち位置が、こんなにもグラつくとは思わなかった。結婚式で、永遠の愛を誓い合ったところで、それが何の自信になるというのだ。今、自分は確実に妻に嫌われている。

 キャタツが頬杖をつきながら言った。

「善は急げだ。タンヤオ、とにかく嫁さんに電話をしまくるんだ。それでもダメなら、恥を忍んで嫁さんの友人たちに連絡してみろ。共通の知り合いくらいいるだろう?」

 冷静な友人に真太は心から感謝した。

 懸命に記憶をたどる。

「あ、一番仲が良い女の子がいたかも……花恵に色々と世話を焼いてくれたっけ」

「じゃあ、その子からあたってみるんだな。俺たちも力いっぱい応援するから、上手くいったら、嫁さんの友達と合コンのセッティングしてくれ」

「そして、俺たちは何ら悪くないことを確認してくれ」

 友人二人に後押しされ、真太はスマートホンを片手に店を飛び出して行った。

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