現代版芥川
増田時雨
現代版芥川
父が倒れた。
会社に来た電話で急いで病院に向かった私は、勢いよく病室のドアを開けた。
だが、そこに父はなく、亡き弟によく似た横顔が夜空を見上げていた。
間違えた、そう気付いたときにはもう遅かった。
彼の夜空のような目が、私を射抜いていた。
「あの、顔色悪いですよ、一旦座ってください。」
見知らぬ男が入ってきたのにも関わらず、病室の彼は冷静だった。
「あ、ご、ごめんなさい。」
気が動転していた私は、言われたとおりベッド近くの椅子に座る。
「……今日は星が綺麗ですね」
そう言う彼の顔は、近くで見るとそれほど弟には似ていなかった。
しかし、どこか懐かしく感じる。
「僕、一度も満天の星空を見たことがないんです。病気がひどくて。一回でいいから見てみたかったなぁ。」
彼の境遇は、私の弟と少し似ていた。
弟も、体が弱くあまり外に出られなかったのだ。
透けるような白い肌に、夜の街の光が反射する。
情が移ったのだろう、勝手に口が動いた。
「綺麗に見える所、知ってますけど連れていきましょうか?」
そんなの無理だ、そう思った。けれど、彼の顔がみるみる明るくなっていく。
「いいんですか?」
もう断れなくなってしまった。
「こっそり抜け出しましょう。」
彼は乗り気だった。
私は彼を背負い、そっと病院を抜け出した。
月のない夜だった。
私は、もう父のことなどすっかり忘れていた。
車で目的地へ向かう。
彼は終始目を輝かせていた。
「あれはなんですか?」
彼は東京タワーを指さして尋ねる。
しかし、私は答えられなかった。
弟にできなかったことを彼にしてしまっていることに後ろめたさを感じる。
完全に自己満足だ。
なのに彼にあんな顔をさせて。
申し訳なくなってしまって、かける言葉が見当たらなくて。
私は黙っていることしかできなかった。
彼は少し悲しそうな顔をした。
私はそれを見ていないふりをして、無言で車を走らせた。
目的地の山頂についたとき、彼は静かに寝ていた。
「着きましたよ。」
そっと彼に呼びかける。
しかし、彼は目を覚まさない。
肩を揺らそうと、彼の肌に触れた。
彼が、冷たくなっていた。
え、そんな。
身勝手に彼を連れて来ておいて、彼の思いに答えられずに。
また、殺してしまった。
そう思った。
後悔の念が、どっと湧いてきた。
あの時、彼の問いに答えていれば。
あの時、提案しなければ。
そもそも私が病室を間違えなければ。
もう、父のことなど頭から抜けていた。
彼と一緒に、この夜空に、溶けてしまえばよかったのに。
私はふらふらと車から出て、大きく開けた崖の上に立った。
眼下には街の光が星のように輝いている。
頭上は彼の瞳のような空が、じっと私を見ている。
体が宙に浮いた。
私は、たちまち夜闇に溶けていったのだった。
現代版芥川 増田時雨 @siguma_rain
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