命拾い 【ショートショート】

大枝 岳志

第1話

 予想外に残業が長引いてしまった。スーパーや飲食店はとうの昔に閉まっていて、仕方なくコンビニでビールと弁当を買った帰り道だった。

 薄暗い路地に入り、街灯がぽつぽつと並ぶ下を通っていると、遠くの方で小さな何かが光り輝いているのが目に入る。


――――誰かがスマートフォンでも落としたのだろうか? 


 そう思いながら段々と近付いて行くと、道の真ん中に落ちていたのはまだ光り輝いている「命」である事に気が付いた。

 小ぶりだがドクン、ドクン、と脈を打っていて、かなり活きの良い部類の命なのが見て取れる。

 私はコンビニのレジ袋に命を入れ、持って帰る事にした。


 自宅へ帰ると、部屋の中央に置いてある丸テーブルの上に、袋から取り出した命をそっと置いてみた。変わらずドクン、ドクン、と脈打っている。

 私はそれが実に珍しい光景だと思い、電気を消してみた。


 淡い黄色身を帯びた光が、狭い部屋の辺り一面を照らしている。

 これは中々、良い物を拾ったかもしれない。

 そんな事を思い、私は薄っすらと光る命を肴に酒を呑み始めた。


 眠る直前になり、私は命の輝きが寝付くには眩しいと感じてしまい、実に勿体ないと思いながらも命に綿タオルを掛けて眠る事にした。

 すると、黄色く漏れた灯りが実に心地良い安心感をもたらしてくれるのだった。

 その日、私は一度も覚醒することなく朝を迎えた。


 翌日、命からタオルを外して見ると若干だが脈が弱っているように見えた。これは参った。何を、どうしたら良いのだろうか?

 仕事へ行くと、私は早速職場の知人に命について尋ねてみる事にした。


「なぁ、岡野。おまえ、命拾った事あっただろう?」


 岡野は作業する手を止め、遠くを懐かしむような顔で頷いた。


「あー、はいはい。もう十年前ですけどね」

「あの時はどうやって管理していたんだ?」

「いや、結局面倒見切れなくって、手放しちゃったんですよ」

「それは何で? 勿体ないな」

「いやー、脈が弱っている時に命に「希望」をやらなきゃいけないでしょ? 今の世の中だと出回ってないんですよねぇ。日本って特に命の管理に向いてないって言うじゃないですか? 実感しましたよねぇ」

「そうだったな……確か、そうか……」


 すっかり忘れていたが、脈の弱った命に有効なのは「希望」を与える事だった。結局岡野に命を拾った事は言わずじまいでいたのだが、これは良い情報を得た。


 午後。私はとりあえず職場のあちらこちらを探し回ってみた。書架の隅々、デスクの引き出しの中、自動販売機の取り出し口、警備室の扉の裏側、パソコン内の使われていないフォルダー、ファイル。女子ロッカールーム、掃除夫の持つモップ。しかし、何処を探してみても「希望」は見つからなかった。


 昨日拾った命のように、希望も落ちてはいないものだろうか? そんなラッキーに期待しながら下を向いたまま帰り道を歩いてみたが、結局何も見つからないまま自宅へ辿り着いてしまった。


 都合の良い事がそう何回も続く訳がない。人生、そんなもんだ。

 私はすっかり脈が弱くなった命を指で触りながら、酒を呑んだ。熱はほとんど無く、低反発枕のような感触がする。これから固くなっていくのか、それとも柔らかく、それこそブヨブヨのようになってしまうのか、そんな末路をなんとなく想像してみた。

 このまま私が管理するのは難しいのかもしれない。しかし、時代と国が違えばもっとしっかりと管理する事が出来たであろう事を悔やみながら、私はネットで命の引き取り手を捜し始める。


 すぐに二、三名の個人とやり取りする事が出来たので詰めの話は後にしようと思い、私はそのまま就寝する事にした。 


 夜中、若干の寝苦しさを感じた私は足をあちこちに伸ばし、布団の上の冷たい場所を探し続けた。夏が近付いて来るのは毎度の事だが、急に寝苦しい夜が来るのはあまり歓迎出来ない。

 寝入る前になると布団の中が暑くなり、私はどんどん神経質になっていった。

 

「あぁ、もうっ! あっついな!」


 部屋の中でそう呟いて、私はとうとう冷房を入れようと思い丸テーブルに手を伸ばした。

 命に照らされた丸テーブルの奥に、リモコンが見えた。

 私は立ち上がるのがどうしても面倒で、横着してそのままの体制で無理矢理テーブルの奥に手を伸ばした。


 指先が何とかリモコンの先に届き、それを引き寄せようとさらに身体を伸ばす。口先が若干、タオルを掛けた命に触れていたが、気にはならなかった。

 あと少し、あと少し。


「おりゃっ!」


 そう呻いてリモコンを引き寄せた瞬間だった。命が突然ビクンと大きく波打ち、タオルを振り落として私の口の中にピョンと飛び込んで来たのだ。

 

「んお、お!? んおおお!」


 命は私に容赦加減する事なく、スルスルと喉の奥へと入っていった。

 私はあまりに突然の出来事に、心の底から恐怖した。

 しまった、これは救急車を呼ぶべきなのだろうか? しかし、吐き気や痛みなど、何もない。

 

 それでも心配が尽きなかった私はネットであらゆる情報を集めてみた。

 誤って命を飲んでしまった場合、誤って食べてしまった場合、事故例など、あらゆる情報を探してみたが該当する記述は一切見つからなかった。

 前例がないのか、それとも大した問題ではないのだろうか。

 そう思いながら、とりあえず翌朝病院へ行ってみる事にして、眠気に襲われた私は涼しくなった部屋の真ん中に再び寝転んだ。


 翌朝。


 この身体は実に目覚めが良いようだ。快適だ。この部屋は大きさに若干の問題は感じられるが、必要な物がすべて手の届く範囲に収まっていて使い勝手は良さそうだ。

 なるほど、鏡を使ってみたがこんな顔をしているのか。

 良くも悪くも、目立たない顔だ。

 この私には、何と言う名前が相応しいのだろうか。

 考える時間なら、この身体が死ぬまである。

 どんな景色が広がっているのだろうか。部屋の外へ出てみるのが、今からとても楽しみでたまらない。

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